5-3
気付けば、トーマは牢屋の中に居た。痺れる体は鉛のように重く上手く動かせないし、猿轡を噛まされている口が気持ち悪い。
(牢屋って、良い思い出ないんだけど…)
溜め息を吐きながら立ち上がろうとしたが、痺れている体の上に、腕が後ろで纏められていたので体勢を崩し床へと倒れこむ。水浸しの床は容赦なくトーマの体や顔を汚し、気持ち悪さに頭を振りながら自由のきかない体をゆっくり起こして辺りを見回せば、王都の牢とは比べ物にならないほど劣悪な状況なのは明らかだった。足元は水浸しで、壁には鎖で繋がっている手錠がぶら下がっている。隣の牢へ目を向けると、同じような内装で手錠に繋がれているライアスの姿があった。向かいには、アメリアが壁に背を凭れて座り込んでいたし、その両隣の牢にはライアスと同じように鎖に繋がれた手錠に腕を拘束されているレオルドとウィルがそれぞれ入れられていた。アメリア以外はまだ意識がないのか、ぐったりとしている。
もう一度溜め息をついた所で、小さな足音が近付いてきたのに気付く。顔をあげれば、向かいのアメリアも同じように足音の方を見つめていた。コツコツと言う靴音は一回止まると、重い音を立てて扉が開く。すると、扉から白いドレスを着た華奢な少女が入ってきた。少女はドレスが汚れることも気にせずに牢屋の中へと駆け寄ると、迷うことなくアメリアの牢の前で立ち止まり鍵を取り出した。
「御免なさい、御免なさい…!」
何度も謝りながら鍵穴に鍵を差し込む少女だったが、一向に鍵は開かない。
「なんで?!なんで開かないのよ…!!」
それは最早悲鳴だった。取り乱す少女をぼんやりと眺めていると、再び足音が響き渡った。先程少女が入ってきた扉の方へと目をやれば、荒々しく開かれた先に大柄の男が現れる。悲鳴をあげながらも鍵を離そうとしない少女の元まで歩み寄ると、少女を勢いよく蹴り飛ばす。簡単に蹴り飛ばされた少女の体は、大分遠くの所でぐったり蹲ってしまった。男は胸ポケットから取り出した鍵でアメリアの牢を開けると、そのまま中へと入っていく。手錠のみをされていたアメリアは簡単に捕まってしまうと、鉄格子の方へと蹴り飛ばされた。
「っ!」
大きな音をたてながら鉄格子へとぶつかるアメリアに、思わずトーマは声にならない声をあげる。すると、それに気付いた男は楽しそうに笑った。
「良かったな、聖女殿。最期を見届けてくれる奴がいたぞ」
その声に驚いて振り返ったアメリアと目があった。
「魔法の応用で皆簡単に騙されてくれたのも、本物の聖女殿が現れてくれたお陰だ。信憑性をあげて頂き感謝しているが…この世に聖女は二人も要らんだろう?」
男は口の端を吊り上げるようにして笑うと、腰に差していた剣を引き抜いた。
「助かったよ。有り難う、聖女殿」
剣は簡単にアメリアの背から胸を貫き、鉄格子の外にまで飛び出た。大きく見開かれ瞳の中に、呆然と座り込むトーマの姿が映っていた。
そこで意識は覚醒する。
前回のように、またアメリアの死ぬ夢を見たんだと認識するまでには、時間が必要だった。荒い呼吸をなんとか整えると、トーマはやっと夢を見ていたんだと落ち着くことが出来た。静かに起き上がると、隣で眠っているウィルを覗きこむ。彼は、こちらに背を向けて眠っているようで、起こさなかったことにほっとすると部屋を見渡した。大の字になって眠っているレオルドが何か寝言を言っているのは確認できたが、ソファーで寝ているはずのライアスの姿が見当たらないのが気になって、トーマはそっとベッドから抜け出した。普段だったらお手洗いだろうと気にも留めないはずなのだが、どうしてもあんな夢を見てしまったからか無事な姿を見ておきたかった。リビングへと出ると、庭へ続いている窓が少し開いていることに気づき、カーテンをめくれば庭先にライアスが立っているのを見つけた。
「ライ?」
声を変えれば、ライアスは驚いたような表情を浮かべ振り返ったが、直ぐにいつものように笑って見せた。トーマは窓から外へ出ると、しっかりと窓を閉めた。外は肌を切るような寒さだったが、今の気分には丁度良く感じる。
「どうしたの、そんな薄着で風邪引くよ?」
「それはトーマも同じだろう?」
二人とも眠っていた時のままの格好のため、ひどく薄着だった。確かに、と小さく笑いながら近寄ったトーマの顔を見て、ライアスは眉を潜める。
「酷い顔をしてるぞ…また夢を見たのか?」
思いのほか暖かかったライアスの手に頬を撫でられ、トーマは苦笑を浮かべる。
「そんな酷い顔してた?」
頷くライアスに、小さく息を吐きながらトーマは目を逸らすように空を見上ると、空気が澄んでいる分、星が綺麗に光っているのが分かった。
「夢をね、見るんだ。アメリアが死ぬ夢。これで2回目なんだ」
「死ぬ夢…?」
「そう。しかもやけにリアルでさ…嫌になるよね」
「…それは、解除者の見通す能力なんじゃないのか?」
「なのかもしれないけど、確信が持てないんだ。アメリアに次の町で死ぬ未来がある、なんて流石に伝えられないでしょ」
「トーマ、初めに言っただろう、もっと人に頼った方が良いと。見通すのはトーマだが、排除するのは俺たちの役目だ。一人でなんとかしようと考えるな」
出会って間もない頃に言われた言葉をもう一度くれるライアスに、トーマは驚いた。あの頃は子供だと思って言ってくれた言葉だったはずなのに、全く変わらない態度に嬉しくてつい甘えてしまいそうになる。トーマは小さく礼の言葉を述べると、しっかりとライアスへと視線を返した。
「もう少し、見極める時間を下さい」
しばらくの間トーマの目を無言で見つめるライアスだったが、ふっと息を吐くと微笑みながら頷いてみせる。それを見て、トーマもやっと息を吐いた。
「もー、ライっていい男だね。惚れちゃいそう」
感情が高ぶり、少し涙目になりながらもいたずらっぽく笑うトーマに、ライアスは自然と腕を伸ばしていた。一瞬迷った腕はそのままトーマの頭へと乗せると、彼は何も言わず黙って撫でられた。くしゃりと撫でると目を伏せるトーマの姿に我に返ったライアスは慌てて手を引くと、トーマは不思議そうな表情を浮かべ顔をあげた。
「悪い、つい…」
最初トーマは何について謝っているのか分からなかったのか首を傾げたが、すぐに思い当たるとヘラっと笑う。
「ううん。ライに撫でられるの、好きだよ。安心する」
そうか、と小さく笑うとライアスはトーマの髪を掻き乱した。
「わっ」
「いつまでもそんな格好で外にいたら風邪を引く。早く戻れ」
「うん。ライは?」
「俺はもうちょっと風に当たってから戻るよ」
「そっか、分かった。じゃあ、お休み」
「ああ、お休み」
もう一度今度は優しく頭を撫でてから軽く肩を押すと、トーマは大人しく部屋の中へと戻っていった。ぱたんと窓が閉まるのを見送ってから、ライアスは大きな溜め息と共に口を押さえると、みるみる内に頬が赤く染まっていく。涙目で笑った顔を見て伸ばした腕は、何をしようとしたのか…
(抱き締めようと、したなんて…)
大きく息を吐くと、とうとうライアスは座り込んでしまった。
なんだかほっこりした気分で部屋へ戻れば、出る前と変わらぬ光景が広がっていた。あれほど不安だった気持ちはどこかに飛んでいっており、悪い夢を見た後だと言うのに落ち着いて眠れそうだった。静かにベッドへ潜り込むと、トーマの寝ていた所はすっかり冷たくなってしまっている。意外と長い間外にいたのだと思うと、ライアスも引っ張ってくれば良かったと後悔した。
「落ち着きましたか?」
急に囁くように声をかけられ、隣へ目を向ければウィルが寝返りをうちながらこちらへと体ごと向けてきた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いえ、私が起きたのはライが部屋を出ていった頃なので、トーマのせいではありませんよ」
いつもと変わらない笑顔を浮かべながらトーマへ毛布をかけてやるウィルの言葉が本当ならば、大分前から彼は起きていた事になる。申し訳なさそうな表情を浮かべるトーマに、ウィルはくすくすと笑った。
「申し訳なく思うなら、私の抱き枕になって下さい」
「抱き枕…?」
「ええ、朝まで離しませんが」
「うえ…」
あからさまに顔を引きつらせるトーマに、ウィルは残念と笑ってから真剣な表情を浮かべ見つめてきた。
「眠れそうですか?」
「うん、もう大丈夫だよ」
「そうですか。明日は早いですよ、早く眠りなさい」
「うん。お休み」
「ええ、お休みなさい」
目を閉じれば、トーマは再び眠りへついた。




