トラベル・チャンス
〝目ず魔に仕込んだ種から送られる信号が途絶えた〟
その一事を持って動く程、巨大な浮島は細やかな神経を有してはいなかった。
ただ有るのは栄養を蓄えて成長する事と〝繁殖〟の為にプログラムされた行動に従い種をばら撒く事。
それ以外は海面を漂いながら、突き出た数本の柱から気前良く濃霧を発生させるのみ。
真っ白な世界の静かな支配者は、今日も霧の中、灰色の代謝物の浮かぶ海に放射状の根を張り巡らせていた。
緑と白の根塊が休む事なく栄養を取り込み続け、浮島周辺には大小様々な生物が串刺しになって漂っている。
仮死状態の生物の中にはシーサーペントなどの大型モンスターもいるが、それら全てを濃霧に覆い隠していた。
時々ポコポコと水面を泡立たせて、僅かな水流をつくり流れ着く物を口に誘う。
そうしながら少しづつ移動する浮島は、本能の求めるまま、更なる栄養を求めて人間の街オーバルに近づきつつあった。
母体が些事に反応しなくとも、前任の撒き手である目ず魔からの信号が途絶えた今、次の担い手である魚人族の男が動いた。
精霊付きとなった男は、誰に何の命令を受けずともそうなる様に出来ている。
浮島の中央にそびえる根塊柱の根元を掻き分け、柔らかい緑と白の根の寝床からズルリと抜け出すと中央に咲く真っ赤な花に向き合う。
緑色の皮膚に浮かぶ葉脈様の模様が何かの循環を表すように脈打つ、そして眼球を失った男の暗い眼窩の奥が緑色に光る。
そこには何ら理知的な働きが伺えず、まるで人の形をした植物のようだった。
その緑の人形が花弁に手を付ける、千切れて無くした薬指と小指の代わりに白い根が生えて、指の代わりに器用に動いていた。
開いた巨大な花に頭を突っ込むと、湿った花芯から透明な管が伸びる。
その管は男の口の中に入ると尚も進み、内蔵まで達すると種を送り出した。
泥状の粘液に包まれて、緑色の艶やかな種が何十、何百と送られていく。男の腹は少しづつ膨れ、終いにはパンパンに腫れ上がった。
管が抜かれると男は頭を抜いた。そしてお腹を揺すって種の座りを良くすると、のっそりと立ち上がり浮島の淵に向かって歩き出す。
がたいの良い方だった体がこの数年で更に大きくなり、体を鎧うクラーケンの軟骨鎧もパンパンにきつくなっていた。
更に腰から垂れ下がる根性の赤褌もどす黒く変色し、緑の体とあいまって妖怪の様な外見は異様な迫力を伴っている。
種を授かった男は揺れる浮島の足場も物ともせず、太い腹にも関わらず軽快な足取りで淵まで辿り着くと、一体の瀕死のシーサーペントに飛び乗った。
浮島の根に胴体を貫かれたシーサーペントは、暗褐色の体も薄っすら白く変色しだして、まるで死体の様に見える。
飛び乗っても何の反応も見せないシーサーペントの頭元まで歩み寄ると、腰に差した刺突剣を抜いて一気に刺し貫いた。
後頭部が裂けても血すら流れない。その傷は脊髄まで到達し、ピクンと身を縮めたシーサーペントの為に海面が揺れる。
その揺れを物ともせず、まるで種植えの様に自然な動作で吐き出した種を掴むと傷に刺し込んだ。
死んだ魚のような目をしたシーサーペントが、次の瞬間オゾ気が走った様に身震いすると生気を取り戻す。
今だ焦点の定まらない目付きをしているが、先程までの死体の様な浮いているだけの存在感とは違い、ヒレを動かして泳ぐという意思を感じさせる動きを始めた。
その首元に跨る男は目の前にある六本の呼吸器のうち、手近な二本を掴むとグイッと上に引っ張る。
次の瞬間〝ブフーッ〟と潮を吹いて活気のある呼吸を始めると、一気に活気づいてウネウネと細かく動き出した。
足で締め付けて無理やり落ち着かせると、浮島の根を引きずり出して、シーサーペントを自由にすると、進路を切って進ませる男。
真っ白な濃霧の世界に広がる灰色の海を切り裂いて男は旅立った。
後ろの根塊煙突から吹き出る霧が、男の背中を押すと、一心同体と化したシーサーペントが静かに潜行する為に、頭を沈めていく。
それに連れて、男も静かに足元から海に浸かって行き、トポンと音を立てて完全に海水に沈んで行った。
『カッコイイ!』
ジャスティス号に乗り込んだイザは浮き立つ心のまま船を見回した。
延々と連なるロープの先には、天を衝く様な長大なマストがそびえ立ち、磨き上げられた甲板には整然と並ぶ船員達。
清潔なブルーの水兵服にはノリが効いて、ビシリと折が入っている。
袖から見える腕も筋肉の塊の様に見える、体格の良い海の男達が揃いの制服を着て、儀礼旗を掲げて整列する姿に見惚れていると、後ろからドゥーが突いてきた。
振り返り指差す方向を見ると、一際立派な風体の男が賓客に対して挨拶をして回っている。
ドゥーが目を奪われたのは、一際目立つ彼の右手の様で、仕切りにイザに見ろ見ろとせっつく。
暫く観察していると、こちらに気付いた男がイザ達一行に向かって歩いてきた。
「ようこそジャスティス号へ、イザさん」
バリトンの美声が真っ直ぐイザに向けられた。
当然セレミーやラヴィの方に挨拶すると思っていたイザは面食らってアワアワと禄に返事も出来ない。
「船長のトム・ホーンと申します、ホーンとお呼び下さい」と言って右手を差し出す。
「ホーン船長!わわたくしはイッイザと申します」上ずって声が裏返る。
ろくすっぽ手元も見ずに手を握ると、ヒヤッとした金属の手触りに思わず「ぎゃっ!」と声をあげてしまった。
「あっはっはっ失礼しました、右手はこの通り義手になってましてな」
言いながらギチギチと三本爪になった右手を動かす。
二本の爪の間に一本の爪が入り交差する形となった魔道具らしき爪には、歴戦の痕らしき刀傷などが走っているが、無骨さの中にも磨き上げられた道具の持つ美しさが感じられた。
「どうやらお友達もこの手に興味があるらしいので、少しイタズラしてしまいました、お許し下さい。」
そう言って人懐こい笑顔を見せる。間近で良くみると、歳もそんなに行っていない様で、精々40歳に届くか届かないか位に見受けられる。
笑い皺の刻まれた精悍な顔立ち、潮風に磨かれ日に焼けた肌にブロンドの髪、そして特徴的な紫の瞳は時々青く見えたり、赤に見えたりする不思議な色をしている。
身長もラヴィには届かないが、見たところ190cm位は優にあり、がっしりと引き締まった体格に立派な海竜皮の海軍服を纏い、右腰にサーベルを下げた姿は、男のイザでも惚れ惚れするようだった。
アワアワしていたイザは、セレミーにバシッと背中をはたかれて姿勢を正すも「どういたしまして!」とトンチンカンな応答をしてしまう。
あっはっはっ!と又もや笑われて「オーバルの組合長から話を伺っております、賓客として一等船室をご用意致しましたので、ゆっくりおくつろぎ下さい」と言うや一礼して去って行った。
「カッコイイ!何あれ、大人の余裕よねー、お近づきになりたいわ〜」
セレミーがウットリと呟くのに、全く同感のイザもウンウンと首を振りながら同意していると『早く部屋に行ってユックリしよう』とスイが急かして来た。
『分かったよ』と返事をしながら、ドゥーの手を引くと、一等船室を探して船内に入っていく。
波は穏やか、霧こそあるが酷くは無く、太陽が明るく照らす順調な旅立ちだった。




