第31話 神ノ種
戦場に、綺麗な音が鳴り響いた。
金属がぶつかるような、骨がぶつかるような、弦楽器を叩いたかのような澄んだ綺麗な音だった。
オリハルコン同士の、衝突音だ。
「しぃぃぃぃぃぃ!」
神の振う槍は、まさに神速。目にも止まらぬ槍の連続突きが巨漢の神に襲い掛かった。
巨漢の神は慌てることなく、両手に付けた巨大な爪でその槍の攻撃を丁寧に、しかしながら激しく受け止め、払いのけていった。
「なんて反応! 肥え太ったその身体でこの速さか!」
オリハルコンは神種の身体より生み出される生体金属だ。それをぶつけ合うと言うことは、己の身をぶつけ合うのと変わりない。
オリハルコンをぶつけ合う音というのは、神と神がぶつかり合う音だ。
「ンンンンあああッ!」
音が鳴る。何度も何度も何度も、音が鳴る。
己の分身を打ち合うその意味。もし万が一、双方が持つオリハルコンが、双方が持つ神器が砕けてしまったら、その瞬間に神としての生は終わる。
神器は必ずしも武器の形をしてはいないが、だからこそ武器としてそれを振り回すということに意味があり、覚悟があり、誇りがあり――――
一際大きな音が鳴った。槍を持つシャールディの身体が大きくうわぞった。
「まずい!」
「覚悟せよシャールディ!」
神種の中でも高齢で経験豊富なルクシスが、大きく隙を見せたシャールディを逃すわけがなかった。
打ち勝ったということに喜びの感情すら見せず、彼は右腕を大きく振りかぶり踏み込む。蹴り足が土を抉り、踏み込む足が地面を陥没させる。
槍は、素早い突きと長い射程による制圧力があるが、超接近戦ではその長さが命取り。
振り下ろされる右腕。振り下ろされる豪爪。爪の先は、シャールディの頭。
爪は、激しく、鋭く、振り下ろされようとしたその瞬間――――
「…………むぅ」
ルクシスの手は、止まった。
「くっ!」
後ろに飛びのき姿勢を整えるシャールディ。顔を歪ませそれを黙って見送るルクシス。
何故急に動きを止めたのか、シャールディは槍を構え直したその時にやっと、理由が分かった。
笑みを浮かべるシャールディ。悔しそうに横腹にささった矢を引き抜くルクシス。
「簡単にはいかんかシャールディ」
「恥じる気持ちはある。しかし、勝たねばならない戦いだ。負けて死んで終わり、そんなわけにはいかない。いかないんですルクシス」
「やっかいだのぉ本当に」
ルクシスは腰を深く落とし構えた。先ほどとは少しだけ斜めに、正面の敵以外にも対応できるよう視野を広くとって。
「さすがに七神のうち二を同時に相手にするのは骨が折れる。少しは加減してくれるかシャールディ、シオドラド」
「二? 三では?」
「む?」
ルクシスの背後に現れる細身の神。長い黒髪に赤い瞳、神の盾アルケイア。
巨大な円の盾を二つに割って、彼女は両に半円の盾を手にしルクシスを睨みつける。
「なんじゃなんじゃ、裏切った七神全員が儂の相手か。他の兵を抑えるのはやめたのか?」
「あなたさえ何とか出来れば勝ちは固い。未熟者ばかりとは言え、神徒もたくさんいる我らが数だけの連合軍に負けるはずはないでしょう? あなたとフレイアさえいなくなれば、我らに対抗できる神はいなくなる」
「おうその通り。アルトスやネレウスは弱いからの。ぬはははは!」
「例え魔神の国より魔神七将が来たとしてももう老将軍バルジードと女神フレンナしか残っていない。やはり、あなたを殺すことがこの戦いにおける最優先事項だ」
「ぬかせ若造。神徒より七神になって数年たらずの貴様らが、儂をやれると思ってるのか」
「やってみせますよ。やってみせるさ。なぁアルケイア」
「うん」
「ぬはははははは! その意気や良し! 若者はそうでなくてはな! だがな」
足音が響く。土煙を上げて、彼らの下へと音が迫りくる。
足止めされていた軍神魔神連合軍の兵たちがようやく前へと出てこれたのだ。
「間違いは、間違い。若者の間違いを正すのはいつの時代も年長者」
足音が響く。今度は前から。叛逆者たちの兵たちが連合軍の兵を迎え撃つために前に出たのだ。
若い信徒たちがオリハルコンの、あるいはミスリルの武具を構え天使たちを引き連れ走り出す。大きな音と土煙をあげながら。
「今と違う世界が欲しい。その想いはよくわかる。だがの。それでは『今』には決してならんぞ。次の世界に神の種が存在しなくなってしまえば、世界はそこで終わりぞ。それは理解しておるのか?」
アルケイアが盾を構える。シャールディが槍を構える。
遠く丘の上で、シオドラドが弓を構える。
「……よかろう。なれば全力で」
戦場では、言葉は無力。言葉で意を交わすのはほぼ不可能。
己の意を伝えようとするならば、武以外に手段などなく。故に彼は己が器の形を変える。
即ち
「神器解放第9階、『大地屠る獣』」
神の爪。
「うっ!」
風が吹いた。どこからともなく、風が吹いた。
風は気流であり、星の流れである。全ての風は流れであり、上から下へ物が落ちるという具合に、基点となるものがあって初めて風が吹くのである。
風は、ルクシスの両の爪から吹きだした。
神器とは、神の器である。それは神種の分身であり、神の種としての本体である。
神種はうまれでたときにその身体のどこかにオリハルコンの結晶を携えている。肩口、胸の間、背中、額、その結晶の場所は様々である。
そのオリハルコンの結晶は成長と共に身体より外れ、何らかのモノへと形を変える。剣、槍、指輪、髪飾り、そして爪。形は様々であり、その神器の力も様々だ。
神器は道具ではない。神器は、神の器なのだ。神が神として存在するための、神が神としての世界を封じるための器なのだ。
故に、神器から吹きだしているその風は、ルクシスという名の神が持つ世界から吹きだしていた。
対峙するシャールディが大きく唾を飲みこんだ。ルクシスから溢れる風が、彼の身体を押しのけんとしている。
爪の形が変わっていく。もはやあれは爪ではない。剣だ。鋭利な曲刀だ。
左右三本ずつしかなかった爪がいつの間にか数を増やしている。五本、十本、二十本。爪が、刃が彼の周りを舞っている。
地面を割って何かが生えた。爪だ。刃と化した巨大な爪だ。一本、二本、三本――――数えきれない。
どすんとルクシスは地面に胡坐をかいて座った。彼の周りを無数の爪が覆っていく。
ルクシスがその髭を爪で少しだけ擦った。髭が数本風に舞った。
「9階位の神器……やはりルクシス、9階位に至っていたか。何が9階位はメナス様だけだ。自分もそうじゃないか。抜け目ない奴め」
汗を拭いながら槍を構えるシャールディ。その槍は、すでに無数の穂先が伸びつつあって。
「シャールディ落ち着いて。形ある刃だけなら、私の盾で防げる。神器は、七階位を越えればこわれることはないから」
壊れぬ盾は鉄壁か。神の盾アルケイアが自らの盾を前に突き出す。顔を強張らせながらも、戦いから逃げることはなく。
「そうは言うがな、相手の爪も神器だぞ。相手も条件は同じだ……まるで爪のカーテンだ。シオドラドのやつ、ちゃんと当てれるんだろうな……」
「シャールディ、来る。覚悟を」
「わかってるさ。これもそれもあの方のためだ」
舞う爪は、陽の光を受けてキラキラと輝く。神々しさとはまさにこのことか。
「ヌオオオオオオオオ!」
「ガァァァアアアアア!」
雄叫びと共に激しい金属音が鳴り響いた。ルクシス達の周りで両軍の兵がついにぶつかったのだ。
神々の戦場は、強き神と弱き兵たちが奇跡的なバランスで存在する場所だ。触れれば死ぬ神の力に恐れず前に出ることができる者だけが、功をあげることができる。
「ヌウウウウウ!」
一際巨大なオークが斧を振り落とした。数十の敵が肉片に変わった。
「ウオオオオオ!」
獣のような咆哮を上げ、大きな獣人が口に咥えた剣を振った。いくらかの敵が肉片に変わった。
人が夢見る神の戦場は、人が想う以上に圧倒的で。残酷で。容易くて。
最後だ。
これで最期だ。
これ以降の戦争はもうない。
最終戦争は、夢想の中に。
「次の世界は俺たちがつくってみせる!」




