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神々のディストピア  作者: カブヤン
神の国篇 第二章 深淵に揺蕩う世界
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第28話 前夜

 門が閉じられている。


 村の入口にある、木の門だ。


 門の左右には木の柵。それはどこまでも、どこまでも続いていて。


 その村に住んでいた彼は、ある日、父親に聞いてみた。


「父さん、いつこの門は開くの?」


 それを聞いた時の父親の顔は、悲しそうな、悔しそうな、苦しそうな、でも、どこか幸せそうな、そんな顔をしていて。


 父親は彼に告げた。


「この門はな……開かないんだ。俺たちは、向こうには行けないんだ」


「何で?」


「んー……」


 父親は彼の頭に手を置いた。その手は大きく、厚く。


 苦々しく父は笑った。そして空を見上げて、父は言った。


「俺たちは罪人で、農奴なんだ。だから外にでることはないんだ。一生……一生な」


 強く、父は彼の頭を撫でた。その手から伝わってくるモノは、悔しさだったか、諦めだったか。


 彼は、空を見た。高い高い柵の上に昇る、太陽を見た。


 『外』


 この柵の外には、一体何があるんだろうか。


 この柵の外には、一体誰がいるんだろうか。


 どんな景色があって、どんな動物がいて、どんな植物が生えてて、どんな食べ物があって、どんな人がいて


 外には、何があるんだろうか。


 わからないから、わかりたい。


 彼は、その日から外を見ることが多くなった。柵の外を見ることが、多くなった。


 事実、柵には隙間はない。村から外は、見ることはできない。


 それでも彼は、外を見た。いつか、外に出た時のことを想って、彼は外を見ていた。


 それは、彼にとっての夢だったのか。それともただの――――


 閉じられた壁は、誰も越えることができない。


 閉じ込められた者たちは、誰も外へは出られない。


 壁の外は、何があるのか。何があったのか。


 村の外には、何があったか。


「学校だ。あのじじいに連れられて俺は、騎士学校に入れられた。机に座って、歳の近い奴らと一緒に物事を学んで……ああ、あの頃は、楽しかったな。間違いなく、楽しかった。一日一日が、楽しかった」


「うん、私も、神学校は楽しかった」


 場所があった。壁の外には、成長するための場所があった。


「楽しかった。本当に、楽しかった。ガキの頃は、本当に、楽しかった」


 道があった。どこまでも続く道があった。


 その道は、どこまでもどこまでも続いていて、続いているようで。歩けば、走れば、どこまでも行けて、行けると思って。


「たくさん食った。たくさん鍛錬した。たくさん勉強した。気が付けば、年上のやつら含めて誰も俺に勝てるやつはいなくなってた。当然だ。貴族の坊ちゃんたちばっかりなんだぜ。箔をつけるためだけに騎士学校にいる連中だ。誰も強くなる気なんかねぇし、誰も勝つ気はなかったからな」


「私の周りもいい家のお嬢様ばかりだったなぁ。懐かしいな」


 時は重ねられ、過去は積み上げ挙げられ、今を成すのは、数多の日々。


 そして


「もういい。全部治った。お前は休んでろ」


「傷跡が」


「いい。綺麗に治す必要はねぇ。もう寝ちまえよ」


「傷」


「いい、今更一つや二つ増えたところで一緒だ」


「……うん、わかった」


 身体に刻まれた傷は、顔に残った傷は、一体何のために負ったモノか。


「じゃあ、部屋に戻るね。アルク、おやすみ」


「ああ」


 立ち上がるユーフォリアの背に白い月。陽が落ちぬこの極北の地で、暗闇の中に彼はいる。


 扉が閉じる音が部屋に鳴り響く。静けさが部屋を包む。


「心配するなよ。負けてねぇ。まだ負けてねぇ。ばあさんには逃げられちまったが、俺は誰にも負けてねぇ」


 ベッドの傍らに立て掛けられた巨大なオリハルコンの塊。それで叩き潰された者はどれだけいたか。神の大槍は、月を映して白く青く朱く。


「時々思う。俺がもしあの時断っていたら、あのままでいることを選んでいたら、どうなっていたんだろうってな。お前はお前のままで、俺は俺のままで、それで……それが、良いのかなって、な」


 ベットから腰を上げる彼の眼は、月の光を見ることはなく、ただ暗闇に眠る槍の影に顔を向けて。


「良いわけねぇよな。なぁ、言いわけがねぇよなぁ?」


 窓から見えるは月。月の周りに輝くは星。


 無限に思える距離の果てに輝く無数の光。見上げるだけで見えるそれは、彼にはもう見えない。


 囲い、覆われ、包まれ、縛られ


「偉大なる神。自由という言葉では表現できない程の自由。お前の中に見たそれがどれだけ眩しかったか。どれだけ心を惹かれたか」


 誰も彼には言えない。誰も彼に言うことはできない。


 今まで、これまで、それを言える者がいるとしたら、ただ一人か。ただ一――――


「そう言えば、愛やらなんやらっつー言葉は、お互い一度も口にしなかったな」


 微笑む彼の眼に映る大槍には、彼女の顔がうつり込んでいるようで。


「後悔はしつくした。悔しさは噛み殺した」


 声がする。彼の頭に声が鳴り響く。


 許さないで。


「わかってる」


 許さないで。


「わかってる」


 ――許さないで。


「わかってる」


 ガシャリと音が鳴る。机の上にある赤錆びた鎧から鳴った音だ。


 誰かの血で作られた赤いオリハルコンを、彼女に売って金に換えて来いと言われて持たされた赤い欠片を集めて並べて、ミスリルの鎧に張り付けて作ったそれは、槍と共に彼女が彼に残した戦うための道具。


「壊す。壊してみせる。七つ全部、壊してみせる。その後どうなるかなんて、どうでもいい。お前たちがいない世界など、どうでもいい。どうでも、いい」


 声が聞こえる。彼の耳にだけ声が聞こえている。


 他者から言わせればそれは、幻聴と呼ぶのだろう。しかし、彼にとって、彼らにとってそれは、幻では決してない。


 死に際に、消える際に、彼女は確かに言ったのだ。その言葉を言い残していったのだ。


 だから、忘れない。彼はその声を忘れない。


「飛ぶ船があるんだとよ。お前は知ってたか? 空飛んじまったら、釣竿おろしても何も釣れねぇよな。たく、味気ねぇなぁ」


 今を形作るのは過去ではあるが、それだけでは未来を見ることなどできないのだろうか。


 月を見ず、星を見ず、暗闇の中で、彼は独り大槍に言葉を投げる。いないはずの相手に向かって彼はただ独り、言葉をかける。




 ――――許さないで。

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