第23話 楽園 前編
賑やかな町だった。
行きかう者達は人の種ではないが、人と同じような顔で笑っていた。
町を覆っているのはたくさんの笑い声と、客引きの声、踊りと歌、肉と酒。
祭りのような、賑やかさ。
笑っている。行きかう者達が笑っている。
肉を焼くエルフの青年が笑っている。
綺麗な声で歌うエルフの少女が笑っている。
半裸で踊るエルフの踊り子が笑っている。
彼らを、彼女たちを見ている天使たちが笑っている。
雪降る町が笑っている。
表面だけが、笑っている。
「なんじゃろうなぁこの……違和感?」
顔を頭をフードで覆い隠している老騎士ダナンがつい口にしたその『感想』
町を包む、何とも言えない異様なこの雰囲気。
違和感。
賑やかな/騒がしい
本物の/偽物の
嬉しそうな/哀しそうな
町を形作っているモノは、正常で、異常で。
「じじい、とろとろすんな。ガキどもに置いてかれるぞ」
「おっ、すまんすまん」
町を行く。道を行く。たくさんの者たちの横を通り過ぎて、彼らは行く。
「こっちです」
「こっち」
エルフの少年と少女が案内する道を、彼らは進んでいく。
老騎士ダナン。剣闘士ラギルダ。赤錆の騎士アルクァード。
三人の人が、進んでいく。
無言で雑踏の中を進む彼らを、周りは気に留めはしない。エルフにしては耳が丸く、神としては瞳に光が無く、天使としては翼の無い彼らを、誰も気に留めない。
それに、意味など無いのだから。そこにいる者にとって誰であるかに意味など無いのだから。
「お兄さん! この子どうだい! まだ10歳だよ! これからだよ!」
客引きをしているエルフの男にとって、声を掛けている相手に意味など無いのだから。誰が何をしようがこの町には関係など無いのだから。
この町を、『町』と呼んでいいのだろうか。
「あそこです」
「あそこ」
幼きエルフの兄妹が指さすその先に、赤いレンガ造りの屋敷があった。
この地の家はほとんどがレンガ造りだ。人の島や軍神の街の家々のように木々でできてはいない。冷たき空気と積もる雪が、木々を腐らせるからだ。
煙突から昇る煙は白。暖炉に火をくべているのがそれでわかる。
雪つもる階段を上り、アルクァードたちはエルフの兄妹の案内を受けてその屋敷にたどり着いた。
その屋敷は――ただただ、異様だった。
屋敷の庭に、一人の女がいた。
黒い瞳に、黒い髪。浅黒い肌に、銀色の右腕。
右腕の銀色は手甲ではない。ガントレットのように重々しい外観ではない。
彼女の右腕が、銀色なのだ。
「先生!」
「せんせい!」
大きな声で少女と少年はその人を呼んだ。
その『人』を呼んだ。
「ラル、カル。戻ってきたの?」
「はい!」
元気な声だった。エルフの兄妹の言葉は、元気だった。
それがどれほど異常なことか、分かる者はきっと、この場にはいない。
先生と呼ばれた女は持っていた大きな本を自分が座っていた椅子に置き、ゆっくりと立ち上がった。長い黒髪を下に垂らし、彼女はゆっくりとエルフの兄妹の下へ近づいた。
顔は笑顔。眼は冷酷。
「……この方々は?」
「あ、えっ……と、森の中で……助けてくれて……」
「そう」
ゆらりと手を伸ばし、少年と少女を通り過ぎ、彼女は歩いてくる。その屋敷を訪れた三人の男の下に。
「ラル、カル、屋敷に入っていなさい。あなた達の部屋はまだあるからそこで休むといいわ」
「は、はい。あの……えっと……兄さんは……」
「死んだ?」
「……はい」
「そう。それじゃ家に入ってなさい」
「はい」
そこに、慰めの言葉などなく。
そう言われたエルフの兄妹は手を繋いで屋敷の中へと消えていった。彼らは悲しそうながらも冷めているようなそんな不思議な表情だった。
女は、エルフの兄妹を横目で見送った後、アルクァードの前で深く頭を下げた。まるで人が、神に頭を下げるが如く整然と深く。
「お初にお目にかかります。私はエルフ種の監視と教育を任されておりますリリノアと申すものです。裁定者様、此度は遥々遠方よりようこそおいでになられました」
裁定者。聞き慣れないその言葉を受けて老騎士ダナンは目を丸くし、アルクァードの眉は少しだけ動いた。彼女は、彼らを誰かと勘違いしているのようだった。
「いつ到着で?」
「今日。ついさっきだ」
「まぁそれは。お疲れでしょう。屋敷を見ていただこうと思いましたが、先にお食事とお部屋の方を準備させましょうか?」
「いや、いい。中を見せてくれ」
「かしこまりました」
当然であるかのように、最初からそうだったかのように振る舞うアルクァード。さらりと自分を作れるのは、己を騎士として偽った経験からか。
再び頭を下げるリリノア。困惑して目を右往左往させているダナン。無反応のラギルダ。
アルクァードたちに背を向け、屋敷の方へとリリノアは歩いていった。彼女が離れるのを確認したダナンは小声でアルクァードに話しかけた。
「裁定者ってなんじゃ? ワシ聞いたことないんだが?」
「知るわけねぇだろじじい」
「いやいやいや、だったらまずいじゃろう。あやつ人じゃぞ。人がいるということは当初の目的の、敵軍の……いやワシらにとって敵かは知らんけど、それがおるってことじゃぞ」
「だな。探す手間が省けたぜ。ついてるな」
「いやいやいやいや、見つけりゃそれでいいんじゃぞワシらは。それ以上はすべて余計なことじゃ。何のためにワシら以外皆魔神の城に残されてると思っとるんじゃ。もしやつらの気を曲げるようなことになってしもうたら」
「わぁってるよ。信頼されてねぇんだろ俺らは。だから何だかんだ言い訳して俺たちから人質がわりにユーフォリアたちを離したし、万が一のためにメナスたちも拘束した」
「なれば言われたこと以上はせん方がいい。大体、ワシらの戦争ではないのだぞ。口は悪いが、世界がどうなろうがどうでもいいことじゃ。ワシらは人の国をもっと生きやすくするためにだな」
「しらねぇよ。そもそもな、俺は別に誰かの味方でもなければメナスの部下でもねぇ。ここで何してるか興味があるから探る。ただそれだけだ」
「なんつー考えなしな……」
「どっちがだ。そろそろ目ぇ覚ませじじい」
「あ、おいアルクァード」
屋敷の扉の前でリリノアが待っている。冷たい風の中で、銀色の腕に氷を纏って待っている。
興味がある。何に興味があるのか。ここで何をしているかということに興味があるのか。それとも別の、もっと別の
屋敷の扉が開いていく。雪を押し出して、扉が開いていく。
アルクァードたちは、屋敷の中へと足を踏み入れていった。




