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第十四話 王子様、わたくしは……

「好きだよ、デーア」


 抱きしめられ、わたくしは動けなくなりましたわ。

 自分の細身の体が王子様の腕の中にあるという事実、それを受け入れるまでどれほどの時間がかかったかはわかりません。けれどもとても長い時間のように感じておりましたの。


 そしてようやく理解すると、頬が急速に熱くなるのを感じたのです。

 だって、男性の方とこんなにも触れ合うなんて人生で初めてのことだったのですもの。


「お、王子様、これはどういう……?」


「そのままの意味だよ。僕はデーアが大好きなんだ」


 子供のような無邪気な笑みを浮かべて王子様が放った一言に、わたくしはさらに大きく動揺してしまいます。

 日々言われるあの「可愛い」のニュアンスとはまるで違って聞こえましたわ。まるで、本当の愛の囁きのように。


 いいえ、きっとこれは真実のそれなのでしょう。

 けれどわたくしは、そんなのを受け入れることはできませんでしたわ。

 そしてつい口を滑らせてしまいましたのよ。


「こんな――公衆の前で、なんということを……! 王子様、わたくしはあなたのことをお慕いいたしておりませんわ!」


 会場の多くの人々のどよめく声が木霊します。

 せっかくの卒業パーティーで、断罪劇になったかと思えば愛の舞台に早変わり。迷惑していらっしゃるでしょうが、わたくしの頭はそこまで考える余裕などありませんでしたの。

 今は、目の前の王子様のことしか考えられませんわ。


「わたくしはずっと、あなた様のことをお慕いいたしておりません。身勝手で、いつでもどこでもわたくしを『可愛い』などとふざけたことをおっしゃって。その上、わたくしの断罪劇まで台無しにして!」


 そしてわたくしは心のままに叫びましたの。


「王子様、あなたからの溺愛はお断りですのよ!」


 愛されるならパトリック殿下が良かった。

 なのに殿下にまで裏切られ、ヒロイン役のエミリ男爵令嬢だけが幸せになる。

 わたくしはどうしてこんな思いをしなければなりませんの? それもこれも、王子様のせい。


 わたくしは怒りの形相で王子様を睨みつけました。今まで共に過ごしてきた時間で隠してきた嫌悪感を隠すことなど、もはやできるはずがありませんでしたわ。


 なのに、それなのに王子様は、


「ごめん。でも僕は本当に君が好きなだけなんだよ」


 何もわかってくださらなかった。

 なぜわたくしなどを愛すのか。なぜ嫌われていると知ってもなお、わがままを貫き通すのか。

 わたくしには到底理解が及びませんでしたの。


「ふざけないでくださいな! 婚約者であるあなたがいるというのにパトリック殿下に浮気をして! あなたの婚約を破棄するそのために半年間も努力し、そしてエミリ嬢を利用した上、それも全て失敗する! こんなわたくしのどこが愛せるというのですか!」


 わたくしはダメな女なのです。

 どれだけ勉強ができようと、どれほど美しかろうと、中身が伴っていなければ何の意味もありません。わたくしにはあまりにも足りないものが多すぎます。ですから、


「王子様、わたくしは……あなたの妻になる資格などありませんのよ」



* * * * * * * * * * * * * * *



 本当はわたくしは、王子様のことが好きでしたの。

 初めて出会ったその時、金髪碧眼の美少年に、わたくしは心を奪われてしまいましたわ。


 そして、「可愛いね」と微笑まれて――わたくし、動揺してしまいましたのよ。

 挨拶も抜きにそんな言葉を投げかけられたことに対して? いいえ、そんなことではありませんでした。


 彼の一言が、とても嬉しかった。


 政略結婚の駒として育てられ続けたわたくしですけれど、それでも両親からの愛情がなかったわけではありません。

 けれども本当にまっすぐな好意を受け取ったのは、これが初めてだったのですわ。


 でも婚約者同士になりお付き合いを重ねるうち、わたくしは到底彼に見合わないと思い知らされました。

 いつも優しくしてくださる王子様。なのにわたくしはそれにうまく応えられないのですもの。


 それができない代わりとばかりに勉強に励み、美貌に力を入れて。

 けれど王子様のお力になれない自分を自覚し、そしてわたくしはこう思ったのですの。


「――わたくしなんて彼の妻にふさわしい人間ではないですわ」


 なのに王子様は、わたくしへ温かく接してくださる。それがなんとも心が痛くなって。

 わたくしは王子様のご好意から逃げることで気を紛らわすことしかできませんでしたの。一緒にいると辛くなってしまう。だから近くにいたくなかったのです。


 それでもわたくしへまとわりついてくる王子様が嫌になり。

 そんな風に思うわたくし自身にさらに嫌悪し、そしてそれを王子様に向けることでやり過ごし。


 わたくしはただ、自分に課された『彼の妻』として支えるという重荷を捨てたかったのですわ。

 ですからパトリック殿下に出会った時、思いましたの。


 この方なら。この方なら、わたくしが支えなくても良いのではないか。

 わたくし並みに勉学ができ、そしてお一人でも何もかもがそつなくこなせる。

 そして第一に……求められていない。求められていないのでしたら、わたくしは背伸びなどして頑張り続けなくても良いのですから。


 わたくしは王子様への憧れをパトリック殿下へのものにすり替えましたの。

 そしてパトリック殿下と結婚したいとそう望むようになったのですわ。


 自分の本心に嘘を吐きながら。



* * * * * * * * * * * * * * *



「資格なんて、気にしなくていいよ」


 だというのに王子様はわたくしの全てを受け入れてくださって。

 温かいお言葉をそっと囁いてくれたのです。


「君が、僕の妻になってほしい。デーア、プレンデーア。――愛してる」


 そっと触れ合った唇の感触は柔らかく、わたくしはその瞬間、たまらなく彼のことが愛おしくなりましたの。

 わたくしは王妃に、王子様の妻などという重大な立場が負えるような人間ではありません。「可愛いね」の言葉にまともに答えることができなくてただ顔を赤らめ逃げ出す、そんな情けない女ですの。

 けれど、けれどそんなわたくしを許してくださるのでしたら――。


「わたくしも、お慕いしておりました。……アンドレ」


 初めて、彼の名前を呼んだと思います。

 長い間胸の内に秘めていた恋情を舌に乗せながら、わたくしは可憐な花のように微笑んだのですわ。

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