影剣の疼きと黒市民
「おや? バーモールや何じゃその格好は。お前さんなんだか少し変わったねぇ」
腰に手を当てて上から下まで面白そうにジロジロと観察したハードキィが、からかう様にハスキーな声を上げる。
昔の仲間の声に微笑を浮かべたバーモールは、
「でしょ? ようやく私の願いが叶ったって訳よ」
普段と異なり、砕けた口調で魔力を隠匿するハーミット・ローブのフードを脱ぐと、周囲を圧迫する様なオーラが溢れ出した。
「おやおや、これは珍しい物を見せてくれるじゃないか。お前さんいつの間に人間辞めたんだい?」
薄紅色に変化した肌と、溢れ出す魔力量に一瞬瞳を見開いたハードキィは、すぐに魔人化した彼女の正体に気付くと、喜色満面声を弾ませて音も無くスッと近寄った。
間近で見ると肌の色艶が以前とは比べられない程に瑞々しくなっている事が分かる。それはまるで少女の様な、薄っすらと光を放っているかの様な柔肌だった。
「貴方にも材料集めてもらった薬に、まさかこんな効果があるとは知らなかったわ。魔人になる事で若返っちゃった」
テヘッと笑うバーモールは外見に引っ張られて精神面も若返った様に見受けられる。そんな彼女を師匠の後ろから眺めていたズカとズーパンチは、既に何事に対しても無感動に成っているにも拘らず、見知った人物の魔人化という稀有な体験に度肝を抜かれていた。
「ちょっと触らせてもらっても良いですかい?」
興味津々で手を伸ばすズーパンチの真っ黒な手をパチンと叩いたハードキィは、
「確かに珍しいけどバーモールはバーモールさね。こっちは急ぎの用があるんだ、奥に通してもらうよ」
と言うと返事も待たずに奥にズンズンと進んで行った。
内密な話が出来る様に、バーモールの私室へと階段を上がって行くと、念話で呼び出しておいたテオが途中から合流した。
「この娘は私の後継者、全てを教えている最中だから、この件にも関わらせてもらうよ」
一番奥のビロード張りの椅子に腰掛けたバーモールが紹介する。
「ああ、いいともさ、あんたが良いってんなら相当使えるんだろ?」
ハードキィが少女の頭の頂から足の先までを値踏みする様に観察した後、右手を差し出して握手を求める。
そして「ほぅ」と感心したような声を上げた。
「悪魔の血が混じっているじゃないか、まさか敵側の者じゃないだろうね」
少し険のたった表情になると、剥き出しになった牙が鈍く光る。
「私の弟子だよ、そんな下手はうたないに決まってるだろ」
ニヤリと笑ったバーモールが夢水晶を操作すると、バーモールの記憶にあるテオに関する情報がハードキィの脳裏に直接流れ込んだ。
断片的に映し出されるのは、田舎町で娘が特異な先祖返りを起こして迫害される一家の姿ーーそして追い詰められた父親が娘に手をかけそうになり、母親が娘を連れて逃げる所ーーそして母親を殺された反動で魔力を解放したテオに惨殺される男達ーー血みどろの少女に笑みを浮かべて近づいて、きつく抱擁するバーモールーーそれと同時に赤裸々な少女の心情までもが流れてきた。
「……成る程そういう事かい、失礼したねお嬢さん、今回は私も少し神経質になってるみたいじゃ」
ハードキィの謝罪に頷き返すテオ、集まった面々を見ても、只事では無い事は理解している。
「通信でも話した通りじゃ、私が追い求めておる黒の姉妹がこの街の近くに居るらしい」
ハードキィが右前腕の内側を見せて言う、そこには真っ黒な鉤爪型のナイフと巻きつく紐模様の墨が描かれていた。
その鉤爪ナイフのタトゥーは生き物の様に細動している。柄の部分から繋がる紐は脈動を繰り返し、衣服に隠された上方に伸びていた。
「この影剣の疼き、間違いなく奴らは近いぞ」
「例の奴らだね、今度は私が協力する番、なんでもするからドーンと任せて!」
頼もしいかつての仲間の言葉に、ふっと微笑を浮かべると、瞬時に影剣を実体化させる。平面に描かれていた筈の鍵爪剣は重々しい実体を伴って彼女の手中にあった。
「この剣の持ち主との契約、やっと果たせる時がきたようだね。その為の駒も揃った事だし、後は追い詰めるだけじゃ。皆しっかり頼んだぞ」
闇を実体化させた様な影剣を掲げたハードキィの檄に皆が頷くと、バーモールの夢水晶を中心に、情報交換をしながらこれからの事を計画していった。
ーーその三日後ーー
シュビエを襲ったモンスターの大軍によって、綿密に練られた彼らの計画は修正を余儀無くされる。それら全てがある者の意図によって操られている事に、この時の彼女等は気付く余地もなかった。
「ソイル閣下、それでは我が部隊の力は半分も発揮されませぬぞ」
語気鋭く主張するドルケスの言霊に、列席者は一様に身を縮こませる。だが、槍玉に上げられたソイル・カルバートⅢ世は、蓄えた髭を擦りながら平然と軍事顧問を見据えた。
「うむ、分かっておる。だが外壁の戦いは顧問魔術師の活躍で大分有利に進んでおると聞くぞ。しかも正規のシュビエ民は街門の内側に住む者達を示す。つまりはそういう事じゃ」
ソイルの案、それは外壁の守備は民兵隊と半数の正規軍に任せて、残り半数は街門内に留まり守りを固めるというもの。更に軍事顧問のドルケスにはその部隊を率いて待機するというオマケ付きだった。
「現在外壁にて応戦して居る半数は兵隊とは名ばかりの民草、戦地が確定している以上彼らと正規軍を入れ替えて事に当たった方が勝利はより確実な物となります」
ドルケスは必死に訴える、この会議の決定事項で、彼の部下達の生死が決まるような物だ。
だが、最高級の抗魔の防具に身を固めたソイルには、その言霊も効き目がなかった。全盛期のドルケスならば、それしきの防具を無効にする程の魔力を発揮できたが、齢70を過ぎて戦場に魂をすり減らされた身に残る魔力では、周囲の者は調伏出来ても、肝心の領主までは言霊の力が及ばない。
「その民兵は元々盗賊であろうが、その様な者達に街の警護を任せる訳にはいかん、半数の正規兵を出すだけでも最大限の譲歩と心得よ」
ソイルの言葉に列席者たちも頷きながら賛同の声を上げる。内心では忸怩たる思いを抱きながらも、将軍職を辞したドルケスに立場的にそれ以上の要求は許されなかった。
「では、せめて通信魔具を持たせた兵士を派遣させて下され、情勢の変化に対応しなければ街門とて破られる危険が否めませんぞ」
ドルケスの提案に思案したソイルは、合理主義者らしく、
「そこら辺の調整は戦場働きに長けたドルケス殿に任せる、私も兵士や外壁民を見捨てた訳では無いのだ。ただシュビエの民を守る事を最優先課題とする、そこを譲るつもりはない」
それにて会議はお開きとなった。少し後に、王都からドルケスと旅を共にした従者の内の一人が、数名の部下を連れて竜馬に跨り、シュビエの街門を駆け抜けた。胸には通信用の魔具と、ドルケスより託された包みを抱えて。
「行ったか?」
遠ざかる軍用竜馬達の蹄の音を、息を潜めて聞いていた男が囁く。隣には彼の妻と子供達、そして隣に住む男が縄で縛り上げられて床に転がされていた。口には猿ぐつわを咬まされており「ムグーッ、ムグーッ」と苦しそうに呻いている。
スラム街の中にある、何の変哲もない掘っ建て小屋の一つに彼らは息を潜めて潜んでいた。
その小屋の床に敷かれたムシロを剥がすと、驚いた事に土を掘って出来た地下室がある。周囲の土壁と同じく真っ黒な溶岩石で囲まれた地下室に、隣の男を運び込んだ一家は、中央に黒々と隆起する岩杭に向かって祈りを捧げた。
「恐れ崇め奉ります黒神様、生贄を用意させて頂きました。どうぞこの者の魂をお納め下さいませ」
スラム街に蔓延している黒神信仰、黒神の呪いに生活の全てを奪われた彼らは、黒神を恐れ神と奉る事によって、その呪いから逃れられると信じていた。
無理やり岩杭の側に連れて来られた男はあらん限りの抵抗を試みるが「黙れ!」と振るわれた父親の松明に頭を殴られて、ピクピクと痙攣しながら昏倒した。
一家総出で男を持ち上げると、岩杭の上に運ぶ、
「黒神様、どうか魂の供物によってお気を鎮め下さいませ」
一心に祈りを捧げた彼らは、抱えた男を岩杭の上に思い切り叩き落とした。
くぐもった声と共に、胸を貫いた岩を伝って大量の血液が溶岩石を穢す。冷え切った床からは、男の体温が湯気となって立ち昇っていった。




