外壁の悪夢
「ズミーレさん! 良かった、貴方達を探して居たんですよ」
イザが少し緊張を解いてズミーレに近づくと、
「こちらこそ、合流相手がイザ君達とは心強い」
ズミーレも渋面をほぐして握手を求める。そしてすぐさま安全確認の済んだ区画に移動すると、お互いの情報を交換し合って迷宮都市の全容を掴もうとした。
迷宮化当初から調査を始めていたズミーレ達の話によると、街門から外には魔法陣の結界があり、隆起した溶岩外壁がスラム街を押し上げて物理的な壁となって脱出不能らしい。そして街門には市民の一部が集まり、シーメン流治癒院院長のオルトスとその弟子達が簡易結界をはって保護しているとの事。だが一部の民兵が一緒に守りを固めているが、そう長くは持たない様子だったらしい。
そして核心を突く情報として、この街を元に戻すには迷宮攻略がカギを握るのではないかという推測が語られた。ほぼ全ての迷宮に存在するという迷宮核と言われる物を破壊して始めて迷宮化は解除されるらしい。ズミーレ達はその気配を探っている最中だという事だった。
それに対してイザ達の持っている情報は、領主の館の変貌とアサルト・ローチ達の進出してきた経路位のものだが、それを聞いたズミーレは深刻そうに、
「やはり何者かの意図が有るな、ローチの発生源が闇の魔法陣と来れば、普通に考えると悪魔の介在が妥当か……」
また城郭という分かりやすい特徴も迷宮核の所在地として怪しい等々、仲間も交えて今回の事態を検討し始めた時、ズミーレのポケットから〝ジジジ……〟という次元魔具の発動音が鳴った。
ズミーレが魔具を取り出して、所定の操作を施すと、
「……ミーレ、ズミーレ、応答されたし」
聞き覚えのある声が掠れながらも聞こえて来た。この魔具を与えた本人、ドルケスの良く通る声は、一度聞いたら忘れられない美声である。
「はい、ズミーレです、ドルケス様ご無事でしたか」
イザの話から領主の館内部の人間は全滅した可能性もあると踏んでいた為、ドルケスの健在は喜ばしい情報だった。
「こ……は無事だ、とは言え……個室に籠らざるを……状況だ」
かなり聞き取りづらい通信に、次元魔法の魔具すら妨害される程の魔力が存在しているという事実を突きつけられる。
この分ではこちらの言葉も途切れ途切れに聞こえているかも知れない。
「ドルケス様は現在も館の中ですか?」
「……れわれはい……ざい領主の館の……にいる、建物外の諸君ら……協力を得て脱出をはっ……とおもう」
その後根気強く交信した結果、迷宮城の一室に立て籠もったドルケス率いる兵団は退路を断たれて孤立しており、脱出の協力を求める為に連絡して来たという事が分かった。
有限な魔具の残り魔力を惜しみ、温存するために通信を切るよう提案したズミーレに、外壁周囲にも魔具を持ったドルケスの部下が居る事が伝えられた。
その聡明な措置に感服しつつ、次元魔法使いのアートに操作を代わってもらい、魔具の調節を始めたズミーレ達は、早速ドルケスの部下に向けて魔具を発動させた。
空中を落下しながら今迄の人生を振り返る、あゝあの娘に告白しておくんだった、とか、あいつをぶん殴らないまま終わるのなら、あの時のあのタイミングで一発入れとくんだった、などなど取り留めの無い思考の後、両親亡き後に親身になって育ててくれた叔父夫婦の顔がよぎる。その不安気な顔を見て、大丈夫! 俺はやれるだけやったさ! と大声を出しても、悲し気に首を振るだけで、その事が俺の胸を締め付けた。
「アンジー! アンジー・メイラー! 分かるなら返事を!」
知らない人間の大声で叩き起こされた俺は、胸を締め付けられているのでは無く、単に胸に受けた傷が引き攣れているせいである事に気付くと、寝呆けた思考から段々と覚醒してきた。
「はっ! バイユ王都軍正規兵アンジー・メイラー、唯今参上仕りました!」
軍隊内部の事なら取り敢えずは礼を示さなければ! と、身を横たえながらも咄嗟に背筋を伸ばして敬礼すると、狼狽えた気配の後で、
「大丈夫ですか? 無理はいけませんアンジー殿。目が見えますか? 見えるなら私の顔を見て返事をして下さい」
よく聞くと低めながらも女性の声だと分かる。その小さな驚きに目を開けると、ボヤける視界に俺の顔を覗き込む人の顔が映った。
「お返事を、アンジー殿。私はドルケス様より遣わされた騎兵隊のイゼルと申します」
焦点の合った目に飛び込んで来たのは、軍人らしく日に焼けて精悍な顔付きの女性だった。何処と無く親しみ易い顔をしていると思ったら、幼馴染の娘に似ているせいだ……などと回らぬ頭でボンヤリ考えていると、
「アンジー殿? まだ傷の具合が芳しくありませんか? 胸に受けた傷はポーションと応急処置で止血済みですし、落下の際は我が竜馬がキャッチしたので衝撃は受けていないと思われますが」
ボーッとしている内にスナにやられた事を思い出す、たまらずに体を起こすと胸の痛みも押しやって、
「あいつは、スナは殺ったのか?」
傍でアンジーを押しとどめようとするイゼルに詰め寄った。
「スナ殿は……いや、スナはアンジー殿の剣によって深手を受けて、最後には自ら作り出した土壁にかき混ぜられて死にました」
イゼルの言葉にホッとしたのか、痛みを思い出して「いてててて」と顔をしかめながら横たわる。
「あいつは何であんな事を……」
天井を見上げて呟くアンジーに、
「無理をしてはいけません」
と世話を焼くイゼルの後ろから、
「おい! そいつが目覚めたなら早速仕事に取り掛かるぞ!」
野太い男の声が聞こえてきた。それを受けてイゼルも頷くと、
「シュビエの街は今大変な事態に巻き込まれています、スナの仕掛けた魔法陣が完成した時、街全体が迷宮化してしまいました」
後ろの男を気にしつつも、衝撃的なイゼルの言葉に耳を疑う。街全体が迷宮化? 歴史上にもその様な事態を聞いたことも無い。
「では中の住民は?」
一番気掛かりなアンジーの問いに目を伏せたイゼルは、
「殆どの者が変動時に巻き込まれたか、生き残っても街に溢れ出した虫型のモンスターに襲われてしまったでしょう」
申し訳無さそうに項垂れる。だが、次の瞬間には顔を上げると、
「ですが! ドルケス様は生き延びています! 残留兵団を纏め上げ、城郭化した領主の館の中で我々による救出を待っています。その事について先程ドルケス様の手配した遺跡ハンター達と話し合いました。事態は一刻を争います! どうか回復次第アンジー殿にもご助力を願います」
一気にまくし立てると、後ろの男もうんうんと頷く。
「で、後ろの方はどなたですか?」
訝しむアンジーの視線を受けて、姿勢を正した男は、
「お控えなすって、良くぞ聞いておくんなすった! 行き掛かり上イゼルさんと協力する事になった、タイデルが王都、エグザの街を取り仕切るシーフギルドの長の一人、悪夢と言われる兄弟が弟の〜っ! 悪火のズキたぁ俺の事よ」
ビシッと見得を切った男の名前は、門番兵たるアンジーにとって一番警戒すべきブラック・リストのトップに載る存在だった。
得意気な男の髭面を見上げて、
『なんて日だ……敵と味方が入り混じり過ぎてよく分からなくなって来た』
頭を抱えるとそのまま寝床に丸くなった。
紫閻王と赤閻王は、アサルト・ローチの群れを率いて狩り集めた人間の詰まった部屋に赴くと、半死状態で転がる人間にトドメをさして回った。
溢れ出る血液を赤閻王が、そして抜け出る魂を紫閻王が残らず吸い上げると、残骸をダーク・ローチに、更にその残骸をアサルト・ローチに始末させる。
しばらくして巨体をくねらせた赤閻王は、ダーク・ローチを三匹とアサルト・ローチの半数を連れて、部屋を後にした。
まだ魂を貪り続ける紫閻王に気を使って出て行くあたり、多少の上下関係が築かれているのか? だとしたら紫閻王の方が兄的な立場なのかも知れない。
その赤閻王は以前よりダーク・ローチに命じて迷宮城の中に取り残された人間を狩る為の準備を進めていたが、どうやら立て籠もった場所に結界が張られており、突入したくても手出しが出来ないらしい。扉前のアサルト・ローチ達が結界の魔光を嫌がってキィキィとうるさく鳴き喚く。
だが赤閻王がやって来るとピタッと雑音が消え、全員がその一挙手一投足に視線を送る。全ての注目を集めた赤閻王は、
「ギィィィィィッ!」
と甲高い鳴き声を発すると、扉の前で魔力を集め出した。久し振りに高まる赤閻王の魔力に、それまで傍観を決め込んでいたアサルト・ローチ達が散るように逃げ出す。
そして魔力が口元に集まると、特殊な内分泌液が巨大な顎から滴り落ち、その後を追う様に、喉の奥から泥状の体液が熱波を伴う火炎をあげて吐き出された。泥状火炎がドアにぶちまけられると、張り付いた炎は勢いを増して燃え広がる。近くにいた数匹のアサルト・ローチがその熱波に焼かれて触覚や羽を溶かされる程の高温だった。
燃え上がるドアに、更なる泥状火炎を吐き出す赤閻王。木製扉の表面は焼け焦げ、中からは特殊金属製の補強材が剥き出しに見えていた。
外から聞こえて来る燃え盛るドアの音に、魂を喰らって満足気な紫閻王はゆっくりと反応する。まだ死体を貪る部下達に苛立たし気に一鳴きして、残りのダーク・ローチとアサルト・ローチを引き連れて部屋を出た。向かう先は唯一城と街を結ぶ移動経路である地下に開かれた黒魔法陣。
そして神経質そうに魔法陣を探ると、若めのダーク・ローチを先頭に、一万匹にも及ぶ部下達全員を魔法陣の中に送り込んだ。最後になった紫閻王は、重い巨体を大儀そうに動かすと、モゾモゾと尻尾から魔法陣に入って行く。その様子はまるで熱い風呂に用心深く浸かる年寄りの様に鈍重だった。




