5-20
相手がウィルへ変われば、男たちの勢いは急に弱まった。トーマの時とは違い、ウィルの出方を伺うようにする男たちへ、ウィルはくすくすと笑う。
「どうしました?怖くて攻められませんか?」
挑発に釣られ、一人が苛立ち斬りこみに来れば後はなし崩しだった。この流れに乗り遅れまいと次々とウィルへ挑み斬り捨てられていく。その後ろで守られるようにロッテを抱き上げるトーマは、必死にアメリアへ向かい声をかける。音のない呼びかけでもそれはしっかりと伝わっており、あちらもレオルドが周りの男たちを押し飛ばし、じりじりと距離を詰めてきているのが分かる。だが、彼女はそれさえももどかしいのか、ぎゅっと胸の前で握っていた手をほどくと突然声をあげた。
「レオルドさん、ごめんなさい!」
戦っているレオルドの横をすり抜けるようにして、トーマの方へと駆け出す。その行動には、守っていたレオルドも、呼んだトーマも驚いた。
「うぉ?!アメリア!?」
意外とすばしっこい彼女はするりと男たちの間も見事に抜けきれば、後はこちらへ駆けてくるだけになる。これでロッテの怪我を治せる、トーマが息を抜こうとした時だ。
バタンと部屋の扉が閉められたのは突然だった。その後、床から煙が立ち上がると急速に部屋中へ広がり始める。それには、トーマ達だけでなく、敵のはずの男たちも驚きの声を上げていた。
「麻酔玉だ、口を塞げ!」
ライアスの言葉通り、部屋に居た者たちは急に足元が絡まり始め、バタバタと倒れていく。元より膝をついていたトーマは、咄嗟にロッテの頭を抱え込むように抱き締めながら、体が痺れていくのを感じた。部屋中に煙が充満すると息すらし辛い状況へと追い込まれ、男たちの口からは泡が出始めている。遠のきそうになる意識に歯を食いしばり堪えると、次第に煙が収まっていった。霞む室内を見渡すと、剣を支えに膝をつき耐えている護衛達の姿が確認できた。アメリアもトーマの所まであと少しと言う所でぐったりと座り込み、苦しげに眉を寄せながらも顔を上げたので、意識はあるようだ。抱きかかえていたロッテは、泡は免れたもののピクリとも動かない。麻痺にあてられているようだ。
「流石、トーマの、薬ですね」
「ああ、苦ぇだけあるわ…」
動かしにくい体を無理やり起こすと、辺りを見渡したウィルは苦笑を浮かべる。彼の発言に声を上げて笑ったレオルドも、ニヤリと口の端を上げた。
「大丈夫か」
こちらへ振り返るライアスは、トーマと目が合うと意外なものを見るように驚いた表情を浮かべたのちに、ニヤリと笑う。爽やかで優等生な彼でも、あんな悪い顔が出来るようだ。
「トーマ、俺の合図で撃てるか?」
彼が何を聞いているのかすぐに理解できたトーマは、頷くと右手へと魔力を集中し始める。痺れている体とは対照的に、神経が研ぎ澄まされているのを感じた。
「くるぞ」
厳しいライアスの声色に全員が顔を引き締めれば、静かに扉が開き、神父が伺うように顔を出してきた。それぞれ揺らぎながらも立ち上ろうとしていた3人に、神父は舌打ちをすると、懐へと手を入れる。
「しぶとい奴らだ」
何かを取り出そうとした所で、ライアスは近くに落ちていたティースプーンを拾うと神父へ向かって投げつける。自分の方へと飛んできたティースプーンを腕で振り払った神父は、声をあげて笑った。
「こんなもので私は倒せませんぞ、護衛殿!」
勝ち誇った笑みを浮かべ懐から取り出したのは、片手に収まる程度の玉のようなもの。恐らく先程投げ込んできたものと同じだろう。
「トーマ!」
鋭いライアスの声に答えるよう、トーマは片腕を神父へと向けると魔法を発動させた。強い魔風を帯びて発動した魔法は、次の瞬間には部屋中を凍り漬けにする。神父が驚き離れようとした時にはもう遅く、彼の足は凍って動かない。それどころか、すごい勢いで氷は上っていき、腰と麻酔玉を握っていた腕までが凍り付いた。
「なんだと…?!なぜ魔法が使える!!」
ふらふらと立ち上がるトーマの姿に、神父は口から泡を飛ばしながら叫ぶ。それがトーマの癪に障ったのか、きつく睨み付ければ、神父はひっと声を飲み込んだ。
「トーマ、さん…」
威嚇しているトーマへ声をかけたのは、アメリアだった。あと少しの距離を四つん這いで這ってきた彼女は、スカート裾が黒く汚れていた。だが、そんなことを気にする素振りも見せず手を差し出している。治癒をするために差し出されているアメリアの手を、トーマは膝を着き掴むとすぐに部屋は光に包まれた。
「麻痺解除」
出るようになった声でアメリアに魔法をかけると、彼女は急に動けるようになった体に驚きながらトーマを見上げた。なぜ麻痺が無くなったのかと視線だけで問うてくる彼女に、手首を擦っていたトーマはニヤリと笑って見せる。
「この程度だったら無効化できるよ。でも、流石に解除系の魔法は、呪文を唱えないと制御が難しいんだ…ありがとう、アメリア。助かったよ」
最後は苦笑混じりのトーマに、アメリアは微笑みながら首を振る。それから、すぐにぐったりとしているロッテの治癒へと取り掛かかれば、これでロッテは安心だろう。ほっと息を吐いてから視線を再び前方へと戻したトーマは、辛そうにしていた護衛達一人ずつに麻痺解除の呪文を唱えてやった。
「無詠唱…これは…とんでもない逸材だ…!」
体の半分が凍っていると言うのに、トーマをみてクツクツと笑う神父は、明らかに異常だ。機嫌が悪そうに神父を睨み付けるトーマに、ライアスはアメリアとロッテの傍に居てやれと声をかけてから、これからについて指示を出し始めた。
教会には、通信機が設置されている。高度な魔術が必要な通信機は一般には普及しておらず、教会以外では警ら隊が駐在している砦と王都の城内だけだ。どんな小さい村にも教会があるため、国内の状況把握に一番適しているのがその理由らしい。もちろん、そんな高価なものが教会に設置されているとは一般公開されていないし、働いている者達も知らないだろう。近くの砦に要援を申請しておいた、と当たり前の顔で告げたライアスだったが、極一部の限られた物だけが知っている情報をなぜ知っていたのかは、聞いてはいけない気がするので止めておいた。
神父と麻痺している男達を縛り上げた後に、ウィルとレオルドを見張りに残しまだ教会内に残党が居ないか調べればすぐに見つかった。その中には、先日トーマが神父へ伝えろと逃がした男の姿もあり、神父を拘束したと告げればその男を筆頭に大人しく従う。あっさりと降伏する男達に驚いたトーマに、あんたには仮があるからと告げられたのは意外だった。
そこから警ら隊が到着するまでに時間はかからなかった。事前に聖女の治癒を求め町に怪我人が溢れ返っていることを伝えていた為、沢山の医療品を持参しての到着にはとても有難い。アメリアの希望を引き継ぎ、広場へと仮設テントを張った警ら隊は、比較的軽症者に対して怪我人の手当てを行う。それでも助けられない重体者が出た場合、奥で待機しているアメリアが治癒を行った。聖女の治癒のように一回で完治するわけではなかったが、親身になって手当てをしてくれる警ら隊にはみな感謝の言葉を告げて後にするのが印象的だ。
アメリアの治癒により一命を取り留めたロッテは、未だに目が覚めずにいた。アメリアが治癒活動をする間だけでも良いので、簡易ベッドを借りたいと申し出れば快く承諾をしてくれ、治癒活動する部屋のもう一つ奥の部屋(と言っても布で仕切られただけなのだが)へ仮設ベッドを貸し出してもらった。彼女の傍にトーマを残し、アメリアは護衛を引きつれ治癒活動へと向かう。布越しに漏れてくる彼女らの話し声を聞きながら、何とか今回も危機を乗り越えられた等とぼんやりトーマは考えていた。楽しげな笑い声が聞こえ、全員が無事に生きていることを実感すると自然と顔がにやけてしまう。それを隠すことなくトーマは機嫌よく伸びをすると、突然横から笑い声が聞こえた。
「?!」
驚いて椅子から落ちそうになるのを必死に食い止めれば、すでに起き上がっていたロッテはすみません、と更に笑いを含んだ声をかけてくる。
「目が覚めたんですね」
「はい。ごめんなさい、あまりにもトーマ様が嬉しそうでしたので、つい…」
「え、そんな顔に出てました?」
「ええ。あ、それと…私の怪我は…」
「アメリアが治してくれました。…うん、顔色も良さそうですね」
覗き込むように顔を寄せれば、彼女の頬がほんのりピンクに染まっていた。出会った頃とは比べ物にならないほど健康的な印象を受ける。
「どうですか?どこか、痛いところは?」
「大丈夫ですわ。斬られたはずの背中も、すっかり」
「良かった…吃驚したよ、突然前へ飛び出すんですもん…」
「申し訳ございません。ですが、どうしても、トーマ様をお守りしたくて」
「お陰で助かったけどね」
苦笑を浮かべるトーマに、ロッテは良かったですと微笑むとゆっくりベッドから足を出した。
「まだ寝てた方が…」
「神父様は?」
「え…」
「捕らえられましたか?」
「…ええ、警ら隊の方が」
「…私も、連れて行って下さい」
「え、何を…」
「私も同罪です。強要されたと言っても、偽の聖女を語っていたのは事実です。罪は、償わなければなりません」
「でも、ロッテさん!」
思わず声を上げたトーマの口を、ロッテは自分の人差し指を添え噤ませる。納得いかないと目で訴えるトーマに、ロッテは困ったように笑うのみだった。
「目が覚めたか」
かけられた声に振り返れば、布をめくったライアスが立っている。その奥では、アメリアが良かったですと微笑んでいた。ロッテは立ち上がり服の皺を払うと、アメリアへ向かって深く頭を下げた。
「聖女様、有難う御座いました」
「いえ、無事で良かったです。どこか痛いとこはありませんか?」
頭をあげたロッテは、驚いてからくすりと笑うと首を振った。視線をライアスへと向ければ、彼は分かっていると頷く。
「隊長の下へ連れて行こう」
「有難う御座います」
「ロッテさん…」
引くつもりのない彼女にどうしようもないと分かったトーマは、とても悲しそうな表情でロッテを見つめていたようで、振り返ったロッテは、トーマの顔を見てひどい顔と笑った。トーマも同じように立ち上がりロッテを見下ろすと、彼女はトーマに対しても頭を下げた。
「有難う御座いました、トーマ様」
「…うん」
「出来れば、もっと早くに貴方に出会いたかったですわ」
「え…」
「この力が分かった時に、貴方と出会えていたのなら、もっと他の道があったかもしれない。そんなもしもの話をしても仕方ありませんが…」
「大丈夫、貴女の魔法は本物です。俺が保障しますよ」
「本当に…優しすぎますわ。聖女様が羨ましい…」
なんとも言えない表情を浮かべるロッテは、これぐらい許してくださいと呟くと、トーマの胸元を掴み背伸びをする。驚くトーマの上半身を引き寄せ、彼の頬へと口付けをすれば、トーマは頬を赤くして固まった。初心な反応を見せてくれた彼ににこりと微笑みかけてから、ロッテはライアスへ向きなおす。
「もう良いのか」
「ええ、これ以上居ては縋ってしまいそうですので」
「…行くぞ」
くるりと背を向け歩き始めるライアスに、ロッテは迷うことなくついていく。部屋を出る時に、もう一度呆然とこちらを見つめているトーマへ頭を下げると、もう振り返ることはなかった。仮設テントから外へ出れば、既に空は赤く染まり始めている。こんなに清々しい気持ちで空を見上げられるのは久しぶりだ。
「良いのか。偽聖女を語っていたと分かれば、死罪は免れないぞ。俺たちで口添えして」
空を見上げていたロッテにライアスが声をかければ、彼女は首を振った。
「結構ですわ。もう縋らないと、決めましたの」
意思の強い瞳でしっかりとライアスを見つめ返せば、彼はそうかとだけ口にすると歩き始めた。
「さようなら、優しい魔術師様」




