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治癒活動は滞りなく終了し、出港の朝を迎える。早朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、潮の香りがした。キラキラと水面に返る朝陽が眩しくて、トーマは目を細めた。
「晴れて良かったですね」
隣から声をかけられ視線を向ければ、ニコニコと微笑むアメリアの姿があった。
「そうだね」
「私、船って初めてなんです」
「俺もこんな船は初めてだよ。俺さ、泳げないから船乗ると毎回不安になっちゃうんだよね」
「不安ですか…?」
「そう、沈んだらどうしようって。死を覚悟して乗ってるもん」
真剣な表情で告げてくるトーマに、アメリアはぷるぷると震えだす。至って真面目なトーマを笑っては失礼だと分かってはいるものの、結局は我慢できずに噴出してしまった。御免なさいと謝りはしてくるも、口元を抑え笑いを堪えながらであるので、誠意は全く伝わってこない。しかし、楽しそうな彼女の様子にトーマは怒ることは無く、照れくさそうに頬を赤く染めながら結構マジなんだからね~と続ければ、アメリアは更に楽しそうに笑った。目じりに溜まる涙を拭りながらようやく落ち着いてきた頃に、御免なさいと申し訳なさそうに一度頭を下げられ、気にしてないよと逆にトーマが笑ってしまった。
「もし海に投げ出されても、私がトーマさんを助けますね」
「え~、しがみついちゃうよ?」
「大丈夫です、泳ぎは得意なんです。トーマさんぐらいへっちゃらです!」
「やだ、グッときた…」
互いにふざけたように言い合うと、どちらとも無く笑った。
この世界の船は、想像していたよりも揺れるものだった。穏やかな波間を進んでいるはずなのだが、大きく揺れる船に最初こそ何かに掴まっていないと不安で仕方の無かったトーマだったが、そんな不安はすぐにでも吹っ飛んだ。むしろ、吹っ飛ばされたというのは正しいかもしれない。メンバーの中で、船酔いになった人がいたのだ。アメリアが治癒をすれども、定期的に襲う揺れは治癒のスピードを上回っているようで、楽になった次の瞬間には吐き気が襲ってくる。最終的には青い顔でもう大丈夫だと告げられ、彼女は泣きそうな表情で謝っていた。それをフォローする元気もなく、フラフラと割り当てられた客室へと吸い込まれていく後姿を心配げに見つめるアメリアへ、トーマは自分が傍にいるからと告げて後を追った。そしてその人は今、トーマの膝の上でぐったりと横になっていた。
「うっぷ…」
「大丈夫?吐きたくなったら遠慮しないでね?」
「すみません…」
「無理しないで。船酔いの時って話すと回復するって聞いたことあるし、話せそうなら話して」
優しく腕を摩りながら膝に横になる人物へ声をかければ、青白い顔で弱弱しく笑い返してくれる。こんなにも弱っているのに、いつもと変わらない物腰の柔らかさは意地なのだろうか。さらりと落ちる銀髪を撫で付けながら、トーマも小さく笑い返した。
「少し休む?」
「いえ…眠れそうにもないので、このままで…」
「うん。ごめんね、本当はアメリアに膝枕してもらった方が良かったんだろうけど…」
「レオルドがうるさいですから、ごめんですよ。…それに、私はトーマの方が嬉しい」
「物好きだねぇ」
嬉しかったのを誤魔化すようにニヤリと笑うと、ウィルはすっと目を細め笑い返してきた。しっかりと下から見つめられ、気恥ずかしさになるべく目を見ないようにと、ウィルの髪へと視線をずらす。さらさらと流れる髪を遊ぶように絡めたり撫でたりしていれば、しばらくして彼は力を抜いたように目を閉じていく。顔色は相変わらずだが、慣れてきたように見える。
「意外だな…」
思わず漏れてしまった独り言に、ウィルの瞼がゆっくりと開けられトーマは内心で舌打ちをした。そんな彼の心情など知らないウィルは、どうしました?と優しげに目を細め見上げてきた。
「ああ、ごめん」
「いえ、寝てはいませんでしたから。何が意外なのですか?」
「…なんでもそつ無くこなす人が、船酔いなんてするんだなぁって思ったの」
「そう見えているのであれば、非常に嬉しいのですが…買いかぶり過ぎです。実際の私なんて、何でも中途半端ですから…」
「そうなの?」
「ええ…私事で申し訳ないのですが…酔いを紛わす為と思って、話を聞いてくれませんか…?」
いつも冷静に物事を見極めてきた青い瞳は珍しく自虐的に歪んでいて、それを見た瞬間無意識のうちに頷いていた。
ウィルの父親は所謂貴族のお偉いさんだった。地位までは口にはしなかったが、それなりに高い地位の貴族の長男として育てられてきたと言う。よくある話で、そこに愛情などはなく、見栄や世間体の為の教育だった。親の轢いたレールに乗り、外れないよう必死に努力を重ねてきた彼は、自然と優秀になっていく。いずれは父の跡を継ぐのだと、父のようにならなければと努力を続けていたが、それを周りには見せないようにしてきていた。そのせいか、彼の努力は親の七光りだと言われるようになってきたと言う。いくら学び知識をつけても、そう評価しかされない現状を嘆き、最終的には逃げるように剣をとる道へと進んだのだと。レオルドも剣をやっていて、時折稽古に混ぜてもらっていましたからと懐かしそうに微笑む。どこと無く冷めていて、一線を引いて人を遠ざけていたのはこのせいだったのだとやっと納得がいった。誰よりも愛情に飢えていて、それでいて臆病な彼にかける言葉が見つからず、トーマは相槌だけを打った。
剣の道へと進んだ為に親に勘当を言い渡され、本当に行く場所が無くなって入った騎士学校の生活は死に物狂いだった。ここで成績を残さなければ生きていく術がなくなってしまう。逃げ出したのは自分なのだから、なんとしてでも上へ登らなければいけない。元より剣の才能はあった為、すぐに頭ひとつ抜けた存在とはなれたが、それだけだった。剣の腕ひとつを取っても、ある程度まではいけるがその先へはいけない。ライアスのように血の滲むような努力をする根性も、レオルドのように一度見ただけで簡単にやってのける天才な感性も持ち合わせていない。あれだけ追い込まれた状況で始めた剣の道だったのに、壁に当たった瞬間に逃げ出したくなるなんて…この時ほど自分のクズさに笑いが止まらなかったことは無かった。
「そんな私に、道を開いてくれたのが魔法だったんですよ」
「魔法…?」
「ええ、まさか自分でも魔法を使えるとは思っていませんでしたからね。それに、当時は魔法騎士と言う役職は無かったんです。魔法が使えるものはみな魔法使い、使えないものは騎士に、それが一般的でした」
「でも、今更魔法使いになるには遅すぎるよね。だったら、剣を振るいながら足りない所を魔法で補った方が…」
「そうです、早く現場にも立てると思ったから。ただ、魔法に関しても、一属性のみで、簡単なものか大技かしか使えなくて…何度試しても、主力である中級が扱えませんでした」
「ウィルの初級魔法は精度が高いよ、放った魔法の軌道を変えるなんて簡単に出来ることじゃない」
「トーマに魔法を褒められるとは、努力してきた甲斐がありましたね」
くすりと笑うウィルへ、真剣に言ってるんだよと少し強めに抗議すると目を細めて手を伸ばし、トーマの頬へと触れてくる。払いのける必要も無いので、されるがまま撫でられればウィルは困ったような笑いを浮かべた。
「別に、茶化したつもりは無いのですよ。本気でそう思ったのです」
それでも剥れているトーマに、機嫌直してくださいと声をかければ、じゃあ、もっと騎士学校時代の話を聞かせて、と告げ表情を緩ませる。一枚とられましたね、と笑いながらもウィルはぽつぽつと話してくれた。どんな訓練があったのか、何がつらかったのか、生活はどうしていたのか、レオルドやライアスとはどうやって知り合ったのか。嫌がることなく語ってくれるウィルの話はどれも新鮮で面白く、青白かった顔色も、次第に回復していった。
「すみません、付き合ってもらってしまい…こんな話も、こんな姿も貴方に見せるつもりなど無かったのですが…」
「ううん。楽しいよ。それに、こんな弱ってるウィルを間近で見れるなんて、役得ですよ」
ニヤリと笑って頭を撫でてやれば、彼は頬を赤く染めながら目を逸らし何かを早口で呟く。声が小さく聞き取れなかったそれを聞き返せば、なんでもありませんと返されてしまった。そんな彼の姿が可愛くて、堪らず頭を抱え込むように抱きしめる。
「ちょ、トーマ?!」
滅多に聞けない上擦ったウィルの叫びを気にすることなく、ぎゅっと力を込めると、彼はビクと体を震わして硬直した。
「今まで、良く頑張ってきたね。話してくれて有難う、ウィル」
「トーマ…」
耳元で褒めてくれる声が心地よくて、ウィルは自然とトーマの背へ腕を回すと力を込める。抱きしめた体は予想以上に小さいのに、縋り付く事を止められなかった。
「アメリア、どうだウィルの様子」
部屋の前で胸に手を宛て佇んでいたアメリアへレオルドが声をかける。振り返った彼女はやけに自愛に満ちた聖女スマイルを浮かべると、レオルドの元へと駆け寄った。
「お二人とも眠ってらっしゃいました」
「寝てる?珍しいな」
「起こすのも悪いですし、後で軽食をお部屋へお持ちできませんか?」
「それぐらいなら出来るだろ、ライにも一応伝えとこうぜ」
「はい」
レオルドの言葉に、アメリアはにこりと微笑み頷いた。その笑顔がいつにも増してキラキラ輝いていることに、レオルドは気付かなかった。もちろん、部屋の前で胸に手を宛てているのが、実はぐっと握りこぶしを作っていたと言う事にも。




