第33話 今
崩れていく。
ひとつひとつ、長年長年、気の遠くなるような年を経て築き上げたモノ。絶対の一。
神の種が神と呼ばれることになった決まり。
『不滅』
世界を、全ての種族を統べる神々の自負心は、その決まりによって支えられている。彼らは壊れない。彼らは死なない。だからこそ、彼らは自信に溢れているし、強い。
強くて、壊れないから、戦場に出るとしても恐れなど感じない。
息が止まった。
声が止まった。
高揚していた心が、凍っていく。
崩れていく。築き上げた絶対たるモノが崩れている。絶対たる存在が、否定される。
敵も味方も、関係なく、その姿に戦慄する。
その大槍を担ぎ上げる男の姿に戦慄する。
その槍に、見覚えがある者は数名。その持ち主に心当たりがある者数名。
「待てアルケイア! 得体が知れない!」
「黙れシャールディ! 私は真実が知りたいからこっちについた! お前たちの指示で動く気はない!」
「馬鹿! これだから女は! 俺一人では!」
視線を前に向けるシャールディの、その眼の先にあるのは黒く白く輝く爪の翼。
爪に囲まれ座り込む巨漢がニヤリと笑う。構えるシャールディの頬に伝わる汗は冷たく、鋭く。
鳴き声が轟く。全てが震える。空に浮かぶ巨大な竜が鳴いている。
無意味な戦場にて、ただ鳴いている。鉄の船を腹に抱え、鳴いている。
暴風と爆音。船の縁に、銀髪で赤眼の女が独り。
千年以上もの時を神々の長として生きた女神、七神の長メナスが長い火砲を肩に担ぎ下界を見下ろしている。
無表情のままに、メナスは静かに口を開いた。
「私たちは神種ではあったけど、絶対たる神ではない。そのことを、この場にいる誰が知っているでしょうか」
次々と鉄の船から竜が舞い上がった。一つ一つの竜は馬ほどではあるが、その戦闘力は天馬の比ではない。竜の背に跨る魔神の軍勢は、剣を槍を手に下界へと降りていく。
「教えてやれ。お前が教えてやれ。全てを失って二年。あいつの槍を手に殺し続けた二年。天使だろうが神徒だろうが、七神だろうが七将だろうが、お前を殺しきることなどできない」
紐が伸びる。細い細い紐が伸びる。鉄の柵に纏わりついたそれは、力強く黒衣の女神を支えている。
妖艶な笑みを浮かべ、指先から伸びた紐を用いて空を降りるは魔神七将が一フレンナ。魔神七将唯一の女神にして最高の戦闘能力を誇る者。
それに続くは銀色の光。真っ逆さまに、一切の補助無く落ちる女神の腰には四本の剣。太々しく笑みを浮かべて。四剣の女神、神の剣フレイア。
「落ちる。完全に堕ちる。この戦場で、神の地位は完全に堕ちるわ。解放されっぱなしの、十階位のアルカディナの槍で、彼が神々の存在を完全に否定するわ。さて――――」
メナスが振り返る。風吹き荒ぶ甲板に立つ数人の人。それぞれがそれぞれ、青白い鎧甲冑に身を包んで。
「ありったけのお金で集めたミスリル鋼。全部あなた達の服に鎧に武器にしてあげたわ。本当なら私の好きなドワーフ族の遺産をになってたでしょうになんでこうなっちゃったかなぁ」
ミスリル鋼の兜のバイザーを上げる一際大きな男。何とも着心地悪そうに老人のしかめっ面がバイザーの下から現れる。
老騎士ダナン。そしてその後ろにいるのはメナスが人の国より連れてきた人々だ。
「それじゃ存分に。あなた達のやるべきことは、わかってるでしょう?」
どこまでいっても籠の中。歩いて歩いて、海を越えて大地を越えて、それでもいるのは籠の中。
金属音が鳴った。メナスが手元の火砲に弾を籠めた音だ。神としての器を失った彼女の手に、創られた武器が握られている。
明日、未来、次。否定することで、本当の『次』に。
誰も見たことがない『次』に。
本当の『次』に。
「誰の思想も誰の夢も誰の希望もいらない。さぁ、アルカディナが最後にやろうとしたことをやりましょう。アルク、あなたはそのために、今生きてるのでしょう? ふ、ふふ……」
笑みが漏れる。銀髪に、赤色の眼。神々しく陽の光を受けて美しく、そして凶悪に笑う彼女は、どこか悪魔的で。
本物を、真実を、幻想の先を、夢の前を
今あることが間違いなのだというならば全てを毀してしまえばいい。
さぁ――
「かかってこいよ。お前らが勝てば何もかもそのままだ。大事なんだろうこの世界が。大事なんだろう、お前らの世界が」
――叩き壊せ。
「お前! 今度は仕留める!」
盾。それは、敵の攻撃を防ぐためのもの。故に、盾の形は一つではない。
円形、ひし形、長方形、正方形、杭状
彼女のそれは、正円を真っ二つに斬り裂いた、半円。
大地を揺らし、両手に半円の盾を持って駆ける真っ赤な瞳の神種は、かつて神の盾と呼ばれた七神の一アルケイア。向かう先にいるのは血に濡れる大槍を肩に担ぎ上げる大柄の男アルクァード。
一切の奇跡も無く、一切の法術も無く、ただ愛する者が残した槍のみでここに立つ彼は、笑みを浮かべて向かってくるアルケイアを待っている。
嬉しいわけではない。楽しいわけではない。だがそれでも、笑って彼女を待っている。
それが、どれほどアルケイアの神経を逆なでしたか。美しき黒髪の女神は、怒りの形相で顔を歪ませていた。
踏み込む足。跳ねる土。殴りつけるように振り下ろされる彼女の右手の盾。
その速度と威力はまさに圧倒的。並みの肉体ならばそれに当たれば砕け散ってしまうだろう威力。
「――っ!」
それを、半歩下がることで躱したアルクァード。その姿に、表情を強張らせるアルケイア。
渾身の一撃を、慌てることもなく躱したということがどういうことを意味するのか。
そう
格が違うのだ。
「な、何者だお前……お前は、何者だ!」
「はっ」
大槍を片手に、一歩前に出る男の姿に、アルケイアは思わず一歩下がった。
七神の一、神の盾アルケイアが思わず一歩下がってしまった。
「怖いか? 殺せない相手が出て来てそんなに怖いのか? ああん? 神様なんだろう? お前ら、神なんだろう?」
神の世界。
人が想う、素晴らしき神の世界。
絶対的な神が、絶対的な力で全てを支配し、全てを許し、全てを救う世界。
理想郷。夢のような、最高の、最幸の、世界。
神は絶対だ。神は素晴らしい。神は偉大だ。
神様の言うとおりにしていれば、しあわせだ。
――そんな世界にすると、彼女は言ったのだ。
否定してはいけない。
殉じなければいけない。
大変な想いをして、沢山の涙と血を流して、全てを壊してまで、創り上げたのだから
次が なければいけない。
だって あのひと ころして つくったんだもの
「さぁやろうぜ。俺を殺して、世界を救ってみせろ神様」




