第24話 冰剣の魔術師
「何を、何を言っている……? お前は一体……?」
呆けた表情で俺を見つめるグレイ教諭。
完全に理解できないという顔である。だがそれもそのはずだ。普通ならば、到底理解することは不可能だろう……この能力の本質というものは。
「う、うわああああああああああああああああッ!!!」
「……」
もう言葉はいらなかった。互いに魔術を発動する。彼女は物質コード、一方の俺は対物質コードを発動する。
彼女はもう……恐怖心しか抱いていなかった。
冰剣の魔術師がこの場にいるわけがない。しかし、目の前に顕現しているのは間違いなく冰剣である。それを見て、認めるしかないのだ。
レイ=ホワイトは正真正銘の冰剣の魔術師であると。
それに……彼女は目撃している。自分の魔術が完全に無効化されてしまったのを。
「くるなッ!! くるなあああああああああああああああああッ!!」
慌てて大量の魔術を行使するグレイ教諭。
脳内に過ぎる可能性を払拭できないのだろう。慌てて行使するその魔術はもはや、魔術と呼ぶのも烏滸がましいものだった。
それは完全にコード理論が破綻しかけている魔術だ。
高速魔術、遠隔魔術、連鎖魔術、遅延魔術、物資変化、大規模魔術、大規模連鎖魔術のどれにも属さないような、それこそただコードを流しただけの乱雑な魔術。
その程度のものは、俺の対物質コードの前では無意味に等しい。
《対物質コード:還元》
《物質=対物質コード》
《物質:還元=第一質料》
もはや呼吸に等しいそれを、なんの違和感もなく実行する。
瞬間、その無秩序な魔術は完全に第一質料に還元される。パラパラと宙に舞う青白い粒子は、完全に可視化されるほどに濃度が濃いものだった。
「あ……ああぁ……うわあああああああああああああ!!」
とうとうグレイ教諭は逃げ回り始める。背を向け、怯えるようにしてその場から駆け出し始めた。もちろん、それを逃すような俺ではない。
《第一質料=エンコーディング=物資コード》
《物資コード=ディコーディング》
《物質コード=プロセシング=減速=固定》
《エンボディメント=物質》
「──冰千剣戟」
減速の工程を組み込んで改めて発動するのは、冰剣。しかしそれは先ほどとは異なり、より細かくコードを組み込んだ。
大まかに言えば、温度とは分子の振動で決まる。氷魔術が得意な魔術師は、結局のところこの減速の扱い方次第だ。
しかし多くの魔術師はそれをコード理論の工程に組み込めない。減速、というものを完全に無意識の中で処理をしてしまい、普通の魔術師はただそれを氷魔術として使用しているに過ぎないが……。
冰剣の魔術師の真価は、その先にある。
緻密なコード構築、そしてそれによって生み出される冰剣。つまるところ、魔術の技量とはコード理論にどれだけの細いコードを組み込めるのか……という事に尽きる。
そして俺はコードの中に減速と固定を組み込み、それを処理の過程で造形を描いて、冰千剣戟を発動。
「……グレイ教諭、覚悟を」
手掌で冰剣を操作すると、その無数の冰の剣は容赦なくグレイ教諭を襲う。
彼女はその攻撃に気がついたのか、すぐに炎魔術で相殺しようとするも……すぐに対物質コードを発動。
その魔術を第一質料へと還元する。
《対物質コード:還元》
《物質=対物質コード》
《物質:還元=第一質料》
さらに俺は魔術を重ねる。
《第一質料=エンコーディング=物資コード》
《物資コード=ディコーディング》
《物質コード=プロセシング=固定》
《エンボディメント=現象》
「──座標固定」
固定する座標はグレイ教諭の脚に指定した。
固定。この魔術もまた、俺の得意としているものだ。対象を選択し、それに対して第一質料を凝固させるように集中させ……そのままそれを固定する。
別にこれは冰剣のような物質だけでなく、人体に対しても有効だ。
もちろん人体に対しては介入する要素が多いため難易度は上がるものの、冰剣の魔術師にとってそれは些事に等しい。
この場所を3次元空間として再定義して、固定座標を指定。
そして、グレイ教諭はその場に固定されてしまい……冰剣が容赦なくグレイ教諭の元に迫る。
「きゃあああああああああああああああッ!!」
悲鳴。
無数の冰剣は、無慈悲にも彼女の脚を貫いた。完全に貫通しており、その場に大量の血液が舞い散る。突き刺さっている冰剣にもまた、彼女の血がべっとりとこびりつく。
ポタ、ポタポタポタと滴る灼けるような紅蓮の血液を見ても、動揺などはしない。
「……」
もはやその場に伏せるグレイ教諭を見て、俺は何も感じない。自分の魔術が彼女を貫いても、冷静にそれを見つめて……歩みを進める。
冰剣の魔術師の本質。
それは今、俺が行使した魔術に集約される。
減速、固定、還元。
能力名として示すのならば、減速、固定、還元。
冰剣とはその中でも、減速、固定を主軸にして生み出している魔術だ。
還元は対物質コードを使ってコード理論を逆転させ、魔術を第一質料に戻す技術。
この3つこそが、冰剣の魔術師の『本質』だ。
それこそ、冰剣とはただのアトリビュートに過ぎない。
全ては応用だ。この3つを主軸にして魔術を行使するのが、当代の冰剣の魔術師。
それを完全に解放した俺は……もはや、誰にも止めることなどできはしない。
「さて、と」
「ひ、ひぃいいいいい……お、お前は本当に……あの冰剣なのか……ッ!!?」
貫通したのは主に脚だ。彼女の動きを封じるために、その脚を狙ったのだ。
その痛みは確かに残っているのか、顔からは汗が大量に滲み出てきていた。
「そうだ。初めに言っただろう。俺こそが、冰剣の魔術師であると」
「う……あ……あぁ……」
もはやその双眸からは、先ほどのような強い殺意はない。
今までは狩る側だったのだろう。その過程を楽しみ、人を殺し、脳を弄ることに悦を見出していた。しかし今となっては、自分こそが狩られる側であり……冰剣の魔術師には決して届きはしないと、本能に刻み込む。
「やめろ……まて、わかった。お前も優生機関に紹介しよう! そうだ! それがいい! なぁ、だから今回は見逃してくれ! 私の研究はここで終わるわけにはいかないんだッ!!」
ズルズルと這うようにして、俺の足元に近づいてくるが……それはもちろん囮。彼女はすぐに、俺の顔面めがけて高速魔術で火球を生み出した。
しかし……そんな姑息な手に引っかかるほど、俺は経験がないわけではない。すぐに対物質コードで無力化する。時間はそれこそ、1秒も必要ない。
「どうした? 続けないのか?」
「ひ……ひぃいいいいいい……!!」
絶対的な実力差。それをハッキリと彼女に突きつける。
七大魔術師の中でも、近接戦闘最強と謳われる『冰剣の魔術師』には……決して敵いはしないのだと。
「う……あぁ……ああ……」
「終わりだろうか、グレイ教諭」
スッと冰剣を右手に顕現させると、それを握りしめて彼女の喉元に突きつける。
「ククク……あぁ……凄いよ……認めるさ……白金級であっても、聖級には届きは……しないのだと……しかも、七大魔術師の中でも近接戦闘最強の冰剣には……ははは……勝てはしないさ……ハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
嗤う。
それはもはや自暴自棄の表れなのだろうか。
それでも俺は油断はしない。この冰剣を下すことはしない。
「ククク……それで、どうする? その冰剣で私を殺すのか!? あぁ……!?」
「いえ。然るべき処分を受けてもらいます」
「フフ……生かして捕えるのか……なるほど……ふふふ……そうか……もう……なりふり構っていられないようだな……」
その刹那、漆黒の闇が出現するも……それは第一質料の奔流であるとすぐに悟る。
俺がこの身体から青白い第一質料を漏らしているように、彼女もまたその身体を媒介にして漆黒の第一質料をこの世界に顕現させていく。
「──ダークトライアドシステム、起動」
そんな声が、目の前の漆黒の闇の中から聞こえてきた。
ダークトライアドシステム。
それは師匠が告げていた言葉だ。人間の暗黒面の3つを総称したもの。
ナルシシズム、マキャベリズム、サイコパシー。
それらを魔術として体系化して、コード理論に組み込んだものだと予想するが……その能力までは完全に未知数だった。
そして、その第一質料の奔流が収まるとその場に現れたのは……異形そのものだった。
「ふふ……フハハ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!」
それはもはや、人間と形容していいのか分からなかった。身体中には赤黒いコードが可視化できるほどに流れており、さらにはその双眸もまた灼けるような深紅に染まっていた。
またあれは骨なのだろうか……身体中の至る所から、白い鋭利な棒状のものが完全に剥き出しになっていた。
「私にここまで使わせたんだ……今までの研究の成果全てを……お前には道連れになってもらうぞ……? なぁ? 冰剣の魔術師よ……ククク、アハハハハハハハハハハハハッ!!!」
両手を広げて、高らかに嗤うその様子は完全に狂っているとしか思えなかった。
そもそも、人間の肉体を変質させる魔術など聞いたことはない。もちろん、内部コードの一種なのかもしれないが……普通の身体強化でも、あそこまで異形になり得る現象など聞いたこともない。
記憶痕跡、ダークトライアドシステム。
人間がその倫理の枷を外して、たどり着いたのが……人間の外の生物だとでもいうのか。
極東戦役でも、ここまでの第一質料の濃度は見たこともない。それこそ、七大魔術師に匹敵するか……それ以上の……。
「……さぁ、楽しませてくれよ? 冰剣……」
スッとその手を掲げると、俺は感じた。
自分の真下を起点にして、火柱が出現するのを。
もちろんそれは高速魔術での発動だが……威力は今までの比にならない。
俺はそのまま後方に下がりつつ、冰剣をさらに展開して相手の様子を見ようとするも……。
「──ぐッ!!」
「ほらほら、どうしたあッ!!! 冰剣よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
すでに彼女の姿は目の前にはなかった。
瞬間移動とでもいうべき速さで、後方に回り込んでいたのだ。そして俺の眼前で魔術を発動しようとするも、すぐに対物質コードでそれを第一質料へと還元し……それを踏み台にして俺はさらに冰剣を生み出す。
対物質コードで第一質料に還したものは、通常のモノとは異なる。
それは元は魔術としてこの世界に具現化したものだ。そこには師匠の言っているところである記憶痕跡……魔術痕跡というものが存在する。
そのため、通常よりも速くさらには質の高い魔術を行使できる。これこそが、対物質コードの強みである。
今まではそれを無意識に行っていたが、俺はそれを改めて意識してより明確にコードを走らせて、魔術を行使する。
「──フゥッ!!」
肺から一気に空気を吐き出すと、そのまま大量に出現している冰剣でグレイ教諭の身体を切り裂いていく。もはや、この冰剣で切り裂くことに躊躇いなどなかった。
これは正真正銘の……魔術師同士による殺し合いなのだから。
俺はそんな感覚を無意識に懐かしいと思うも、そんな余裕はすぐに失せる。
「ハハハハハハハハハハハ!!! ここまできても、届きはしないのか!!! 楽しいぞ!! 冰剣!!!! さすがは世界最強の魔術師だッ!!!!!!!」
「……」
意識を落としていく。
沈む。
深海に沈んでいくように、あの頃の感覚に戻るように……研ぎ澄ませる。感覚を……己の全ての神経を、こいつを殺すことだけに集中させる。
「──冰千剣戟」
改めて、冰剣を次々と生み出していくが、ここで新たに別のコードを処理の過程に組み込む。
《第一質料=エンコーディング=物資コード》
《物資コード=ディコーディング》
《物質コード=プロセシング=物質変化》
《エンボディメント=物資》
走らせるコードは、物質変化。俺は自分の手に握りしめる冰剣だけは、刀の形状に変化させる。
物質変化は何も、固体を液体に、液体を気体に変えるだけではない。その形状を変化させることもまた、物質変化に含まれるのだ。
「──冰刀」
この手の中に顕現させるのは、冰刀。
冰剣の魔術師は、剣に属するものならばその全てを思いのままに冰を媒体として具現化できる。今回はその中でも、冰刀を選択した。
そうして俺は改めて冰刀を構えて、踠き苦しんでいるグレイ教諭を見据える。勝利への道筋は既にイメージできている。あとはそれを実行するのみ。
「う……ぐううううう……あああああああああアァァアアアアアアアアあああああああああぁぁァアアアアアアアアアアッ!!!!!」
明らかにそれは苦痛に踠き苦しんでいる姿だった。
体を腕で押さえ込み、流れ出る血液を拭う暇さえない。地面に溜まっていくその深紅の液体は、彼女の過酷な状況を如実に物語っていた。
──終わらせないといけない。
あんな人から外れた姿を保つのは……それこそ、地獄のような苦痛なのかもしれない。
だからこそ……ここで引導を渡すッ!!
「──はああああああああああッ!!!」
駆ける。
すでに彼女を覆う漆黒の第一質料の奔流はまるで嵐のように吹き荒れる。完全にそれは、コード理論など無視をして荒れ狂うものになっている。
無秩序な魔術。
ただそれはあまりにも膨大すぎて、対物質コードで全てを打ち消すのは……戦略としては、ありえない。また、座標固定を使おうにも、あの漆黒の第一質料によって座標を定めることはできない。
「グウウウ……ああああああああアアアアアアアアアアアアあああああああアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!」
彼女から漏れる魔術。それは無意識なのか、俺を引きずり込むように漆黒の手が搦めとるようにして伸びてくる。
この魔術には見覚えがあった。
精神干渉系魔術、深淵だ。
魔術の基本属性は、火、氷、水、電気と決まっているがそれ以外にも存在する。その中でも精神に干渉し、相手の精神構造をコードから乗っ取り破壊する魔術がある。
それが精神干渉系魔術である……深淵。
戦場ではこの魔術に呑まれ……心を破壊されてしまった者もいる。
「……」
深淵により生まれたその漆黒の手はすでに、100は優に超えているだろう。それは俺の身体を掴もうと幾重にも重なり合うようにして、迫ってくる。
それを対物質コードで局所的に打ち消し、さらには後ろに控えている冰剣を操ることで対処する。
──死が視える。
きっと、あれに捕まってしまえば俺の命はそこで終わるだろう。それだけの感覚が確かにあった。身に迫る死。それは生物の本能として当たり前のものだ。
だが、師匠の教えによって俺には刻まれている。
死を無理やり抑え込むことはするな、と。
無視をすべきではない。見ないふりをするべきではない。
やるべきなのは、その死を見据えた上で戦う意志を持つことだ。
否定するのではなく、許容する。
そうすると、身体の震えが止まりさらに感覚は鋭くなっていく。
「グウウウウウウ……あああああああああああああああああッ!!!!!」
近づけば近づくほど、その濃度は濃くなっていき攻撃も激しくなっていく。
俺はその中を進み続ける。立ち止まることなど許されない。
ここで、この一撃で、仕留める必要があるからだ。
そうして俺は……とうとう射程距離に入る。
対物質コードと冰剣の同時使用により、俺の身体もまたすでに悲鳴をあげている。皮膚には薄いヒビが入り、そこから出血。さらには眼球からも溢れ出るその血は、止まることはない。
だが視界が赤く染まろうとも、この一撃は絶対に……当てるッ!!!
俺はそして、こう呟いた。
「──冰花繚乱」
一閃。
その吹き荒れる漆黒の第一質料を真横に切り裂く。
しかしながら……冰刀の刀身部分は完全に砕け散ってしまっていた。それは、相手の第一質料の奔流に冰刀が耐えられなかったからだ。
そしてパラパラと舞う冰のカケラは、漆黒の中へと呑まれていく。
「ふ……フハハハハハハ!!!! いくら、冰剣であっても……これは突破できまいッ!!!!!!!!」
まだ意識があるのか、俺の攻撃を完全に防いだと思っている彼女はそんな声を上げた。
その冰の刀は、この漆黒を切り裂くために生み出したとっておきのもの。きっと彼女はそう思っていることだろう。しかしそれは、過ちだということにまだ気がついていない。
「さぁ……死んでもらうぞッ!!!」
大量の漆黒の手が俺を包み込むように迫るも……もう既に、事は済んでいた。眼前で急停止するその漆黒の手を見つめながら、俺は淡々と告げる。
「いいや。既に決着はついた」
「な……は……あ……あぁ……?」
冰花繚乱。
その真価は、連鎖魔術と遅延魔術にある。
この技は、冰で構成されている刀身を連鎖魔術と遅延魔術で再構築し、指定した座標に冰の花を幾重にも重ねるようにして発動するものだ。
砕け散ったのは、わざとそうしたからだ。
元々これは、切り裂くことを目的としたものではない。相手を油断させ、そして再構築した冰でその対象の全てを包み込むことこそが、この技の真価である。
敢えて冰刀を選んだのは、刀の方が耐久性が低く再構築が容易に実行できるからだ。
さらに心的イメージをコードに組み込む場合、それは脳内で明確にイメージできる方が良い。そのため、この技に採用されたのは花だった。
そして連鎖魔術により数多くの冰花が生み出され、遅延魔術によってそれが花開くようにして彼女の体を覆い隠していく。
「な……なんだこれは……どうなっているッ!!!!!?」
「グレイ教諭。そこで、しばらく眠るといい」
「ああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
パキ、パキパキパキとその体は完全に冰の花々に包まれてしまい……。
目の前には彼女を包み込むようにして、巨大な冰花が生まれた。パラパラと零れ落ちる冰の残骸は、まるで雪が降っているかのような幻想的な光景だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
その場に膝をつく。
すぐに減速によって能力を引き下げ、体内時間固定によって自身の能力を封じ込める。
「レイッ!!」
「大丈夫なのか!!!?」
「レイくんッ!!!」
立ち上がれるようになったのか、3人ともに俺の方へとやってくる。
あぁ……俺は守ることができたのだ。今回は誰も失うことはなかった。
だからもう……休んでもいいですよね。
ねぇ、師匠──?




