発光現象の夜
夜の甲板はランプに照らされ穏やかな波に伴い影が揺れる。秋から冬に近づくこの時期、外海を渡る風で吹きっ晒しの甲板は凍りつく様に寒かった。
今日ばかりは海霧も強風に吹き飛ばされて、満天の星空が頭上にまたたく。
「うーっ、さむさむっ」
毛皮を羽織った年配の男は小走りで船首に向かっていた。
たまに大きな波が打ち付けて上がる飛沫を払い、ブルブルッと身震いすると、堪えきれずに手に持った酒瓶をクイッとあおる。
度数の高い透明の液体が食道を焼いて五臓六腑に染み渡る。
寒い夜は火酒に限る! 熱の通った喉を使って、
「おーい! ダートや、差し入れ持ってきてやったぞー」
船首近くに居るであろう男に向かって大声を上げながら、酒瓶を持ち上げる。
船首番も連続三日目、体の芯から冷え切っているだろう男に同情して、取って置きの火酒をお裾分けにやって来たのだ。
甲板長も人が悪い、何も遅刻位でこんな罰を与え無くても良かろうに。普段の人使いの荒さも含めて、ダートと一緒に愚痴り酒を飲もうと赤服を探した。
ところが何処を探しても赤服のダートが見つからない。もしや凍え切って何かの拍子に海に転落したのか?と嫌な予感がして手摺に捕まり海を覗き込んだ。
真っ暗な海は、黄魔石の照らす灯りで波の作り出す白い泡までハッキリと見えるが、ダートらしきものは全く見えなかった。
ホッとした男は波を照らす光がまたたいている事に気付き、何気に光源である船首に据えられた青龍像を見た。
そこには青龍像にまたがり身を乗り出すダートがいた。
「馬鹿野郎っ!」
男は寒さでおかしくなったであろうダートに向かって怒鳴りつけた。
航海の安全を守る青龍像は、しかし、専用の処置を施さないと近づくだけで害があると言われている。それ故に船首部に取り付けられる事になったのに、素手で掴みに行く馬鹿がいるか。
きっと聖光の熱に引き寄せられているのだろう、と思った男は酒瓶を取り落とし、声を枯らして警告する。
それを無視して魔石に届いたダートの手からは煙が立って手袋が焼けただれている。
言ってもらちがあかないと、取り押さえようとして男も船首像にまたがる。
黄魔石から放射される聖光が剥き出しの顔を圧迫した。
寒さで狂ったのなら引っ叩いて目を覚まさせようと、辿り着いたダートの肩に手を置いた瞬間、信じられないスピードで振り向いたダートが腰の短刀を抜き様に振り切った。
起きた事が信じられない男は呆気に取られて後ろ手をつく。首に出来た切り込みがパックリ口を開けて鮮血が一気に噴出した。
そのまま船首像を血濡れに汚しながら、力を失った男はバランスを崩すと、暗黒の海に転落した。
落ちた男を気にもしないダートは、血濡れのまま黄魔石に近づくが、発せられる聖光に触れる前から皮膚が焼かれる。
それを無視して黄魔石に縋り付くと、爪を立てて抉り取ろうとするが、しっかりはめ込まれた魔石はびくともしない。
魔石に触れ続けた左手の指が焼け落ちた所で、先程男を仕留めたカトラスを右手で抜くと、その柄頭で魔石を留めている青龍像の目を叩き出した。
上半身の服や髪の毛が焼けて、皮膚は爛れ、眼球は白濁し始めている。致命傷を受けながらも青龍像の目を叩き崩したダートは、零れ落ちた握りこぶし大の黄魔石を抱え込んだ。
魔石から発する聖光は少し減少したが、今だに高熱を纏ったままである。それを掻き抱いたダートの胸からは湯気とも煙とも分からぬ白煙がもうもうと立ち昇っている。
一切の痛覚を持たない様に見えるダートは、緩々とした動作で黄魔石を中心に包まるとそのまま海に転落した。
船首像の灯りが弱まって黒々とした海面がヌッと盛り上がる、巨大な顎を開けたシーサーペントがダートごと黄魔石を一飲みにした。
その背部には種を腹いっぱい抱えた精霊付きの男が、うねるシーサーペントに海上高く持ち上げられている。
高さが頂点に達した時、力一杯溜めた足で思い切りジャンプすると、青龍像の結界の破られた船体にべチャリと着地した。
男を降ろしたシーサーペントは、黄魔石に光る喉をそのままに、音もなく潜行して真っ黒な海に消えた。
ドゥーの目が醒めたのは、ほんの些細な違和感からだった。
揺りかごの様に穏やかに揺れる船室でフカフカのベッドに包まれ、深い眠りに誘われる瞬間。
ふと背中の痒みの様な小さな違和感を覚える、それは掘り下げる程に確かな違和感となってドゥーの頭を支配して行く。
ハッキリと何かを捉えた訳では無いが、どうにも気になったドゥーは、肌着に外套を羽織ると護身用に蛇牙の呪物だけを持ってベッドを降りた。
「どうしました?」
部屋の隅で槍を手入れしていたワンジルが声を掛ける。
ワンジルとは予め決めてあるハンドシグナルでかなり細かいコミュニケーションを取ることができる。
〝違和感あり〟〝甲板〟〝見回り〟そう伝えて扉に手を掛けるドゥーを見て、ワンジルもマントを羽織り、槍を手に立ち上がる。
護衛らしく、マントの下にはしっかりと呪魂戦士の服を着たままである。
儀式の祭壇で長年燻された魔獣の毛を、呪言を唱えながら編み込んで作られた丈夫な織物。その織物を二重使いにして、色とりどりに染め上げられた貫頭衣は、呪術師が呪魂を込める事によって更に丈夫さを増す様に出来ている。
貴重な戦士の服は旅立つ際にコーラルから授けられた。その肌触りに気を引き締め直すと、何時いかなる事態にも対応出来るよう、呪具やポーションなどを小さく纏めたバッグを掴み、先行するドゥーを追いかけて外に出た。
ドゥー達が甲板に出ると先客がいた。薄暗い中でも純白のローブとなびく金髪が淡く輝くミストと、闇に溶け込みながらも聖銀の鎖が光るファングである。
ミストが甲板の真ん中で跪き瞑想状態になっている。それを護衛するようにファングが周囲を警戒していた。
ドゥーがミストに近づくと、ファングが「それ以上近づくな!」と警告を発した。右手は胸に装着された護剣の柄にかかっている。
だが、ファングの注意は他の所に向かっている様だ、その事を察したドゥーはワンジルに合図を送ると、周囲を警戒させて自らも呪術の準備に取り掛かる。
ドゥーはワンジルのバッグから青や緑の精霊石の欠片が詰まった袋を取り出し、無造作に床にばら撒いた。
そして蛇牙の呪物に霊薬を詰めると、手近にあるランプを火種にスパスパと煙をふかす。
一つ大きく飲み込んだ霊煙をボフーッ! と肺活量の限りに精霊石を撒いた甲板に吹きかける。
信じらない程の煙が出続けて青や緑に染まっていくと、甲板に広がっていった。そして一際強い風が吹き晒すと、何も無かったかの様に元に戻る。
だがそれで充分だった。
〝遺恨返し〟
一定範囲の敵意ある存在を判別し、隠れた者にもマーキングを施す呪術によって、マストの影に隠れて気配を消していた男が青く発光している。
ランプだけで照らされた甲板では、発光する男は非常に目立った。
発光男はマストの奥から素早く駆け出すと、船首に向かった。まるでその場に居る四人など眼中にないかの様に振り向きもせずに一心に走る。
「そこだっ!」ワンジルが追いすがり槍を突き入れる。ふくらはぎに槍先が突き刺さり、捻じったせいで大きな穴が空いて血飛沫が飛んだ。
勢いを失った男を冷静に見ると、兵装の船員である。男は足に大きな穴を穿たれながらも、立ち上がると尚も船首に向かった。
足を引き摺りながらも思ったよりも速く駆けていく、明らかに異常な反応を示す男に向かい、ワンジルは短槍を持ち変えると、全身をバネにして投擲した。
唸りを上げる槍は一瞬後に男の背中を貫いた。勢い余った槍先が男の胸から飛び出し、真っ赤な花を咲かせるも、尚も一歩二歩と前進をやめない。
それは惰性では無く、意思の力で進んでいるように見える。
追い付いたワンジルがタックルをかますと、前倒しになった胸の槍先が甲板に突き刺さり縫い付けられた。
ワンジルは背中を踏みつけて槍を引っこ抜くと、そのまま男の頭を一突きにトドメをさす、流石に頭部を破壊された男は動かなくなった。
「来るぞ!」
警告を発するファングを振り返ると、船室からワラワラと甲板に群がる発光人間の群れ、どれも船員の成れの果てに見えるが、中には昼間見かけた乗客の姿もあった。
その数はザッと見ても数十人はくだらない。
ドゥーの側に辿り着くと、若き呪術師を背中に庇い短槍を構えた。
偶然にも近くでミストを警護するファングと肩を並べる形となって、迫り来る発光人間を険しく見つめていた、その時ーー
「光よ!」
それまで瞑想して微動だにしなかったミストが手を頭上に掲げて大音声を発する。
ーー金光の爆発ーー
目を瞑っても尚明るい光の塊が少女の体内で爆ぜると、ジャスティス号を中心に半径一キロ四方を染め上げた。




