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「まっさか、あんなウィルの姿が見れるとはなぁ」
ニヤニヤと言う言葉が一番似合うような笑顔を浮かべ、レオルドはスープを口にしているウィルへ目をやる。ダウンしていた頃に比べれば回復しているが、通常時に比べたら青い色をしている顔色のウィルはそんなレオルドの視線を無視するようにスプーンを進める。その隣で、アメリアが持って帰ってきてくれたパンを齧っていたトーマは、何とも言えない表情を浮かべ視線から逃れるように俯いた。
"あんなウィルの姿"が何を指しているのかについて問うたら最後だと分かっていた。船酔いでグロッキー状態、真っ青な顔色でぐったりとしていたウィルなのか、そんなウィルを介抱し、動ける程度には回復出来た事に安心したら気が抜けてしまい、うっかり膝枕をしたまま眠ってしまったトーマを良い事に、起きれるのに頭をどかさず、膝の上と言う素晴らしいポジションで寝顔を堪能しながら、愛おしそうに寝ているトーマの頬を撫でていたウィルのことなのか。前者についてはウィルに悪いし、後者についてはそんな事されていたのかと、恥ずかしすぎて爆発したくなる。よって、トーマができる事は、関係ないですと言った表情でパンを齧ることに集中する事ぐらいだった。
「ウィルさん、気分が悪くなったらいつでも声をかけて下さい。微力ですが、治癒しますので」
「有難う御座います。情けない限りですが…」
「こればかりは仕方が無いだろう」
アメリアの言葉には苦笑を浮かべながら答えるウィルに、ライアスも似たような顔をして慰めの声をかける。当の本人は全く気にしていないのだから、何を恥ずかしがることがあるのか…トーマもぎこちなくだが笑顔を作るとライアスに同調するよう頷いて見せた。
「お前ら、ウィルに甘くねぇ?!」
不満げなレオルドに、話の中心にいたウィルが絶不調ながらも勝ち誇った笑みを向けてきたのを知っているのは、向けられたレオルドと向けたウィルの二人だけだった。
船の旅は明日の昼頃まで続く予定であり、今のところは至って順調だった。聖女ご一行様ならば、と当初買ったチケットとは違い一等室へ個別で案内しようとする船長を止め、チケット通りの二等室の大部屋に収まったのだが、これだけ順調で何もなければ甘えて一等室を使えば良かったと思うほどだ。
しかし、皆で一緒にいられるのが嬉しいのか、アメリアがずっと楽しそうにしているので、大部屋の選択でもあながち間違えではなかったらしい。女性ということもあり、町では絶対に別部屋へ押し込まれてしまう彼女は、自分のためだとはわかっているにしても仲間はずれにされて少し寂しいと思っているのだろう。決してそれを口にすることはないのだが。
夕飯をとり終わればすでに夜は更けていた。念の為にと部屋を囲むように防御壁を展開してトーマがベッドへ潜り込めば、その数分後にはすでに意識を手放す。まだ明かりが灯っている室内で、一足早く眠りについたトーマに驚くアメリアだったが、いつもこんなもんだとレオルドが説明してやれば、羨ましいですと笑っていた。
目が覚めると、酷い頭痛と眩暈に襲われた。平衡感覚がおかしくなっているのか、起き上がろうとしても上手く体を動かせない。ぐったりとしたまま目だけを動かせば、先ほどまで寝ていた部屋とは違った。部屋はさきほどよりも広く、六角形のような不思議な形をしており、自分が寝ているベッドは部屋の真ん中へと設置されている。ベッドを挟むように左右に大きな窓があり、足が向いている方向に扉があった。その扉にはノブが無く、壁に沿うように低めの棚が置かれ、その中には本や高価そうな茶器がしまわれている。その反対側にはローテーブルに一人掛けのローソファー。どこを見ても、豪華な内装だった。
(どこだろう、ここ…)
ゆっくりと時間をかけて体を起き上がらせると、窓の外が垣間見える。港に船が停泊しているを見つけた。外の景色を見るだけで、高い所に位置しているのが分かる。再び扉へと視線を戻し、やはりどこにもノブが見当たらないのを再確認すれば、この部屋がどんな目的で作られているのか想像がつく。段々と覚醒していく意識が最悪な事態であることを理解し始めた所で、部屋の外から聞こえた靴音に思考が止まる。警戒するように扉を見つめれば、ガチャリと錠が外れる音の後にゆっくりと開いた。開いた先には、長身の男が立っていた。30台中頃だろうか、見立ての良いジャケットや、指に嵌っている金の指輪等を見るからに、相当金を持っているのだろう。大変美丈夫な貴族、それが第一印象だった。
「おはよう、私の小鳥。ご機嫌は如何かな?」
(あ、やばい人だ…)
男の第一声に、背筋がぞくりとした。気持ちが悪い以外の表現が見つからず、酷く上機嫌でこちらへ近づいてくる姿に思わず後ずさりする。背に敷き詰められている枕へと体が沈みこれ以上動けないと分かっていても、後ろへ下がろうと足が動いてしまう。コツコツと靴音を響かせながらこちらへと近付いてくると、遠慮なく腕を掴まれ引っ張られた。紳士的な見た目とは対照的にとても荒い動作に驚きながら、成す術もなく男の元へと体を引き寄せられると、そのまま唇に温かい物が触れる。一拍遅れて、それが男の唇だと分かると、慌てて振り払おうと頭を動かそうとするが、男の反対の手で頭を抑え込まれ動けなくなってしまう。それならば、と空いてる両手で相手の胸を力いっぱい押すが、やはりびくともしない。割り込んで来ようとする舌に全身に鳥肌が立ち、気付けば相手の唇に噛みついていた。
「っ!」
痛みに身を引いた男が思わずと言った態度で頬を殴ってきた。平手だったが、手加減なく殴られ一瞬意識が飛びかける。どさりとベッドへ倒れこむと、柔らかな枕へと体が沈み込んだ。
「いや、失礼。だが、これは躾け甲斐があると言うものだ」
サラリと髪をすくように指を這わしてから、男は体を離すと芝居がかったように両腕を広げる。その行動を敵意丸出しで睨みつけるが、男は気にすることなく微笑んできた。
「どうでしょう、この部屋。あなたの為に用意したのですよ。あなたの鳥籠です」
どれも最高級の物なんです、と恍惚とした表情で語りかけられ、背筋が凍る。やはり、男の目的はここに閉じ込める事だ。固まり動けない姿に、くすりと笑いを漏らすと、優雅にお辞儀をし部屋を出ていく。すぐに錠落ちる音がして、鍵を閉められたのだと分かった。その音をきっかけに、弾かれたようにベッドから抜け出す。ふらつき倒れる体を気にも留めず這いずるように扉の前までたどり着くが、扉は重く閉ざされており動く気配はない。ドンドンと何度か叩いて見るも、手が痛くなるだけだった。諦めることなく窓へと移動するが、結果は同じで、開けるために作られたものではないらしく、鍵や取っ手など見当たらなかった。離れの塔の最上階なのだろうか、下で覆い茂木よりも高いのが分かる。こんな所から飛び降りれば、生きている確率の方が低いだろう。完璧な監禁状態に眩暈がした。迫出していた窓枠へ縋るように腕を置きぼんやりと外を眺める。ああ、あそこの港に停泊している船は、自分が出航前に見た船と同型だ…などと暢気に考えていると、足から力が抜けずるずると壁に沿って床へと座り込んでしまった。
どれぐらいそうして居たのか。部屋の中が赤く染まり始めた頃、また扉の外で騒がしい音がする。緩慢な動きで扉へ目だけを動かすとすぐに錠を弄る音が聞こえ、乱暴に扉が開かれた。次に入ってきたのは、全身血で汚れたライアスの姿。後ろで手首を縛られているようで、そのまま部屋の中へと倒れこんできた。そんな彼に驚き、慌てて駆け寄ろうとする前に、先程の男が続けて扉を潜って来たため反射的に足が止まる。
その反応に嬉しそうに男は笑うと、倒れているライアスの隣を通り過ぎ、目の前へ膝をついて視線を合わせてきた。
「ライアス殿が、私の調教に興味があるとのことだったのでね。同席してもらうことにしたんだ」
何をするつもりだと、声を出そうとして自分の口が動かない事にこの時初めて気づいた。自分の意識とは別に、体が震え動けずにただ男を見上げている。そういえば、なぜ自分は魔法を使えるのに、閉じ込められたと分かった時魔法を使おうとはしなかったのか。そして、今、なぜいつも様に手へ魔力を集中させようとしているのにうまく動かないのか。訳が分からず混乱している所で、目の前まで迫っていた男に肩を押され床へと背を打ち付ける。押し倒れたのだ。暴れようとした腕を簡単に纏め上げられ、無防備になった首元へ遠慮なく噛みつかれる。
「ひっ」
痛みと恐怖で引きつった悲鳴が漏れ、首元に顔を埋めていた男が笑う。血が滲む首筋へ舌を這わされ、なぜか全身が痺れた。甘い感覚に戸惑い、いやいやと振った頭のせいで、目元に溜まっていた涙が零れる。
「恐れることはない、全て私に委ねなさい」
慈しむように優しく頬を撫でられ、思考が鈍くなっていく。撫でられた手が気持ち良い。この感覚に身を預けてしまえば、楽になれる。ぼんやりと男の目を見つめれば、その中には金のような、茶のような、柔らかい髪色をした少女が映っていた。
「トーマ!」
名前を呼ばれ、体を揺らされ、トーマは飛び起きた。
「あ、れ…?」
目を開いた先には、数時間前に眠りについた時と同じ船の客室で、彼のベッドの周りには心配気にこちらを見下ろしているライアスと、顔を真っ青にして口元に手を当てているアメリア、それぞれのベッドには座っているが、やはり心配そうにこちらへ視線を向けているレオルドとウィルの姿も見える。
「夢…?」
「トーマさん、大丈夫ですか…」
今にも泣きそうな表情で声をかけてきたアメリアに顔を向ければ、ぽろりと目の端から涙が零れた。それを拭おうと手を伸ばすと、なぜか涙は止まることなく溢れてくる。
「あれ…止まらな…」
先程の夢で抱いていた恐怖心がまだ引き摺っているのかもしれない。怖かった。そう思ったのは誰だ?自分?アメリア?
今見た夢の情報も、感情も、整理しきれない。ただ、渦巻く恐怖心に震えと涙が止まらない。
「こわ、かった…」
「トーマさん…」
小刻みに震え、アメリアを見上げれば、同じように泣きそうな顔をしたアメリアが、ベッドへ膝をついた。近くなった彼女へゆっくり手を伸ばせば、握り返され、温かい彼女の体温に酷く安心する。
「アメリアが、あんな…」
あんな悍ましい事態は、絶対に避けなければ。縋るように、確かめるように彼女の腕を強く引くと、簡単に自分の胸へと倒れこんでくる。トーマは、その華奢な体を抱き込むように強く抱きしめた。
「ごめん、ごめんね…」
「大丈夫ですよ、トーマさん」
泣きじゃくりながら謝り続けるトーマに、アメリアは大丈夫と答えながら抱きしめ返す。
取り乱す解除者と静かに抱きしめる聖女の姿を、3人はただ護衛として見守ることしかできなかった。




