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神々のディストピア  作者: カブヤン
神の国篇 第二章 深淵に揺蕩う世界
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第25話 裁定

 声だ。


 たくさんの声が混ざっている。


 その声は全てどこか嬉しそうで、楽しそうで。


「おや、あなたも呼ばれましたか? どうですか最近は。軍神の国からの購入が急に無くなったとのお話ですが、そちらはどうですか?」


「そうなのですか? 我々は元々あちらに奴隷は卸してませんからね。いやはや幅広く商いを行っておられる方はやはり情報が早いですな」


「ははは、いやいや欲深いだけですよ」


 白い翼を持った者がいる。獣のような顔をした者がいる。角の生えた肌の赤い者がいる。鱗を持った者がいる。彼らの豪華で煌びやかな服についたバッジは、奴隷商人が着けるバッジだ。


 二本の腕と二本の脚。人の形をした人以外の者たちが隣同士並んで座り、彼らの目の前には色とりどりの料理が並んでいる。


 肉料理、魚料理、何らかの穀物を煮た物に、野菜を盛りつけたもの。


 見たこともないそれらは、文字通り『豪華な料理』だ。


 ――太った天使が、立ち上がり、手を挙げた。たくさんの声がなくなった。 


「ようこそラスデリア商会の晩餐会へ。私が会長のヒラルです。我らが天使種が故郷より取り寄せました最高の肉と酒を用意いたしました。どうぞ心行くまま、お楽しみください。では皆様! お手元のグラスを!」


 手が上がる。一つ二つ、白い手黒い手赤い手。たくさんの手。


 彼らの手には、赤い酒の入ったグラス。その酒に、いったいどれほどの涙が入っているのだろうか。


 いったいどれほどの血が――――


「乾杯!」


 誰かを傷つけたくないと願った者が創ったこの世界で、彼らは乾杯をする。古代のエルフの長が選択した今を濁った笑顔で染め、彼らは宴を始める。


 誰のための世界か。


 誰のための今か。


 誰がための、選択だったのか。


 さぁ


   全ての選択を


         否定しよう


「まぁ、こんなにいろんな種族がこの町にいたのね。意外だわ」


 人がいた。


 たくさんの『異種族』に囲まれて、人がいた。


 品のある佇まい。手にした白い布を、優雅に膝に乗せテーブルの上の料理に向かって手を合わせる。


 綺麗な手だ。若い手ではない、老いた手ではあるが、とても綺麗な手をしている。その綺麗な指に輝く黄金の石は、なんとも、なんとも美しく、妖しく、艶めかしく、そして


 なんとも醜くて。


「おお皆さま。ようこそ。お楽しみですかな?」


 大きなお腹を揺らしながら、やってきたのは奴隷商会会長のヒラル。傍らに側近の細身の天使を連れて、ニヤニヤとどす黒い笑みを浮かべて彼は来た。


 誰も気づかない。彼が笑いながら老婆を見て、ほんの少し顔を歪めたのを。


「まさか神々がこのような町で奴隷商の仕事をしておられるとは、驚きです」


 繕った言葉と、繕った顔。古には有翼種として呼ばれていた者たちが、長い時を経て天に使える種となったその歴史と時間が、彼に尊ぶ言葉と顔を選ばさせる。


 誰に届けるでもなく、誰に届かせようともしないその言葉を、誰が聞くのか。


「いやいや、それにしても流石は神でありますな。実に派手な購入っぷりで、我々の商品も足りなくなる始末です。子を産み過ぎた母体まで買っていただけるはありがたいのですがね。ははは」


 白い目で、白けた眼で、彼の言葉を聞く幾らかの神。武装をしている者は一神もいないが、その鍛えられた手足と威圧感。金と物に囲まれて生きているヒラルに、彼らの眼をまともに見ることなどできず。


 最初から、最後まで、ひたすらに、ただひたすらに繕って


「ははは……おっと、料理がさめてしまいますね。申し訳ございません。ははは、ではお楽しみください。我が商会が誇る仕入れルートを最大限に活用した最高級品が使われております。はははは」


 脚を揃え、頭を下げる彼の頭越しに見えるその先に、たくさんの眼があった。彼らは見ていた。期待した眼差しで、彼らは見ていた。


 頭を上げ背を向けるヒラル。その顔は、笑っている。心の底から、笑っている。


 『いつそれが起こる?』


 心の中で、誰が思った。期待した眼の奥で、皆が思った。


 ここは古のエルフが暮らしていたラスデリアの集落地の上にできた奴隷商人の街ラスデリア。この地にいるのは奴隷たるエルフと、奴隷商人だけ。


 奴隷商はエルフを増やし、売り、使い、生きていく。


 戦争も争いもこの地には関係がない。世界で最も平和なこの街は、彼らの街だ。


 世界で最も、世界と関係がないのは、彼らの街だ―――


「あなた、待ちなさい?」


 女の声がした。聞くだけで心が慰められるかのような、優しい声がした。


 声を出したのは、神々の間に座っていた『人』だ。老女。老いることがない神や天使にとって、老いとは醜さの象徴だ。呼び止められるだけでも嫌悪感が走るのは、天使としては当たり前のことだ。


 しかめた顔を強引に笑顔にして、ヒラルは振り返った。


「なにか?」


「確かに、私たち……と言っても、私は何もしてないのですが、私たちはあなた達にとって、とっても迷惑なことをしているということは理解しているわ。でもこれは、流石にこれはどうなのかしら?」


「……これ、とは?」


「言わないとわからないほど貴方は頭が悪いの? 商会の長がそんなに頭が悪いなんて、意外だわ」


「――なに」


 ヒラルは隣にいた部下の天使を睨みつけた。へまをしたなと彼は眼で言っていたが、部下の天使は首を小さく振ってそれを否定した。


 知ってるはずがない。知られるはずがない。


「『最高級品』とは言い得て妙ね。たしかに高かったでしょう。たしかに仕入れが難しかったでしょう。神をも殺す毒蛇からとれる無味無臭の毒。本当、手段というのは、どこでも似てくるのね」


 老女の言葉に、ヒラルは絶句した。


 知っていた。知られていた。気づかれていた。そんなわけがないと、ヒラルは自分に言い聞かせた。


「な、あ……いや、ち、そ、そんなわけが……い、いやなことを、言い……」


「ねぇ一つ、聞いてもよろしくて?」


「は、はい……なんなりと」


「籠の中でしか生きられない鳥に、自由を与えればどうなると思う?」


「は?」


 突然の質問に、何を言っているんだという態度がヒラルの口から出てしまった。しまったと口をつぐんだヒラルは、部下に眼をやった。


 部下の細身の男が、その視線を受けて焦りながら口を開いた。


「飢え死にするか、野鳥の……餌に、なります」


 その答えを聞いて、にこりと笑う老女。眼を丸くするヒラルと、彼の部下の天使。


「神が持っている神としての器である神器。それは、神の身体より生まれしオリハルコン結晶よりできる、一つの世界だといいます。神器は、その世界を私たちの世界に写すことで世界の常識を歪めた現象を起こせるといいます」


「……は、はぁ、知ってます」


「神器はその世界の影響力を十段階位で表し、十階位に至った神器は、神器の内に存在する世界でこちらの世界を書き換えるそうです。言葉としてしか私は理解できなかったけど、あなた達なら理解できるはずでしょう?」


「はぁ……」


「さて、では話を戻しましょう。鳥が我々だとしたら、籠とは何のことを指すと思いますか?」


「は、はぁ?」


 老女の微笑みとヒラルの冷笑。同じ笑顔でも、ここまで違うものか。


 和やかな周囲の空気が、いつの間にか凍っていた。奴隷商会の商人たち全て、手に持っていた酒や料理を机に置いて身体ごとヒラルと老女の方を向いていた。


「……なにをおっしゃりたいのかよくわかりません、な」


「ふふ、では教えましょう」


 組んでいた手を広げ、ヒラルの方へとゆっくりと右手を上げる老女。右手の中指に、オリハルコンでできた指輪が輝いている。


「籠とは、世界。即ち我々が生きている場所全て。創造神が七つの世界を束ねて創り上げたこの籠は、私たちを私たちとして存在させるために存在している」


 老女は微笑んだ。ヒラルは唖然とした。


 指輪が一瞬強く輝いた。何かが線となって飛んだ。


「この世界は、固い固い柵に囲まれた籠のよう。何度も何度も作り直して、何度も何度も同じことを繰り返す牢獄。無限に続く夢幻。終わらない現実のような夢。夢のような今」


「おぶっ!?」


 ヒラルの腹が膨らんだ。今まで以上に彼の腹が大きくなった。


 ヒラルの口から薄紅色の液体が流れ出した。水はとめどなく、とめどなく、彼の口から溢れ出した。


 水に押し出されるかのように、彼の眼球が取れた。


「エルフ種は犠牲者です。故に、私たちは助けます。全ての種が手を取り合って、幸せに、幸せに暮らせる世界を創るために、助けます。七つの世界、内六つ、すでに我らが手にした。残りは、未踏の地、地下世界に落ちたと言われる万能神の杖のみ」


「な、どっ……りゅっ……ばぁっ……」


 爆ぜていく。ヒラルの身体の至る部分が爆ぜている。指先、耳、腹、足、そして頭。まるで氾濫する水に押し出されていくかのように、彼の身体が紅色の水に押されて形を失っていく。


 そして――――パンと大きな音が鳴って、彼の身体は四散した。


「あ、ああああ……!?」


 腰を抜かし座り込むヒラルの部下の天使。赤い水が、彼の臀部を染める。


「大丈夫。あなた達は救われるわ。死は、救い。次の世界でもきっと、あなた達はあなた達として存在できる。でも同じ仕事につけるかどうかは、わかりません。私たちは、あなた達を選んでませんからね」


 次の瞬間に、ヒラルの部下も同じように身体を四散させた。痩せていたからか、ヒラルよりもずっと早く膨らんで爆ぜた。


 赤い水が、血が、料理と酒を赤く染める。色鮮やかだった机の上が、あっという間に紅く染まる。


 微笑む老女。口角を上げ苦笑する神々。恐怖で顔を歪める奴隷商人たち。



 ――――静寂を吹き飛ばすように、大きな足が、机の上に投げ出された。



「おいおい、暴れるのはいいがな。台無しじゃねぇかばあさん。俺たちの夕飯、どうしてくれるんだ?」

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