老人
くたびれた旅装の老人が、歓楽街の裏路地を歩く。その足取りは意外としっかりしており、街に住み着き、獲物を狙う裏稼業のチンピラ共も、遠巻きに眺めて様子を伺っていた。
裏路地の更に奥、堅気の人間には存在すら知り得ぬ一画に有る剥き出しのドア。その頭上には、真っ黒な看板に爪痕が三本、鮮血の様な赤が走っていた。
無言でドアノブを回すと、開いたドアからは正体不明の煙が溢れ出る。煙の正体は、カウンターで焚かれた水パイプで、そこから伸びる吸い口を持つ二人の男が、鋭い目で訪問者を値踏みしていた。
委細構わず木の床を踏む老人、見た目と反したその重量に、年季の入った床が悲鳴をあげる。
「何か用かい?」
正面のカウンターに居る男が、接客業に相応しくない無愛想な声を掛ける。その瞳もまた冷たく老人を値踏みし、下に伸びた手は何かを握っているのか? 微動だにしなかった。
それでも老人は黙ってカウンターに近づくと、
「エールを一杯」
枯れた声と共に、銀貨を一枚取り出してカウンターに置く。それを黙って見つめたバーテンは、
「うちは一見さんお断りでね、しかもエール一杯2銀だよ」
と言うと、差し出された銀貨を押し返した。それを黙って見つめた老人は、フッと息を吐くと、
「すまんすまん、歳を取ると細かい物価に疎くなっていかんな。取り敢えずこれで一杯おくれ、それとここのマスターを呼んでくれんか?」
銀貨を一枚付け足した。だがバーテンはそれに目も向けず、
「なんだ? てめえ、今何て言った? みすぼらしいジジイが呼びつけて良いお方じゃねえぞ!」
と凄むと、カウンターの下から筒状の魔具を抜き出す。最近急速に普及している筒状魔具は、魔法の火力で弾を弾き出す、人間などに使用すれば跡形も無く吹き飛ぶ代物だった。
同時に水パイプをふかしていた二人の男も、音もなく立ち上がると、それぞれの得物を抜いて老人に迫る。
「待ちな! お前達」
その時、店の奥から声がかかる。
「こいつとやり合ったら、あんたら百人寄っても瞬殺されるよ!」
大げさな言葉に、バーテンを始め、老人を取り囲む男達が首をすくめる。良く通る女の声が、
「相手を見て事を起こすなんざ基本中の基本だよ! 何年この稼業をやってんだい?」
と言うと、反論も許されないピリッとした空気の中で、滑らかな身のこなしの女が姿を現した。
真っ黒な硬革スーツに身を包んだ女の頭には、艶やかな猫耳がピンと立っている。黄色い瞳は、久振りに会う訪問者を見て、まん丸に見開かれた。
「イザ! 久し振りじゃないか、元気かい?」
珍しくテンションを上げて抱きついてくるセレミーに、
「おう、セレミーも変わらないな〜」
相好を崩したイザが、その背に手を回して抱擁した。
「それで、お前さんの稼業は順調かい?」
奥の間でテーブルについたセレミーが、久し振りにねだった肉水を希釈しながら味わう。その前には、旅装を解いたイザがエールを煽ってくつろいでいた。
部屋には数名の弟子達が居たが、人払いの為に別の部屋で待機している。
「ああ、お陰さんで組織も大きくなった。獣人大陸一のハンター組織〝満天星〟は娘に代を譲って、益々大きくなっているよ」
満足気なイザが陶器のジョッキを眺める。それを聞いたセレミーは、
「いつ聞いてもダサい名前だね、何とかならなかったのかい?」
と言って笑った、イザもつられて笑いながら、
「ほっといてくれ、これでも結構気に入ってるんだ。それよりセレミーの方こそ、ズカさんの敵はどうなってる?」
顔を上げたイザが問いかけると、顔をしかめたセレミーが、
「奴は……吸血黒豚は厄介な敵さ。なんであの時生き残ったんだろうね? 槍を取り戻しに地獄から蘇ったとしか思えないよ。今では災害級賞金首さ、だが何とか仕留めてみせるよ」
というと、肉水を飲み干して「プハ〜ッ」と嬌声をあげる。
「そんな事より、ラヴィ姉さんは元気かい? それが一番興味あるよ。あとラザヴィちゃんは? 可愛く育っただろうね〜!」
辛気臭い話は無しとばかりに、再度肉水を水で割りながらたずねる。その目は少しトロンと緩くなっていた。
「おいおい、あんまり飲み過ぎるなよ、女房は元気さ。相変わらずサバンナの女帝をしてるよ、おかげで俺はカスカスにされちまったがな。末娘も元気いっぱいで、師匠のあんたに似て、生意気になっちまった。まったく、うちの女共は強すぎていかん。あ、そうだ」
言いながらイザは床に置いた荷物を紐解くと、
「これはラヴィからの手土産、そしてこれは離れた妹への贈り物だとさ」
二つの包みを取り出した。
一つの袋には、巨大な魔石がゴロゴロと幾つも詰まっている。それぞれが百金にもなろうかという、高魔力を内包した色濃い魔石だった。
それに目を丸めたセレミーに、もう一つの包みを開けてみせる。個人的なプレゼントとされた包みから出て来たのは、無骨な龍爪のナイフだった。持ち手の龍骨には、金毛の飾り紐が結わえられている。
「これはラヴィの大剣べフィーモスと同じ龍の爪で出来たナイフらしい、獅子族の伝家の宝刀だよ。そしてこの飾り紐はラヴィの髪で出来ている」
渡されたセレミーは、革鞘も抜かずに両手で押し抱くと、紐飾りを撫でて、鼻を付けた。懐かしいラヴィの匂い、太陽を沢山浴びて、元気に暮らしている様がありありと感じられる。
知らぬ間に涙を流していたセレミーに、
「さて、実は余り時間が無いんだ。大事な用があって戻って来たんだけど、どうしてもセレミーにだけは会いたくてね。頼まれ事も済んだし、そろそろ行くとするよ」
そう言って立ち上がる。
「えっ! もう行くのかい? 今晩位泊っていけばいいじゃないか、大した物は無いが、美味い酒をご馳走するよ。それにこんな時間じゃ馬車も無いし、街門も閉まってる筈さ」
引き留めるセレミーを押し留めると、
「いや、もう迎えは来ているんだ。本当に時間が無いから、これで失礼するよ。名残り惜しいけど、最後に会えて良かった」
と言ってもう一度抱擁すると、さっと身を離して部屋を出る。訳の分からないながらに、何かを感じたセレミーは、
「私も会えて良かったよ……元気でな」
と声を送って、イザを追わずに手元のナイフを見た。鞘から抜き出した刀身は、半透明の淡い蜂蜜色。そこに映るセレミーの顔は、長年鍛えた勘が告げる永遠の別れに、僅かに曇っていた。
刃をしまって床を見ると、イザの荷物がそのまま置いてある。
「おい! 忘れ物だぞ!」
追い掛ける理由を見つけて、思わず部屋を飛び出したセレミーに、バーテンが、
「お客人はついさっき出て行かれました、まだ間に合うはずでさぁ。お前ら、さっさと探して来い!」
部屋に居た男達総出でイザを追った。だが、ついさっき出て行ったはずのイザはどこにも見当たらない。土地勘の有る裏稼業の面々が、マスターの命令で血眼になって探したが、その姿は遂に見つからなかった。
路地に出たイザは、何もない袋小路にひざまずくと、両手を地面につける。すると石畳の間から淡い緑の光が浮かび上がり、頭からイザを飲み込んで消えた。
探しに来たバーテンが地面を見ると、石畳が剥がれ、むき出しの地面が顔を覗かせている。そこに密集した木の根に、
「雑草ってのはまったく強いもんだぜ、こんな所にまで生えるとはよ」
と呟くと、消えた客人を追って走り去った。
廃墟と化したシュビエの街に、実在神リーバ神殿とバイユ光神殿が建立されて数十年。今では首都バイユを遥かに超える人口の、巨大な街に変貌していた。
決して混じり合わない筈の二つの光精神殿が共存する事から〝聖都シュビエ〟とも呼ばれ、その周囲には不思議な程実りの多い肥沃な土地が広がっている。
元来の街並みは二大神殿の直轄地となり、その数十倍の土地が都市として機能する現状。そこには迷宮都市などという忌むべき言葉は、遠い昔の事と笑いとばす様な活気が満ちていた。
そんな活気溢れる聖都が眠りにつく深夜。上空には、己の守護地を静かに見下ろす、守護聖獣マグニヒカが浮遊していた。
「ミスト様、お寒くありませんか?」
その背中に跨る護剣士長ファングの腰には、皇王の護剣士の証、聖銀の長剣が下がっている。老いても衰えぬ彼の背筋は、板でも入っているかの様にピンと張っていた。
「大丈夫よ、歳を取ってもこれ位の気温、良い飛行日和ってところね」
年月に丸められた柔らかな口調で微笑むと、マグニヒカの首筋をなでて、
「あなたにとってはほんの庭先みたいなものね。昔行ったあの場所に飛んでちょうだい」
呟くと、それを受けたマグニヒカは澄み切った星空を泳ぐ様に進んでいった。
『あらあら、不粋な人達ね。静かに行くって言ったらそっとしておくのが人情ってもんじゃないの?』
成熟し、外部にまで発せられる様になったスイが呟く。その声に、
『おや、知らぬ間に人間の情まで体得するとは、流石はおひとつ様の末娘ですね』
小さな幽霊鳥の口を借りたドゥーが笑う。長年呪術を行使し続けた体は麻痺し、身動き一つ取れなくなった彼の本体は、ジョンワ村の祭壇に寝転がったまま、魂魄だけを呪術で飛ばして来た。すると止まり木替わりに肩を貸しているテオが、
『私達の事は木か何かだと思って、気にしないで頂戴』
と言いながら豊かな睫毛を伏せる。いまだに若々しさを保つ夢魔は、様々な思いを秘めてかつての少年を見守った。
全ての会話は念話で行われ、周囲には虫の音と、時々動物の鳴き声が聞こえるのみ。そんな中、
『ごめんなさいね、でもこの時ばかりは見逃せなかったのよ、スイ』
浮遊するマグニヒカに腰を掛けたミストが思考する。自ら信仰する唯一絶対の神を冒涜された事も、今では懐かしい。だがあの時から心に決めた事は、ずっと守って来た。
〝数百年後、目覚める素体に見合った勇者を召喚する〟
その為の準備に人生の全てを捧げて来たと言っても良い。自ら戦略を練って皇王にまで登り詰め、シュビエに聖都を築き上げた。そのためにバイユ王とも手を組んで、魔法院の知識をも取り込んだ。今日はその考えに一つの確証を得られるかもしれない大切な日である。少し疎まれようと、不粋だろうと、しっかりと目に焼き付けるつもりだ。
それら全てに一切気を取られないイザは、まるで自身が植物であるかの様な、無我の境地に達していた。
感じるのは大地の力と水の循環、そして大気の流れ。生命の根幹を成す自然の営みに身を委ねると、徐々に呼吸が薄くなっていく。
座する地面に体温を奪われて、少しづつ四肢が冷たくなると、その全身から緑の淡い光を放ち、葉脈状の模様が浮かび上がってきた。
長年の成育を経て、遂にイザの腹部に宿るスイが〝発芽〟したーーその根はあまねくイザの全身に広がり、全ての血管、リンパ節、気道、内臓を埋め尽くして行くーー
苦痛よりも快感、待ち望んでいた日の到来に、イザは声にならない叫び声を上げる。それは狭い肉体からの、魂の解放だった。
鉄パイプを握る手がほどけると、指が根となり地中に深く広がっていく。やがて地下に眠る、勇者の素体を包む根塊に達すると、優しく抱く様に同化していった。
地面に置かれた鉄パイプが、イザの思念と同期して、最後の肉水を生成すると、自らの魔力と同期して急速に成長する。緑の葉脈に光る体は、人の背丈を軽く超え、グングン伸びると、太く立派な大樹となった。
〝守りの木〟
と呼ばれる、古来よりモンスターを避け、人間を守ってきた大木。鬱蒼と茂る若葉が風に揺れた時、それを見守る者達の頭に、
『ありがとう』
という言葉が響いた様に感じられた……
パイプから滔々と流れる肉水は、周囲の山を緑豊かな森に変えて行く。そして肉水の魔力が切れた頃、それでも止まらない水は、やがて川となり大地を潤して、海に流れた。
やがて肥沃な森の近くには、人が集い、村が生まれる。その上流、湧き水の横に根を張る巨大な守りの木は、その村の守り神として、人々の信仰を集めた。
誰知らず〝イザの木〟と呼ばれるそれは、麓の村を見守る様に、豊かな緑を風に遊ばせる。その枝ぶりは、まるで巨大な人間が手を広げているかの様に大らかで、見る者の心を癒した。
-----THE END-----
連載一年十ヶ月弱、無事最終回を迎える事が出来ました。投稿の際、完結にチェックを入れると同時に、何とも言えない感慨が湧いてきました。拙い文章に長らくのお付き合い、貴重な時間をいただきまして本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。




