穴の中②
三女の剥き出しの胸部、透けるような白い肌を、一本の黒線が穢す。刺突剣〝触角〟を抜いた穴から、毒液と化した血が溢れ出て、縦一筋の血道を作っていた。
剣身側面の樋の起毛に触れた体液を、透過と共に猛毒に変える固有能力〝毛毒〟によって、瞬時に変質された血液が全身に回るのに、それほどの時間はかからない。
ゴポッと吐き出された血の塊は、毒が混ざって赤黒く、乱れた呼吸に上下する体は、地面代わりである闇魔法の網に崩れ落ち、力なくぶら下がった。
「毒の効く悪魔で良かったぜ〜」
軽口を叩きながらも、素早く取り出した聖水瓶の蓋を、爪の先で弾き飛ばしながら、力無く横たわる三女の元に近づく。その全身はあっという間に巻き付いた闇のリボンでぐるぐる巻きにされ、隙間なく梱包されていた。
「気安く近寄るんじゃないよ!」
険しい表情で左足を引きずるハードキィが制する。その手から伸びる影剣は今だに命脈を放ち、三女の健在を示している。
安全策を取り、少し離れた所から師弟二人で聖水の瓶を投げつけると、闇のリボンに穴が空き、中の肉を溶かす煙と異臭が場を満たした。
すぐに穴の底に吸引されていった煙の下には、泡をたてて沸騰する肉のスープが見える。その時、三女を包む黒い塊が〝ボコッ、ボコッ〟と内側から叩かれた様に蠢いた。
次の瞬間、内側から爆ぜた塊の中身が師弟に降りかかる。それを避けた二人は、煮えたぎる内容物の向こうに飛び出た物をしっかりと視認した。
三女の物であろう、半分以上がケロイド状に溶けた肉体が、デタラメに胴体に丸め込まれていく。その外殻は、黒光りする骨の鎧が裏返って伸び、蜘蛛の様な多関節の十本足を作り出していた。
胴体から伸びる長く太く黒光りする頚椎の髄から、ネジれた様に不自然な角度で三女の頭が押し出され、逆さまに具現する。半分溶けて、半分艶めく長髪が揺れる上方には、血に染まった眼窩が赤黒い雫を垂らしていた。
「¥♪○*→°#=ー〜〜!」
ネジれた喉から異界の咆哮を上げた三女は、喉に溜まった毒の飛沫をまき散らす。そして長く張り出した多足をかがめると、全身を激しく小刻みに振動させながら伸び上がった。優に3mを超す体高、赤黒い血液がその口や真っ赤な眼窩から溢れ出る中、破片となった闇のリボンが執拗に顔面に纏わり付く。
だが次の瞬間、闇のリボンに穴を開けて、小さな黒骨の棘が数本現れると、隙間から又もや振動波を伴う程の咆哮が放たれた。その振動で割り開かれたリボンが吹き飛ぶと、三女の狂った様な笑顔が、真っ黒な黒骨の花弁の中から雌しべの様に顔を覗かせ、血の泡を飛ばしながら狂笑を続ける。
人間の倍程もある身体から沸き立つ冷気の湯気が、全身から発する黒靄に纏わり付くと、薄明かりを遮って影を濃くする。その咆哮がもたらす精神的圧力と実際の冷気があいまって、ハードキィ達の白い息を吐く口元は、止めようの無い震えでカチカチと鳴った。
先ほどから何度か攻撃のチャンスはあったが、その圧倒的な存在感に威圧されて、歴戦の戦士達も心を鷲掴みにされている。三女が変異した悪魔は、顕現したてで上手く動かないのか、いまだその動きは鈍い。
だが、成熟した上級悪魔とは、その場に居るだけで周囲の者達の寿命を吸い取る様な存在だった。その証拠に唯の咆哮一つにも隔絶した力を感じ、体の関節が固まったかの様な錯覚を起こして、ぎこちない動きを認識させられる。
三女が蜘蛛の様に張り出した十本足を踏みしめるだけで、地面替わりに張った闇の網から軋みと共に冷気の煙が上がる。その鋭く尖った爪先は、網に着く度に先端部をささくれ立たせると、細かい多触手の様にほぐし、網の隙間に絡みつかせる。その周囲は凍てつきながら変質してピキピキと異音を上げた。
その様子を横目で睨みながら、ハードキィは影剣と繋がる左手首を、短剣を持つ右前腕でグッと押さえつける。
「待つのじゃ、まだ手は有る。頼むから早まらんでくれ」
白い息と共に吐き出される願いが、煮えたぎる感情から熱を奪う。左手に埋まった盟約の紐は、ハードキィの心臓に直結し、盟約剣の滾りがそのままハードキィの拍動を急かすが、このまま激情に駆られて飛びかかった所で、どうこうなる相手ではない事は明白である。
今や人間の腕の様に硬く隆起した盟約の紐は、ハードキィの制止を聞かず影剣をかざして頭上にうねり上がっていたが、ハードキィの冷静な思考が血液を通して循環したのか、ひとまず激情から離れる様にスッと短く収まると、ハードキィの側に身を寄せた。
出来ることは限られている。下半身の不調を危ぶみ、とっくに最高級ポーションを限界まで嚥下したが、思った程の回復は見込めなかった。長年酷使し続けた体の限界は近い。魔法のポーションとはいえ、健康体があってこその薬効である。
末期の病人がいくら最高級品質のポーションを飲んだとて、何ら回復を認められない。要するにハードキィの体はそういった状態に近かった。
「これだけは使いたくなかったが……」
意を決したハードキィは、空いた左手で真っ黒な液体の入った瓶を取り出す、その表面には劇薬に対する注意喚起のマークが真っ赤に発光していた。三女を通り越した向こう側には、魔力を剣に集めたズーパンチが多足相手に苦戦しながら、触角剣の超感覚を駆使して悪魔の正体を見極めようとしていたが、師匠の取り出した薬瓶に気付くと、一瞬目を見張る。
周囲の闇に溶け込んだズカの居場所は、師匠であるハードキィにすら分からない。だが状況によっては彼女以上の戦働きをする一番弟子の事、この状況を把握していない訳がないと、それ自体は問題無しと判断して対策を急いだ。
油断なく三女を観察しながら、ズーパンチに〝いくぞ!〟と念を込めてアイコンタクトすると、相手もグッと力を入れて、目だけで了解の意を返した。
おもむろに瓶の口を割り飛ばすと、中身を盟約剣にかける。液体は刃の表面を滑るかと思いきや、その過程でスッと吸収されて、一瓶全ての薬液がどこに消えたのか、影剣の中に納まってしまった。
次の瞬間、盟約の紐が目に見えて脈打つと、ハードキィへと乗り移り、ゾクリと身震いを起こす。と同時に年老いて得た全ての痛みが麻痺して、筋力と魔力が漲ってきた。
全身から闇魔法のオーラを発散したハードキィは、影剣を振りながら瞬間移動で三女の側面に現れると、丁度首の位置に刃が食い込む。盟約の紐の力を借りて一気に刃を引くと、表面が切れて血が噴出した。
更に右手に持った青の短剣の柄に付いたピンを、指で弾きながら突き込む。瞬時に刀身に仕込まれた細管から湧き出した、聖水の被膜が淡い光を一瞬輝かせると、先に付けられた傷に抵抗もなく埋まった。
聖水が反応して悪魔の肉を焼く、その痛みに身も凍る様な絶叫が上がり、狂った様に多脚を振るって短剣を抜こうとするが、剣身に仕込まれたスパイクが刺し込みと同時に立ち上がり、肉に食い込んで抜く事は叶わなかった。
モウモウと煙を上げる傷口に気をとられる悪魔の後頭部に瞬間移動したハードキィが、薬液に肥大化した影剣を振り下ろす。そして黒骨に爪を立ててしがみ付くと、そのまま一気に刺し貫いた。闇のオーラに強化された黒骨に、渾身の力を込めて刃を進める中……むしゃぶりついた悪魔の足爪が、ハードキィの太ももに突き立った。
「ゴアああぁぁッ!」
絶叫を上げながらも、影剣をグリグリと回して悪魔の傷口を掻き切る。彼女の足の中で爪がささくれ立ち、傷口を広げた。更にその周囲が冷気で凍りつく。
ズーパンチは他の足に苦戦しながらも、隙を突いて突進すると、ハードキィを抱きとめて悪魔から引き剥がした。離脱する際に、足爪が食い込み、凍てついた彼女の右足は、太ももから砕けて転がる。
その時、闇の網が触れている三方の壁から、三台の巨大な魔導弩が姿を現した。
土台の爪は壁に食い込み重量級の本体を支え、弓の自動照準は悪魔を捉えている。その発射台には、丸太ほどの巨大な矢がセットされていた。
そして背後から突然現れた腕が、ハードキィとズーパンチを掴むと、闇の中に引きづり込む。次の瞬間〝バチンッ!〟という破裂音と共に、三本の矢が放たれた。




