黝い煙を吐き出しながら
奇跡を行使する巫女の周囲には目に見える魔法陣の様な物は一切無く、暗い部屋に小さな少女がポツンと跪き一心に祈りを捧げる姿は貧相ですらある。
部屋の前方で繰り広げられる戦闘に見向きもせず、ひたすらブツブツと祈りの言葉を捧げる。まるでそこだけが神殿の祈りの間の様に静謐とし、ラヴィ達の上げる摩擦熱とのコントラストで余計に閑散として見えた。
見え辛いが彼女の周囲には小さな壺が六つ、正六角形に配置されている。
見るものが見たら分かるであろうその壺には、様々な属性の小さき精霊片が詰められていた。
地精の宿る鉱物片、水精の宿る古井戸の水、火精の宿る紅魔石の破片、風精の宿る朧鷲の飾り羽根、光精の宿る麒麟の鱗、闇精の宿る月齢石の欠片。
取り立てて貴重品という訳でもない。どれもオーバルのリーバ神殿司祭長と一緒に採取し、買い求め、聖別したミストの思い出の品だった。
それぞれの壺は波形の異なる小さな魔力を放出している。それは奇跡の行使にとってほんの道標の様な代物だが、個々の品に込められたささやかな思いが優しくミストを導く。
そして小さな手には、セレミーから譲り受けた邪霊の種が包まれていた。
道具の行使、それは普段の儀式において無手を常とするリーバ神の巫女にとって珍しい光景だった。それ程に今行おうとしている儀式が繊細で難しいと言える。
世界を構築する六柱の精霊に通じるか細い糸ーーその儚い繋がりを手繰り寄せる様に神聖魔法を詠唱していく。
聖なる言葉が力となって精霊の奔流を捉え、パイプの様にミストの中に流し込む。その大きすぎる力をリーバ神の主柱たる光精が包み、纏めていく。
巫女とは神の器であり、大き過ぎる存在にとっての手足たるものに過ぎない。それ故にミストには一切の迷いが無かった。
〝導きの光〟
行使しようとしている奇跡はもう直ぐその時を迎えようとしており、内包する魔力によって幻光を発し始めたミストはゆっくり立ち上がると護剣士を見る。
少し離れて見守っていたファングは準備が整った事を知り、胸に差した短剣を掴むと彼女の側に跪いた。
空いてる方の手で、無造作にファングの鎧に巻き付いた鎖に触れると、聖銀の戒めが音もなくハラリと解けて垂れ下がる。
巫女の封印を解かれた護剣士が溢れかえる魔力を抑えて立ち上がると、抑えながらも漏れ出る魔力でファングの背後には蜃気楼の様な靄が上がった。
「ここに来るモノを頼みます」
〝モノ〟 そう言ったミストは両手を床に付いて邪霊の種を置く、手のひらに包まれていた種は、精霊の力に浄化されて淡く発光し〝精霊の種〟と言える存在になっていた。
そして溜め込んでいた力を何時でも行使出来る様に場に馴染ませていき、跪きながら時を待った。
ミストの言葉に頷きを返すと、胸に下げた聖銀の短剣を抜き、無造作に前に出る。
その手の〝モノ〟の扱いには慣れている。
ミスリル合金にも僅かに含まれる貴重な純聖銀、それのみで作られた短剣には、高過ぎる魔力伝導によって自然と魔力が収束されて行き、溢れ出る気配に周囲に圧がかかる。
異様な魔力の高まりに、前方で休息していたイザ達がギョッとして振り向く中、突然ラヴィとセレミーが部屋に転がり込んできた。
「どーしたの?」
二人を取り囲むイザ達が聞いた時、
「下がって!」
後ろからミストの声が響き渡った。
咄嗟の事に唖然とするイザ達を他所に、駆け込んできた二人は「下がれ!」とだけ言ってミストの方に駆け出す。
二人がみた何〝モノ〟か、その邪気から判断するに巫女たるミストの言う事に従った方が賢明と咄嗟に判断した。
イザ達が訳の分からぬままに付き従い、核部屋との間にある鉄木シェルターに身を潜めた時、通路の死骸を踏みしだく騒音と共に異様な気配が近づいて来た。
置き去りにしたランタンの灯りが最初に照らし出したのは真っ黒な二本の触手、鞭の様にしなりながら部屋の中に探りを入れる。
その軌道には黒煙状の負のオーラが纏わり付き、たちまち通路から先が見えなくなった。
『あの煙に巻かれたらやばいよ、半端ない闇精の力が練りこまれてる』
シェルターから見守るイザにスイが呟く。その間にも肉水魔法と海綿草を同期させたフィルターで鉄木シェルターを増強して行くが、この様な物で闇精の魔力から身を守れるか、全く自信は無かった。
隣に座り込むドゥーを見ると、ワンジルに抱えさせた乳鉢を擦り、一心に霊薬の調合に励んでいる。彼には対抗策が有るのか? 一縷の望みを託して、集中の邪魔にならないように黙って前方を注視した。
ファングは内心驚いていた。目の前に迫る闇のモノにでは無い、下がれと言ったミストに対して、である。
神の意向以外には全くの関心を示さない巫女が、同行者とはいえ赤の他人を助けるような発言をするとは。
イザに初めて発した言葉といい、あの少年とは何らかの因縁がありそうだ。
そんな余裕とも取れる思考を巡らせながら、黒煙を撒き散らす〝モノ〟に無造作に歩み寄る。
見つめるファングにそんな事を思われているとは露知らぬイザは内心ハラハラしていたが、大陸一と言われる護剣士の背中には気負いも力みも感じらない。
魔力の収束した銀剣が存在感を誇示する様に光を放って戦士を照らす中、影の錯覚かファングの背中は離れて行くはずなのに大きく見えた。
垂れ下げていた右手の短剣を切り上げると、放たれる魔力の残滓に遠間の黒煙がサッと断ち切られる。その隙間から黒い触手のうねる姿が一瞬垣間見えたが、直ぐに湧き出る煙で塞がれた。
その黒煙の中から高速の鞭と化した触手が飛び出して来た。人間の腕程もある太い触手が音速を超えて〝バチィィンッ!〟と衝撃波を伴った連撃を繰り出してくる。
目にも止まらぬ不意打ちをまともに喰らった様に見えたファングは、しかし、触手の連撃をことごとく撃ち落としていた。
お互いに魔力のタップリ載った触手と短剣の打ち合いに黒と銀の火花が散り、轟音が後を追いかける様に響き渡る。
到底生身の人間では受け切れないであろう衝撃をまともに受けながらも、一歩も引かずに捌ききる。
更に、鞭の軌跡上を湧き出る黒煙が汚染して行くが、ファングの全身から沸き立つ魔力のオーラに触れるか触れないかの所で掻き消され、聖銀の短剣が振るわれる度に切っ先の延長線まで切り裂かれていった。
数合打ち合い、様子見を終えたファングは咄嗟に次の鞭を掻い潜ると大きく前方に踏み込んだ。余りのスピードに置いて行かれた鞭が地面を叩く中、今までに無い輝度の銀剣を一閃すると銀光の魔力が飛沫となって黒煙を穿つ。
「ビギィィィィッ!」
黒煙の向こうからのたうつ〝モノ〟が姿を現す。
太い多節からなる体は黒光りし、甲殻関節の隙間からは軟体生物特有のヌメリとした粘膜がはみ出している。その節々には鋭い爪が伸び、地面を捕まえるとそこからも触覚同様の黒煙が湧き出した。
前面に張り付いた頭部はまるで甲虫のように無機質な複眼を散りばめて居るが、そこには規則性など微塵もなく、唯々真っ赤に燃える点の集まりと言ったほうが正確に眼前の風貌を描写していると言える。
そこに在るのは、曰く形状し難いおぞましい海の悪魔ーー海魔と言われる存在だった。
その異界のモンスターはファングの魔力弾を受けて、正面に数箇所傷をつくると我慢出来ずに暴れ散らす。
ヒステリックな金切声を上げる顎は開き切り、体内から濃度の高い黒煙が吐き出される中で無闇矢鱈と触手が振るわれる。
高速の黒鞭がもつれ合う様に海魔の前面全ての空間を蹂躙する中、ファングは銀剣を振るい銀光の結界を張ると、測ったように刃圏のドーム状の安全圏が出来上がる。
更に大量の黒煙が撒き散らされて部屋の半分程も汚染された時、音速を超えた超質量の鞭によってズタズタにされた根塊が、海魔の重さに耐えられずにズシリと傾いた。
『まずい!』
内心余裕のあったファングに初めての焦燥感が沸き立つ。後ろの巫女が行う儀式にまで影響を受けては元も子もない。
素早く片を付けようとして結界を打ち消すと、銀剣をかざして魔力を注ぎ込む。一瞬のチャージの後、先程よりも激しい光が放たれた。
横一文字に振り抜かれた閃光のために、充満する全ての黒煙が浄化された時ーーそこに在るのはガランとした根塊の部屋だった。
聖銀の鎖=ミストの所有物。ファングの強すぎる魔力を封印し、聖銀の短剣を物理的に封印しています。
護剣士の剣は全て契約した聖職者に封じられており、自由には抜けませんが、銀鎖によって魔力まで封印されているのは特別扱いです。
聖銀=普通の銀より少し硬度が高い位で、素の状態では、鋼は元より鉄よりも柔らかいが、魔力伝導率は全金属の中で一番高い。100%純聖銀の製法は実在神リーバ教会にしか伝わっておらず、トップシークレットとされている。
短剣なのは希少金属のため量が無いから。教皇クラスの護剣士はロングソードを所持している。
巫女ミストと護剣士ファングこそが厨二チート能力の持ち主! 名前もそれらしく浸って設定しました。




