老将の咆哮
崩れた壁に流れ込んで来たのは、バリケードを溶解させる程の猛烈な火炎放射だった。吹き付ける熱波と共に、炎が一面を覆う様に空間を侵食する。
前面に立ち尽くすドルケスは、その熱にも微動だにせず、最後の魔石をグチリと握りつぶすと、ほんの少し魔力を回復させ、その力を助走に、
〝消えろ!〟
火炎放射の轟音を掻き消す程の怒声一喝! ドルケスの魂を削る言霊魔法が炸裂すると、目の前に迫った火炎が嘘の様に掻き消えた。
「ジュールス!」
感知に優れた兵長を呼び付けると、振り向きもせずに、拳大の魔具を放り投げる。
「外と連絡を取ってなんとしても脱出せよ、行けっ!」
言葉と共に、魔石を持った飛鞭を文字通り鞭の様にしならせて、一欠片の黄魔石を床の真ん中に叩きつける。
砕け散る魔石を中心に魔力の塊が渦を描いて滞留すると、飛鞭の魔力干渉と共に爆発! その指向は全て下向き一点に集約され、崩れ去った床からは真っ暗な下の階が覗き見えた。
「行け〜っ!」
ドルケスの号令に弾かれる様に駆け出した兵団は、次々と出来たばかりの穴に向かって飛び降りて行く。
〝シュフ〜ッ〟
前方の瓦礫から、巨大生物の息吹と共に、真っ赤に燃える双眸が浮かんだ。黒煙が薄まった空間には、無数のアサルト・ローチが脂ぎった体をテラテラと反射させて蠢く。
無言の佇まいを見せる赤閻王は、突然掻き消された炎と、ドルケスの放つただならぬ気配に警戒心を抱き、暫く様子を伺っていたが、炸裂音の後も何も起きず、次々と人間の気配が無くなって行くのを察知すると、
「ビイイィィィッ!」
手近に居たアサルト・ローチ達を踏み込ませた。その一呼吸後、何かの破裂音と共に、廊下に破片を散らして弾き返されるローチ達。その後ろから、鞭の先端に黄魔石を持ったドルケスが悠然と歩いて来た。その姿を捉えたアサルト・ローチが数匹同時に飛び掛かったが、目にも留まらぬ飛鞭の痛打を受けて、バラバラに吹き飛んで絶命する。
「そこになおれっ!」
無い筈の魔力を振り絞ったドルケスの言霊は、言語を理解しないアサルト・ローチ達をも萎縮させ、その影響は赤閻王にも及んだ。
非力な人間が、王たる自分に表層程度とはいえ精神的な動揺を起こさせている。さらに周囲のアサルト・ローチ達などは、怖気付いたかの様に手脚を縮めて身を伏せてしまっていた。
プライドを傷付けられた赤閻王は、怒りに顎を打ち鳴らしながら、口元に魔力を集中させると、もう一度火炎放射を放つ。
気障りな人間など瞬時に消し炭にしてくれんと放った、魔力を最大限消費させた大火炎は廊下が溶ける程の高熱で、前面に展開した部下達をも飲み込んでいく。長く吹き付けた火炎放射の後、灼熱地獄と化した廊下は石畳が溶けて、ガラス質の表面が熱い靄の向こうに現れた。
思わぬ激昂に気を悪くした赤閻王は、周囲で萎縮するアサルト・ローチに檄を飛ばそうと、
「ビィィッ……」
信号音を出そうとした所で、腹下からの突き上げを喰らった。
「うおおォォォッ!」
野獣のような咆哮を上げて、黄魔石を突き上げたドルケスが下階から床をぶち抜いて現れた。不意打ちを食らった赤閻王の腹の下に押し当てられた黄魔石が、飛鞭の締め付けによって割れた時、
〝ドンッ!〟
と鈍い衝撃音と共に爆ぜて、赤閻王の甲殻を打ち破った。
〝ビギャアアアァァァッ!〟
赤閻王の叫びと共に、廊下を埋め尽くすアサルト・ローチがドルケスに殺到する。黄魔石の結界を数の勢いで圧倒する群れに、噛み砕かれ、千切られるドルケスは、その暴流の中、最後の命令を与えんと、全ての魔力を飛鞭に集中させた。
細切れとなったドルケスの肉片が右手首のみとなった時、数本に枝分かれした飛鞭が瞬時に伸びて赤閻王の傷口に飛び込んだ。そのまま体内に黄魔石をねじ込み、より合わさって結束していく。
激痛に耐え切れずに絶叫する赤閻王の中で、埋め込まれた黄魔石が全て砕かれると、強靭な甲殻を内側から吹き飛ばす程の爆発を起こした。さらに火炎を司る赤閻王の魔石が誘爆を起こすと、辺り一面を吹き飛ばす程の大爆発が起こったーー
ーー燻る廊下には主を亡くして呆然とたじろぐ無数のアサルト・ローチ達。その中心には爆散した赤閻王の死骸と、その破片に絡まり付く飛鞭、その根元を炭化したドルケスの右手が、念を残す様に固く握りしめていた。
「ハァハァ、こちらドルケス様の配下の者です、ハァハァ、応答願います!」
荒い息をつきながら、真っ暗な廊下をひた走る。ドルケスから通信魔具を託されたジュールスは、一階下の通路を走りながら、懸命に外部との交信を図っていた。だが時折雑音の様なものが聞こえてくるだけで、通信先からの返事は聞こえない。
周囲を固める仲間達は、時折現れるアサルト・ローチ達に組みつかれ、次々と脱落していく。だが幸いな事に、上階に集合しているせいか、下階にはそれ程の数はいなかった。だが、いずれは穴を降りて、追って来るに違いない。そう思うと、上に残して来たドルケスに後ろ髪を引かれつつも、周囲の敵を感知しつつ、全力で駆け抜けて行った。
その時頭上から、
〝ドンッ!〟
と館全体を震わせる程の爆発音が響いた。衝撃に身を竦ませる兵士達に、
「大丈夫か〜っ!」
末端まで届けとばかりに声を掛けると、どうやら全員無事らしい。ホッと安堵の溜息を吐き出した時、
〝ザザッ……こ……そちら……ッザッ〟
諦めかけていた魔具からの通信が入る。一縷の望みをかけ、魔具に向かって、
「ドルケス様の配下です!」
もう一度叫ぶ様に配信する。と、
〝こちらハンターのズミーレ、ザザッ……ドルケス様の命を受けて、街を探索している者です〟
突然クリアーになった魔具が、待ち人の声を発信する。この時、彼には知る由もなかったが、ドルケスが赤閻王を倒した時に出来た大穴によって、外部との交信を可能たらしめていた。
思わずその位置にしゃがみ込んだジュールスは、通信が途切れない事を祈りつつ、魔具をその場から動かさない様に細心の注意を払って、
「こちらドルケス様の配下、ジュールスと申します。領主様の屋敷から脱出したいのですが、退路が無い状況です」
すがるように言葉を放った。集まってくるアサルト・ローチに対して防御体制をひき、数人がかりで仕留めながら、その場に居る全員が食い入る様に耳を傾ける。
〝ドルケス様はいかがなされた?〟
ズミーレの問いに言葉がつまる、
「ドルケス様は我々を逃す為に敵地に踏みとどまりました。今頃は……」
それ以降は誰も知らない。事情を汲んだズミーレが、
「そうか……我々は既に迷宮城外壁部にまで接近している、地下根茎から侵入するため、そちらの正確な位置を知りたい」
「申し訳ありません、我々はこの城のどこにいるか、正確な位置が分かりません」
「先程大きな熱源反応が有りましたよね?」
ズミーレとは違う、若い男性の声が割って入る、通信を横から聞いていたイザだ。
「その熱源からは近いですか?」
「はい、多分その爆発は我々の上階、ドルケス様の起こした物だと思われます」
「ではすぐに向かいます、壁から離れてお待ち下さい!」
その声を聞いて、周囲から「おおっ!」と声が漏れる。出口のない迷宮に突如として閉じ込められていらい、初めて見えた光明に、兵士達は抱き合って喜んだ。
その時、上階から、
〝ビイィィィイイイィィッッ!〟
物凄い鳴き声が聞こえて来た。その鳴き声を聞いた全ての者が萎縮して、鍛え抜かれたバイユ軍兵士をして、手足が震え出す程の怒りを感じさせる、圧倒的な咆哮であった。
〝カサカサカサカサッ〟
ほどなくして、周囲からアサルト・ローチ達の足音が聞こえてくる。陣形を組んで警戒に当たる中、感知に優れたジュールスが魔力を放射して周囲を探るが、足音はすれどその気配は感知できない。
「どうなって……」
いる? までは言えなかった。突如として飛びかかって来た黒ローチによって、瞬時に頭部を噛みちぎられたジュールスは、通信の魔具を地面に打ちつけながら、盛大に血を振りまいて事切れた。それを皮切りに、ドルケスの兵団は正体不明の黒いローチに次々と襲われる。
血に濡れた通路には、ジュールスの手に握られた魔具からの、
〝大丈夫か? ジュールス、返事をしろ!〟
と叫ぶズミーレの声が虚しく響いた。




