第30話 前哨戦
声。それは己の意を伝えるために最も優秀で効果的な道具である。
優しく喉を震わせれば、相手の心を惹かせ、激しく喉を震わせれば、相手の心を委縮させる。
歌う。叫ぶ。同じ声であっても、それは場合によって、それは聞く者によって、様々な姿を見せる。
彼らは、叫んでいた。
「うおおおおおおおおおおお!」
「オオオオオオオオオオオオ!」
「ガアアアアアアアアアアア!」
「うあああああああああああ!」
緑褐色の巨人。オーク種の戦士。
狼の顔に鋭い毛の獣人。ウルフ種の戦士。
鋭い角に険しき顔。オーガ種の戦士。
美しい白き翼に美しい顔。天使種の戦士。
戦場に立つ兵は神種だけではない。他種族の戦士たちもまた、兵なのだ。
軍神と魔神の連合軍。叛逆者たちの軍。両軍兵数は多数。僅かに連合軍の方が数は多いか。
剣を握る。槍を突き出す。斧を振り上げる。爪を突き出す。土煙を上げ彼らは走る。大きな大きな声を出しながら。
彼らは人とは違う種だ。人とは違う文化があり、人とは違う思考をしている。
でも、声を上げる。人と同じように、彼らも声を上げる。
戦場における声とは、どのような意味を持っているのか。
相手を威嚇するため? 仲間を鼓舞するため? 自分を奮い立たせるため?
全てだ。
「ウオオオオオオオオオオオオオ!」
声が重なる。全ての声が重なる。天使も獣も獣人も己の喉を全力で振るわせて戦場を駆ける。
黒い球体。戦場の中央に鎮座するそれは、軍神の矢。勝利者がこれを手にし、これによって世界を支配するだろう。
駆ける。足を必死に動かして駆ける。守るため、奪うため、駆けて駆けて、駆けて駆けて駆けて
駆けて――――
「神器解放第8階、『棘の森』」
――――死んだ。
白い棘。伸びた線。幾重にも幾重にも別れた枝。
一本が二本、二本が四本。四本が十六本。オーク、獣人、天使、オーガ、リザード。敵も味方も、その針は一切の区別なく駆けた者達を貫いた。
棘を握るのは、槍を握るのは美しき男。神の槍シャールディ。
「一番槍。槍使いの誉だねぇ」
シャールディが槍を引く。枝分かれした槍はばきりと根元で折れて、一本の槍へと戻る。
枝は幹が消えれば腐り落ちるモノだ。枝分かれした穂先は光になり消えていく。一つ二つ、駆けていた姿勢のまま死んだ兵たちが地面に落ちる。
意志も想いも、ただ一瞬で砕け散る。神の戦場に、心は無いのだ。
「正面は駄目だ! 回り込むぞ!」
大きな声だった。目の前でたくさんの兵が一気に槍に刺し貫かれる姿を見て、誰かがそう言ったのだ。
誰が言ったのかは関係がない。目の前は危険だ。だから迂回しよう。そう思うのは自然であり当たり前だ。
前へ足を向けていた兵たちは足の向きを変えた。右と左。散らばるように。
「神器解放第7階、『城壁』」
それは、壁だった。巨大な巨大な壁だった。
迂回しようとした兵士たちの目の前に、突如として巨大な壁が現れた。
石ではない。鉄でもない。その壁は、世界最硬度を誇るオリハルコンの壁。
壁が大きくなる。壁が迫ってくる。
「まずいアルケイアの神器だ! 皆下が」
――――壁が落ちてくる。
「あああああああああ!」
ぐちゃりと肉の潰れる音がした。巨大な壁がその巨大さのままに倒れてきたのだ。
袋に入れられた水が飛び散るように、腸に詰めた肉が押し出されるように、赤や緑褐色の血が混じり一気に地面に広がった。
「……汚らわしい」
壁の上に黒い髪の女神が立っていた。神の盾アルケイア。盾を巨大化させて押しつぶす。それだけで、数十数百の兵が死ぬ。
神の戦場に置いて、神以外の命は統計上の数でしかなく。
「ガアア!」
獣人が叫び声をあげて指を伸ばした。右だ。右にいけばシャールディの槍もアルケイアの盾もない。右から進軍するんだ。
彼の意図を理解した他の者達が一斉に右を向いて走り出した。弓矢を持っているモノはいるが、結局のところ戦場は前に出なければ戦いにはならないのだ。
先頭を駆けるのは右へと促した獣人。狼の頭を持っている獣人は、獣のように俊敏に動くことができる。
足の速さならば全種族一か。その足は、その腕は、柔らかく強く。
――その獣人の頭が無くなった。
「ナンダッ!?」
「何が起こった!?」
一つ、二つ、ばちりばちりと、前にいたものから頭が無くなっていく。
三つ、四つ、五つ
「矢だ! 見えない矢! シオドラド!」
長き戦争の歴史だ。一緒の戦場になった者がいたのだろう。その攻撃を断定できたものがいくつかいた。
「下がれ! 物陰に隠れろ! 物陰……物陰!?」
作法は壁。前は槍。戦場は荒野、大きな戦争があった古戦場跡。
瓦礫や木はあれど、建物など一つもなく。岩など一つもなく。
「う、うわぁぁぁぁあ!」
叫ぶ天使の頭が消し飛んだ。叫び声は頭が消えた瞬間に消え、一瞬周囲が無音になった。
遠く。遥か遠く。戦場よりも離れたその場所で、強弓を握る神の弓シオドラド。太い腕をパンパンに膨らませて、彼は巨大な矢を弓につがえる。
「……戦場は、やはりいいな」
遠くでまたひとつ、頭が無くなった。
動けない。
軍神魔神連合軍は、前に出れない。
「くそ、アルトス、どうしようもないぞこれは。魔神の本隊はまだこないのか?」
「向かっているはずだ。魔神七将数騎とフレイアが到着すれば個々の力も拮抗する。それまでに敵の全体をつかみたい。ネレウス、彼ら3神以外はどこにいるんだ?」
「裏にもいない。どこかで伏せているんだ。寄せ集めと思っていたが、強かだね」
「……仕方ないな。ルクシス!」
「応!」
アルトスの声で、大きな塊が勢いよく飛び出してきた。
「正面少しでも敵を抑えてくれ! 兵たちが前線にいくまででいい!」
「任せい!」
そう叫んで飛び出てきたのは七神の一、神の爪ルクシス。巨大な身体、大きな腹、鈍重そうなその身体を軽々とあやつって、彼は空へ舞った。
ルクシスの両手に輝く禍々しい爪。神の爪と呼ばれる所以となった彼の神器だ。
「ぬおおおおおおおお!」
「何っ」
それは、肉の弾丸と呼ぶにふさわしい勢いだった。遥か後方にいたシャールディの下へルクシスは一気に飛び掛かった。
勢いのままに振り下ろされる右爪。轟音と爆風を伴い襲い来るそれを、シャールディは後方へ飛んで躱す。
シャールディがいた場所の地面がえぐれた。
「くっ……正面から突撃してくるだと……恐ろしい威力だ。さすがルクシス様」
ぎょろりとルクシスの眼が動く。その顔は、温厚な普段の顔とは異なり、厳つく、厳めしく、怒り艶やかに。
両手の爪を二度鳴らし、ルクシスは構えた。全身からにじむ殺気は、目の前のモノを確実に殺すといわんばかり。
「その槍は全てを壊すと言われた先代神の槍アルカディナ。七神の長にして最強の神であった神の剣メナス。彼女達を幼少期より育てたという老ルクシス。さてさて、どれだけの腕か……」
白い槍をぐるりと回し、シャールディはルクシスに向かって構える。その表情、どこか楽しそうで。
「楽しいかシャールディ。仲間を殺してそんなに楽しかったか?」
「ああ楽しいよ。ふふ」
雄叫びがあがった。ルクシスの突撃を見て後続の兵たちが駆けだしたのだ。
シャールディの後方にいたはずの兵たちもまた、それを迎え撃つために前に出てきた。前と前。陣形も何もない。ただ両軍前へ出るだけ。
「いくぞルクシス」
「ぬう!」
戦争とは、何だろうか。
敵を殺すことだろうか。
敵の領地を侵略することだろうか。
敵の家を文化を破壊することだろうか。
敵とは何だ。
味方とは何だ。
何故壊す必要がある。何故戦い必要がある。何故
それを考えるから、戦争は起こる。
戦争だ。何度も何度も繰り返してきた戦争だ。終わったはずの戦争だ。
剣がぶつかる。斧がぶつかる。命がぶつかる。
「覚悟ォォォォ!」
「若造がぁ!」
相手を知って、相手を見て、その上で戦える者は、この戦場にいったい何人いるのだろうか。
なんどめの
戦争なんだろう
水晶の城の地下で軍神は眼を開けて、そう心の中で、自分に問いかけた。




