老女セーニャの憂鬱
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
老女が一人、海を一望する高台に座り込む。
キセルを一服、深々と肺に入れると、フーッ、溜息と共に長々と吐き出す。
白い息と合わさって太い白煙となって空に昇って消えた。
手先が冷えて心地よい、長年の呪術の行使で火の呪魂を抱え込んだ老女は、常に高温に苛まれている。
もう一服、吸い込んでから、火を落とす。
「やっぱり行くのかい?」
しわがれた声で、後ろに佇む女に声を掛ける、鼻から白煙を立ち昇らせながら。
「はい、セーニャ様の呪言の通り、亡者と化した夫が彷徨っているならば、この手で討って供養したいと思います」
すっかり旅装束の整った女が一人、決意を込めた顔で老女を見つめる。
先日の呪言の儀で、老女に取り憑いた精霊が口走った事が正しければ、彼女の夫は死体を乗っ取られて、今も何処かを彷徨っている。
呪言の儀はランダムに様々なお告げを下すが、今まで一度も外れたことはなかった。
サバニ漁師の夫が嵐の日に行方不明になって丸二年、とうに死んだ事を飲み込んで、残された子供達を守り、海女漁で必死に稼いできた。
だが、夫の体を乗っ取り彷徨う存在を聞いた時に、突然『どうにかしなければ!』と衝撃が走った。私が夫の亡霊を始末しなければならない、との思いに取り憑かれたと言っても良い。
呪言の儀を終えて、呆然の体でセーニャの家を出る女は、子供達の事を考えた。
自分が旅に出てしまえば、あの子達はどうなるか?
多分自分は命を落とす事になるだろう、そうなってしまえば、子供達は親無しとなってしまう。
女は家を出た所でうずくまってしまった、夫、子供、夫、子供ーー胸が締め付けられる様だ。息が苦しくて目の前が暗くなる。
トンッと肩を掴まれる、振り向くと逞しく成長した弟が姉を凝視していた。
「行けよ、姉ちゃん」
手を掴んで姉を立ち上がらせると、
「後の事は全部まかせろ、旦那の始末は姉ちゃんに任せた」
真剣に告げる弟を見て、この二年耐えていた涙がポロポロと零れる。
グッと堪えようとして体が震えた。震えながら顔がクシャクシャになる。
「グゥッウッ」嗚咽が止まらない女を弟が抱きしめると、堰を切ったように慟哭した。
その翌日である今、決意を込めた女の顔は腫れ上がっているが、ある種決意に満ちた清々しさが見て取れる。
フーッと深い溜息を吐き出した老女は、懐を探ると一つの包みをドサッと投げた。
「そいつを持って行きな」
女が包みを開けると、一振りの仕込み針と、呪香の詰まった封じ玉が三個、それと縄に包まれた重り石が入っていた。
「封じ玉は火を付けると邪を祓う呪煙がたつ、重り石は投げつけると絡み付いて重りで足を止める、そして針には呪香が仕込んである、どれも長年呪魂を込めて来たワシの切り札じゃ」
さらに老女は懐から鉢巻を取り出す、女には見覚えがあった、旦那の愛用品だった物だ。
「こいつに呪術を込めた、お前が付ければ旦那の位置が分かる様になっている」
そう言って手渡した鉢巻を締める、真っ赤な鉢巻が風になびいた。
そして女は包みを直すと、大事そうに抱え持った。
深々と一礼すると、舟着き場に歩きだす。
その後ろ姿を見送りながら、老女は呪印を切ると手を合わせて祈りを捧げた。
『精霊様、ヒユマのご先祖様、どうかあの不憫な子をお守り下さいませ』
手が熱く成る程すり合わせる、そうする事で旅立つ女に良き加護が得られるように、いつまでも、いつまでも、一心に祈り続けた。
セレミーとラヴィが渚のハイカラ亭に戻った時、何も知らないイザ達は食堂で早めの夕食を取っていた。
ここは、料理が美味いとの評判を聞いていたセレミーが選んだ宿だけはある。
大金を得たから、という訳でもないが、豪華な海の幸がテーブルに並んでいた。
中でもドネリ貝の塩蒸しは、程よい歯触りと豊かな風味で、これま食べた事のない最高の美味である。
それを地元の白ワインを飲んで仕上げると、天にも昇る気持ちがした。
ホクホク顔で酒宴を開く男共を、冷ややかに見渡すセレミー。
「あんたら、私達がいないのに、楽しそうに始めてくれてるじゃない」
言うなりイザのグラスを奪い白ワインを一気に飲み干す。
気を使ったワンジルが「二人を待っていたんだが、いつ帰るか分からなかったから、始めさせてもらった」と言ってワインを継ぎ足した。
「ふんっ」と言って席に座るセレミー、元々いつ帰るか約束もしてないし、怒る道理も無いが、自分達だけトラブルに巻き込まれた事で鬱憤が溜まっていた。
「で、首尾よく換金は済んだの?」と聞くセレミーに、親指を立てるイザ達。
「ここじゃ何だから」と部屋に移って報告する事にして、束の間の酒宴を楽しんだ。
ラヴィが大量の生魚を平らげたり、セレミーが鬱憤晴らしに、超高級ワインを頼んだりした後、五人は男達が泊まる部屋に集まった。
貧乏性のイザがどうしても相部屋で、と願った挙句、ベッドが二つの部屋に無理矢理三人泊まらせてもらった部屋は、しかし、三人でも余裕が有る程広くて綺麗だった。
調度品は質素だが、シッカリした作りの物ばかりで、清掃も行き届いており、シーツはお日様の匂いのする家庭的な物。
夫婦で切り盛りする6部屋しか無い小さな宿だが、一同大満足で、紹介したセレミーも鼻高々である。
ソファーとベッドに別れて座ると、「これがラヴィさんの分」と言って、イザがテーブルに金貨の入った袋を置いた。
「剣角が4金、魔石が8金で、合わせて12金です」指で数を確認しながら説明するイザ。
最近では足し算と引き算なら三桁まで暗算出来る様になったが、手癖として指折りが取れない。
剣角にもうちょっと期待していたが、まあそんなもんかと納得したラヴィは「ありがとう」と礼を言うと、銀貨を一枚投げ渡した。
「少ないが手数料だ」
案外キッチリしているラヴィは、イザが拒んでも譲らず、納めさせた。
「じゃあ、遠慮なく渡航料を徴収するわね」と言って手を差し出すセレミー、一人頭2金を徴収すると、腰のポーチに仕舞い込んだ。
「で、相談が有るんだけど」と言って、今日の出来事を語り出した。
自分達がノンビリしていた時に起きたアクシデントに、男共はビックリして労をねぎらった。
少し気を良くしたセレミーが「ガスリンって男の後頭部から出て来た種がこれ」といって包みを開けてテーブルに置く。
「ガンキが言うには、ハンター組合や商業組合の鑑定士でも、何かの種という事しか分からなかったらしいわ。あなた達なら解る?」
最初に反応したのはドゥーだった。慎重に手に取ると、何かを感じ取る様に、頭に近づける。
ワンジルに耳打ちすると、同時通訳のように説明し出した。
「これは――呪物に見えます――だけど、自然物のような――」
呪物とは、魔力の高い品に呪術師が魔力を込め続ける事によって、稀に出来上がる強力な魔具の一種で、人工物である。
だが、その種には人工的な何者かの気配というものが無かった。
「これは既に――抜け殻です」
とワンジルに言わせると、ドゥーは種をテーブルに置いた、中身がないので、これ以上の事は分からない。
『それは木精の種ね』スイが念話をよこす。
『微かだけど、力の残滓が有る。最も、程度の低い量産品の様ね』
『つまりスイと同族って事?』と聞くと、『だまらっしゃい!格が違うのよ格が!』と怒られた。
だが、そういう解釈で間違い無さそうだ、と思っていると『私の様な善良な精霊も居れば、邪霊と呼ばれる者もいる訳、その種の主はそういった類いの者。但しその種は繁殖用としての物ではなくて、生物を操る為の物の様ね』と教えてくれた。
セレミー達に説明しておく、どうやらガンキに返答しなければならないらしい。
操作されるという事に対して、皆一様に嫌悪感を現していた。つい最近呪いにかかっていたラヴィなどは、邪霊に操られるという事に身震いして顔を顰めている。
そんな中、イザだけは『その男も種を愛おしんだのだろうか?』と、別次元の疑問を感じていた。
『その男も、僕がスイを愛おしむ様に、邪霊を愛おしんだのだろうか?それならば、決して嫌がる事でも、不幸でもない』
寧ろ幸せだったのではないか?殺伐とした世の中で、弱者として虐げられた男の最後の幸せを思ってお腹を撫でる。
腹の中でスイが魔力を吸収すると、満足そうにグルリと胎動した。
夫を亡くした薄幸の海女が、子供を置いて弔いの旅に出る時、形見の鉢巻が風になびく。
最高にグッとくる女を夢想して書いた裸海女編、今後如何に相成りますやら、しばしのお付き合い宜しくお願いいたします。




