訳ありシスターの中身
「じゃあ行こう、シスター」
懺悔と共に冷たい地面を見つめる私の耳に聞こえてきたのは、この事態を引き起こした張本人であるロキの声だった。
ハッとして顔を上げる。
邪気のない笑顔で私を見る、ロキと目が合った。
……元はと言えば、ロキのせいだ。
じくじくと、粘度の高い怒りが湧き上がる。
後悔と悔しさで溢れていた涙が、悔しさと怒りが混ざったものへと変わった。
そうだ、彼が私の平穏を壊した。
私はここで慎ましく暮らしていただけなのに。
ただそれだけだったのに、急にやってきたロキは、私の全部をぶち壊した。
彼のせいで大切な居場所を失った。
その憎しみが溢れ出る。
「よくもそんなことが言えますね!? 勝手に秘密をばらして、私から教会を奪ったくせにっ!」
「そうだね。君の怒りも悲しみも、当然だと思う」
「当然!? ふざけているのですか!? 貴方は私の全てを壊したんです! 貴方のせいで私は、私はっ!」
「ここにいる理由がなくなった?」
「……っ!?」
ロキの言葉に、声が詰まる。
(……私がここにいる理由?)
彼は何を言っているのか。
シスターとしてここで生まれ育った私は、この教会に勤めるのが当然だった。
正体を隠し、村人たちを陰から守り、冒険者を蘇生して、埋葬する。
それが当たり前の毎日。私のやるべき使命と思い生きてきた。
シスターだから、この教会を守ってきた。シスターだからこの場所にいられた。
……違う。シスターじゃなければ、この場所にいられなかった。
私はこの教会にいるために、シスターだった?
でも教会を追い出された私は、もうシスターではない。
シスターではなくなった今の私は、いったい何者なんだろう?
魔獣とは違う魔の物?
魔族の小娘?
蘇生術が少し得意な独り者?
どれも抽象的で、私を表すには心許ない。
教会を失った私は、自分のことが分からない。
……そうか。私が失ったのは、私自身だ。
虚無感に襲われ、私という輪郭が薄れていく。
私は自分の価値を、シスターという皮で形作っていたのだと唐突に気づいてしまった。
その皮を剝がされた私の中には、確たるものが何も残っていない。今の私は空っぽだ。
この世界から遠ざかっていくような、心細さを感じた。
地べたにへたり込んだまま、空を見上げる。
冷たい夜空には少しだけ傾きを変えた月が、中地半端に欠けたままの姿で浮かんでいた。
目の前にスッと右手が差し出される。
「シスター、僕と一緒に行こう」
茫然と夜空を見上げていた私は、ロキの声につられて意識を戻す。
だが無理やり思考が切り替わった弊害で、ぼんやりとしたままの頭では、言葉の意図が理解できなかった。
「え? い、行くってどこへ?」
「ふふっ、シスターは面白いことを言うんだね。君は忘れてるだろうけど、僕はあの有名な勇者ロキだよ。向かう道は決まってる。この国を救う未来だ」
ロキは、ふわりと笑う。
彼の瞳には、辛うじて涙が止まっているものの、酷く不安げな表情の私が映っていた。
自分の内面が映し出された顔を突きつけられた私は、反射的に背中を反らし彼から距離をとる。
しかし画角が広がったことで、今度はロキの顔を直視することとなった。
ザワリと、心が大きく揺れる。
……あぁ、またあの感覚だ。
今の私が必死で守っている何かが、壊れてしまいそうな恐怖を感じた。
怖い。これ以上、ロキの顔を見たくない。
ザワザワと揺れ、溢れだしそうになる何かを、いつものように心の奥深くに押し込める。
「……私がここへいられなくなったからと言って、貴方についていく理由にはなりません」
自分に対しての恐れを、ロキへの拒絶に転換して口を開いた。
正体をバラされ、生まれ育った教会を失い、そして自分自身を見失った今の私はぐちゃぐちゃだ。
お願いだから、これ以上私の心を乱さないで。
「今の答えは僕の誘いを断る理由にもならないよね。それに何度断られたとしても、僕は君を諦めるつもりはないから」
見たくない。
見たくないはずのに、私はロキから目が離せない。
「いい加減しつこいですよ。いつまでその冗談を続けるつもりですか?」
「言わなかったかな。僕は君に嘘なんかつかないよ。今までも、これからだってずっとそうだ。必要なら神に誓ってもいい」
ザクッ……ザクッ……ザクッ……
誰かが土にスコップを突き立てている。
こんな時間に誰が穴を掘っているというのか。
そんな人、いるわけがなかった。
「……貴方は勇者です。わざわざ偏見の残る魔族など選ばずとも、大勢の女性が貴方に選ばれたいと思っています。私に拘る意味なんて何も無いでしょう?」
「そんな悲しいことは、言わないで欲しいな。僕が望むのは君だけなんだ。君が分かってくれるまで、何度でも惜しみなく言葉を尽くすよ」
ザクッ……ザクッ……ザクッ……
これはいつもの幻聴だ。
早く消えてほしいのに、音量は増していく。
「貴方の答えも質問の答えにはなっていません」
「君がこの手をとってくれたら、答えを教えてあげるって言ったら?」
「それは……」
差し出されたロキの右手を見ながら、口をつぐむ。
自分自身のことも見失っているのに、何故彼に望まれているかなんて、分かるはずもなかった。
ザクッ……ザクッ……ザクッ……
耳鳴りがうるさい。
どんどんと近づいてくる音は、自分の中から聞こえているものだと分かっていた。
「答えを焦らせてしまったみたいだね。君にも考える時間が必要だろうし、少し話を変えようか。……そうだ、そういえばさっきの話で、君の種族が分かったよ。シスターはもう、知っていることだったかな?」
心臓部の鼓動が早まる。
私は何者なのか。ロキはその答えを知っている。
(知ってはいけない!)
誰かが叫んだ。
怖い。何かが壊れてしまう予感がした。
恐れを耳鳴りが覆っていく。
代わりに聞こえたのは、真逆の声だった。
知りたい。
心の奥で疼くものの、正体を知りたい。
私の中身が、空っぽなんかではないと思いたい。
その渇望に抗うことは出来なかった。
「……ぜひ、教えてください」
「もちろん。君のその特徴的な角と尻尾。加えて死霊術や蘇生術といった、人の魂の扱いに長けた能力。これらから判断するに、シスターは間違いなく“悪魔族”の類だと思うよ」
ドクンッと、心臓が跳ねた。
「……私は、“悪魔族”?」
一気に押し出された血流が、ずっと求めていたものを得られた喜びと共に、体中を駆け巡る。
それは心の奥の奥にまで浸透し、空白だった場所を満たした。
ザクッ……ザクッ……ザクッ!
一際深く抉る音を残して、耳鳴りが消える。
突き刺さった心の深部から、ジワリジワリと何かがあふれ出すのを感じた。




