第32話 不滅を滅する槍
戦場に、命を捨てる。それは戦う者にとって、最高の名誉。
最上の死。
「貴様ハ、オーク王……時代ヲ読メヌ、弱キ王」
「獣人王。結局我らは、最後まで殺し合うのだな」
知っている。死には意味などないということを、後に繋がる死など本当はないということを、誰もが知っている。
だからこそ、意味のある死を求める。
「ルガネラ! まだ神徒として軍神の国にいたのか! 何故我らについてこなかった!」
「裏切り者めが! 裏切り者めが! お前たちが我が友を殺したのだ! 許せるわけがない! 許せるわけが!」
戦場に溢れるのは憎悪だけだ。誇り、敬意、友情、親愛。それらを持っていられるのは戦いが始まる前までだ。
剣は、武器は、相手を殺すためのものでしかない。それを握る者が如何に否定しようとも、結局は、相手を殺すしかない。
死んだ者に送る言葉など、ありはしない。
「ぐあああああ!」
この世には、死が溢れている。沢山の生命が生きているから、沢山の死が存在する。
森の奥で、草原の上で、山の麓で、海の上で
命はあっけなく、実にあっけなく、無意味に、無駄になくなってしまう。
そう考えれば、自らの死を誰かに伝えることができるということは、断末魔の声をあげれるというのは、ある意味では、幸せなのかもしれない。
せんじょうにひとつ、またひとつと、いのちがきえていく。
どうしてここにいるんだろうか。どうしてたたかうのだろうか。
できるならば、許されるならば、足を止めて目の前にいる敵に向かって、もうやめようと言いたい。
でも、できない
「うっあっ……」
「マリー! よくも、よくもマリーを!」
止めるには、あまりにも長く戦いすぎたから。
戦場に消える命には一つ一つ想いがある。家族のために戦場で功を上げたい。恋人のために無事に帰りたい。友のためにひとつでも多くの敵を倒したい。
想いは伝播する。想いは積み重なる。自分たちの想いはすでに、自分だけのモノではない。
何十年も、何百年も、何千年も、戦ってきたのだから、今更それを否定などできない。
いくつもいくつもいくつも世界を壊しては治して、繰り返して繰り返して今を維持してきたのだから、今更別の世界などにはできない。
全ての命には、全ての者には自由がある。選べる道がある。道は前にどこまでもどこまでも続いていて、その道を歩く自由は皆に許されている。
どの道を選んでもいい。どの道を行ってもいい。自由だ。全ては自由だ。命をどう使おうが、足をどう動かそうが自由だ。
でも、不自由だ。
振り替えれ。今いる場所から振り返ってみろ。そこには何がある。過去には何がある。
屍だ。無数の屍だ。今を必死で選んで歩いてきた者達の屍だ。今を作った者達の屍だ。
無数の道から今へと至る一本の道を選んだ幾多の者達。その屍を踏みしめていることに気づいてしまったのならば、もう道を選ぶことなどできない。
過去の者たちが行きたかった未来に向かって歩くことしか、許されなくなるのだ。
そう、もう誰も、神であったとしても、もう二度と道を選ぶことはないのだ。
「ふぅ……」
巨大な強弓に矢をつがえ、力強く弓を引く神がぼそりとそう言った。彫りの深い荘厳な顔。赤茶色い髪が風に揺れる。
七神の一、軍神の子、神の弓。幾つもの二つ名を持つその神の名はシオドラド。彼の神器は弓と矢。絶対に壊れることのない弓から放たれる絶対に壊れることのない矢。
彼は常に遠くより戦場を見ていた。誰よりも戦場の全体を見ていた。
彼は思っていた。神は絶対だ。神の力は他種族がどんなに背伸びしても、どんな道具を使ったとしても並ぶことはない。
であるなら、何故他の種族が必要なのか?
シオドラドは右手を放した。矢が急激に加速され、閃光となって前へと飛んでいった。
その矢の射線上にいる者は一瞬で死んでいく。矢に気づいた神種のみが辛うじてかわしているが、他の種族でその矢を躱せる者はいない。
何故、他の種族が戦場にいるのだろうか。
これだけの力の差。不平等だ。無意味だ。無価値だ。
生きている証を求めるならば戦場に拘る必要などないだろう。戦士としての誇りを求めるならば前線にこだわる必要などないだろう。
何故、ここにくるのか。
シオドラドは神徒時代にずっとそう思っていたし、それは七神となっても変わらなかった。
どうして? 何のために? 何故?
神以外の存在理由とは何だ?
それを疑問に思う者など誰もいなかったから、彼は誰にも答えを聞くことはできなかった。
世界は神が創りしものなのだから、神以外は誰かが創ったものなのだろう。
何故創ったんだ?
わからない。何百年も、何千年も考えているのに、わからない。
知りたい。
だから――――裏切った。
「神が不要な世界ができれば、きっとわかるだろう。きっと、わかるのだろう」
その想いを他者に知られれば、まともな思考ではないと誰もが言うだろう。
だがそれが彼がここにいる理由だった。
長く生きているからこそ、知を求める。
矢をつがえる。前を向く。遠くで無数の刃を格闘する仲間たちを見て、彼らを助けんと狙いを定める。
勝てばこの世界が終わる。この世界が変わる。新しい世界になればきっと、神がいない世界になればきっと、他種族を理解することができる。
力を、籠める。矢を――――
「ゴワァァァァァァァァアアアアアアア!」
その時だ。
戦場に、大きな大きな大きな『音』が鳴り響いた。
地を揺らすほどの低音。身を震わせるほどの爆音。
シオドラドは音が鳴った方を、上を向いた。戦場にいた者全て、顔をあげた。
巨大な――――龍がいた。船を腹に抱える龍がいた。
「大龍……船……だと」
『大龍船』
それは、翼を持つ竜種の中でも特に大きい、万年を生きると言われる大龍の腹に巨大な船を固定したものである。
大龍は風を全身に纏って空を飛ぶ。身体の傍は常に暴風。故にその船は、木造りでは耐えきれず――その船は鉄とミスリルでできていた。
見上げる。
皆が見上げる。
唐突に、背筋が凍る。
「こんな後ろで矢を撃ってるだけか。随分楽そうだなオイ?」
身体に走ったモノは、何なのか。
他の全ての者が上を見上げているのに、シオドラドは後ろを見る。その男の姿を眼に見る。
一際大きな身体。太い手足。真っ赤に錆びた鎧。
巨大な槍を肩に担ぎ、一歩、一歩、一歩、それは歩いてくる。
「誰だ?」
戦場で名など意味はないのに、聞かざるを得ない。
「はっ、聞いてどうするよ?」
その通りだと、心の底から思う。
ずるりと生き物のように肩から降りた大槍が、シオドラドの方を見ている。
声がする。
『神徒如きが、私に勝てると思ってるの?』
シオドラドの息が止まる。弓を、矢を、歩いてくる男の方へと向ける。
感情が戻る。傍観者だった彼に、戦場にいる誰しもが持つ感情が戻ってくる。
「誰だ!?」
何故、聞いてしまうのだろう。シオドラドは自問自答する。
歯を見せ、ニヤリと笑う、男。眼は黒い。髪はうっすら赤毛寄りの黒。鎧は赤錆で、槍は彼女の槍。
男が腰を落とす。彼の脚に、力が籠められていくのが分かる。
分かる。
理解できてしまう。
この男は、この槍は
自分を
壊せ/殺せ
「くっ!」
矢を放った。狙いを定め、シオドラドは矢を放った。
彼は、神の矢。狙いを外すことなど、ありえない。
だから、矢は真っ直ぐに男の頭に向かって飛んでいった。真っ直ぐに真っ直ぐに真っ直ぐに真っ直ぐに
男の首が少しだけ右に傾いた。矢は、真っ直ぐに男の頭があったはずの場所を貫いた。貫いて、男の遥か後方へと真っ直ぐに飛んでいった。
避けられた。光の如き速さを誇るシオドラドの矢が避けられた。
男の身体が、一気に大きくなった。
前に、一足に跳んでで来たのだ。
弓を両手で持ち、それを盾のように身体の前に突き出すシオドラド。彼の神器は七階位を越え不滅を得ている。壊れることはない。壊れることは、ありえない。
ありえない
「おおおおおりゃああああああああ!」
獣のような雄叫び。砕け割れる彼の弓。そして頭に走る熱。
「ぬおおおおおおおおおおりゃああああ!」
音。骨が砕ける音。熱が、痛みが頭の先から身体の中心に向かって走る。
視界が消える。
音が消える。
意識が――――
「そう、か」
間際になって、ようやく理解する。
他の種族が存在する理由。戦場に神以下の種族が存在する理由。世界に存在する種が、優秀なる神だけではない理由。
それは、神も死ぬからだ。
当たり前だ。神も、死ぬのだ。絶対だと思っていたモノも、壊れるのだ。
命。それは平等だ。絶大な力を持っていると思っていた神も、なんのことはない、他の種族と、無力な他と同じなのだ。
死ぬ時は、死ぬのだ。神であっても、死ぬのだ。
だから、皆戦おうとするのだ。自分たちの種が、違う、自分たちが生きたいから、生きて欲しいから、意を決して戦場へ行くのだ。
戦うことで、明日をいきれるから戦場へ行くのだ。
シオドラドは死んだ。あっけなく、あっけなく死んだ。子供のような疑問と、子供のような答えを得て、神の弓は死んだ。
頭の先から臀部の下まで一刀両断。鎧も肉も骨も止めることができなかった大槍が地面に突き刺さった。
左右に分かれるシオドラドだった肉の塊。遅れて落ちる砕けた彼の神器。
壊れるはずのない神器。
「ふ、は、はははははは、はははははは!」
笑い声。血にまみれた槍を肩に担ぎ、男は大きな声で笑う。
戦慄が走る。壊れるはずのないモノが壊れたことで、死ぬはずの無い者が死んだことで戦慄が走る。
「はははははは!」
誰が
誰が理解できるかその光景。
誰が理解できたかその光景。
――――神々の戦場に、彼が立った。




