第24話 楽園 後編
何故、産まれるのか。
何故、生を受けるのか。
それを産まれた瞬間に理解している者などただの一人もいないだろう。
『彼らは、最初から知っていた』
その扉は、閉じられていた。
右から左、上から下、右上から左下、左上から右下。
扉の上を鎖が何重にも交錯している。
鎖の所々にあるのは鍵。交錯した鎖を繋いでいるのは鍵。
一つ外して、また一つ外して。
「裁定者様。もうしばらくお待ちくださいませ」
ピンと張られていた鎖がたわんでいく。鎖に掛かっていた力が抜けていく。
何を閉じ込めているのか。何を出したくないのか。
錠が床に落ちる。
「お待たせいたしました。では参りましょう」
扉を開く。重い重い鉄の扉を開く。
地面を擦りながら、扉がゆっくりと開く。
その重々しさ。その空気。まるで別世界の入口のよう。
「さぁ裁定者様ご覧ください。ここが私たちが創り上げた、彼らのための楽園です」
――――そう、そこは、彼らにとっての
「何だぁ……?」
「こ、これは……!」
「――っ」
反応は三種三様だった。
眉間に深く皺を寄せこわばった表情を見せた赤錆の騎士アルクァード。眼を見開き驚いた顔を見せる老騎士ダナン。息を飲みその光景を受け入れる剣闘士ラギルダ。
――楽園だった。
「さぁ皆さん書けましたか? 持ち上げて見せてくれますか」
「はい!」
たくさんの手が上がった。手の先に、白い紙があった。
白い紙に書かれているのは、字。意味がある文字ではない。ただの音を表すだけの字。一文字。
それに意味はないが、それを書けることには意味がある。
「はい、皆さんお上手ですね」
「ありがとうございます先生!」
たくさんの声が重なる。声を出しているのは、子供。
エルフ種の、奴隷の子供。
『学び舎』だ。
「裁定者様。ここでは彼らを奴隷から解放するための教育を施しております。彼らの文化に文字は無いので、教義に反すると思いましたが、とりあえず我々の字を教えています。皆の努力もありまして素晴らしい進歩です。どうですか、最初の頃とは見違えたでしょう?」
アルクァードたちを案内するリリノアが誇らしげに言う。笑顔ではないが、その声に悦びが感じられる。
「私の先任の者は、彼らの精霊信仰のままに自然で育てようと言って試行錯誤しておりましたが、結局は、我々の仕組みに入れてしまうのがやはり楽です。テンプルの経験が生きましてね」
「あんた、騎士団にいたのか?」
「ええ。下も下でしたので、覚えてるのは同期の者ぐらいでしょうが、いい経験させていただきました。では、次へいきましょう」
そして彼らは、その屋敷の中を進んだ。
大小さまざまな部屋があった。
小さな石を並べ数を教えている部屋。皆集まって絵をかいている部屋。皆で料理をしている部屋。
小さなエルフの少女がいる。言葉を理解できない程の幼子だ。彼女をあやすのはエルフの少年少女たち、その光景は、まるで家族のよう。
子供好きな老騎士ダナンの顔は、自然とほころんだ。
「彼らの寿命は長く、1000年近く生きる者もいるそうです。最も、奴隷という立場から過酷な労働を強いられていますので、平均寿命となるとその何分の一かになると思われますが……我々とは時間の概念が違う彼らですが、それで基本は同じと思います。つまり」
「幼年組と同じことしとるのか……」
「はい、テンプル騎士学校の幼年組と同様の教育課程です。あの課程は、最低限の知識を得るのに必要だと思われますので。まぁ、神教育は施してませんが」
「ほぅ!」
元騎士団長として思うところがあるのか、深いフードの下でダナンは笑っていた。子を育てるためにテンプルの教育課程が使われたのが嬉しかったのだろうか。
「地下……はあまり見ても仕方ありませんね。中庭で青年たちが武具の訓練をしております。見ていきますか?」
「地下に、何があるんじゃ?」
「いや……母体……彼らの母たちが暮らしてるだけです。特に教育等は施しておりませんので、見ても仕方がないかと」
「母親……彼らの家族がおるのか?」
「ええまぁ……見ますか? 御存じだと思いますがあれは」
「いやいや見てるもんなら見ておこう。のぉアルクァード? よかろう?」
「さっきは気乗りしてなかっただろうが。めでてぇじじいだぜ」
「……わかりました。ではこちらへ」
『母親』
その言葉に、暗き意味はひとつもない。
特に、元騎士団長の、人の国において貴族として生を受けたダナンにとってその言葉は、太陽のように美しく眩いものである。
母は子を愛し、子は母を求める。愛情は温かく、家族は暖かく。
地下へ続く扉。その扉の先に、朗らかな光景が広がるとダナンは思い、口角を上げている。
扉に手を掛けるリリノア。その表情が曇っているのに、誰も気づいてはいない。
扉が開く。リリノアが壁から蝋燭を外し、手に持つ。光が地下へと差し込んでいく。
一歩二歩、足を入れ、蝋燭の火を地下室の壁に掛かっている蝋燭台にうつし、火が闇を払い――――
そして、ダナンの顔が凍った。
「大丈夫です。生きてはいますよ。種の解放……彼女たちもまた、エルフ種ですから」
誰がそれをみて、言葉を発せられるだろうか。
何も言えない。いう言葉がない。
かける言葉がない。
石の地面。石の壁。並ぶ木の箱に、入れられているモノ。
両腕と両足、片目がない、モノ。蠢くことしかできない女たち。
「服を着せると嫌がるんです。内臓のいくつかはすでに取り除かれて、生きるための機能だけを残された母体。これで何十年も生きれるのは、エルフの生命力ゆえでしょうか……すみません。私も女ですので、ここは……」
「あ、ああすまん……」
何のための生。誰のための命。それを、理解しているモノは、この世界に何人といないだろう。
彼らはそれを知っている。
彼らの命は、彼らの生は――――彼らのモノではない。
それを彼らは知っている。
だからこそ
「裁定者様。皆が一緒に生きられる世界は、いつできますか? 私たちは、その為に人の国より運び出され、神器を身体に埋め込まれたんですよね。いつですか? いつ、我々はエルフ種の者たちを連れて神を殺しに行けますか?」
彼らは、動いたのだ。
「リリノア、だっけか。なぁ一つ、聞かせてもらえねぇか」
「はい、何でしょうか」
「この屋敷、厳重に鍵されてたけどな。何で鍵がいるんだ?」
「彼らを出さないためです。外の者に知られると、厄介ですので」
「ガキどもは何故化け物がだらけの森の中にいたんだ?」
「外を見たいと、彼らは言いましたので」
「行かせたのか?」
「はい」
「殺されるのもわかっていてか?」
「はい」
「そうか」
知っている。
生まれた意味を知っている。
奴隷として生まれたことを知っている。
世界は彼らにとって残酷であるということを知っている。
「わりぃな。俺らはその裁定者じゃねぇんだ。だから、出るぜ」
「……やはりそうですか。わかりました。どうぞお気をつけて」
「ああ」
だから彼らは、世界を創りかえるということを、目指すのだ。




