第21話 雪原の先
氷の大地に、日の光が落ちる。
光は森の木々を縫って、深き森の中に到達する。
明るく、温かい光だ。例え、雪降る地であっても、その光の温もりは決して衰えることはない。
光が周囲を照らす。暗闇にいた影がゆっくりとその姿を現す。
「何というかの。世界は広いもんだの。そもそもこれ獣って言っていいのか?」
白髪の頭を掻き、そのまま髭を擦る大剣を片手に握る老人。鍛え抜かれた肉体はその年齢を感じさせない。
「……斧が欠けた。寿命か」
分厚い皮の鎧を身に纏い、右手に盾を、左手に大斧を持った青年。背は高くなくとも、その身体は鋼鉄のよう。
立っている二人の間に、光が届く。白い雪、茶色い地面、短い草、赤い血、黒い毛、凶悪な顔、巨大な牙。
血にまみれた魔獣が、彼らの間に倒れている。
「いやぁ……疲れた。二人掛かりでこれだけ時間がかかるとは。のぉラギルダ。剣闘士として一日中戦うのとどっちが疲れた?」
老人が笑いながら大剣を肩に担ぎ上げる。老騎士ダナン。彼の持つ大剣は大柄な彼をして、巨大に見えるもの。
鋼鉄の板を削り研いで創り上げたその無骨な大剣。鍛錬用に作ったはずのそれが、いつの間にか彼に最も合う武器になっていて。
ダナンの言葉を受けた元剣闘士の男ラギルダは、鼻から大きく息を吐いて盾と斧を背に仕舞った。寡黙な彼にとって、どっちが疲れたかと答えることに意味を見出せず。
「はぁー……しかし、改めて思ったが、あれはもはや人の域ではないなぁ……」
ダナンが見る。ラギルダも同様に見る。
彼らの視線の先に、それは立っている。
赤錆びた鎧。巨大な穂先を持つ槍。巨大な腕と、足。大きな身体。
転がるいくつかの魔獣の死体の上で、大きな槍を片手に立つ男。
赤錆の騎士アルクァード。
槍を持ち上げ、肉を払う。がしゃりと音が鳴ったと同時に槍の柄が縮む。
そしてそれを背に納める彼。その姿に、狂気はあれど激しさは無く、落ち着き払って、恐ろしく。
斬って殺すことが当たり前かのように無表情で、小さく息を吐いて彼は見上げて、木の上に視線を動かした。
そして、一言。
「降りて来い」
彼の声を受けて、木の上にいた少年と少女がゆっくりと降りてくる。長耳の、エルフの少年少女だ。
助かったという自覚すらないままに、魂が抜けたように凍った顔をして子供たちが木から降りてくる。彼らの服は薄布一枚。布より出た手足は赤く染まっている。
寒く、雪が積もっているこの場所にいることに違和感しか感じない装束。皮の靴跡を雪の上に残して、木から降りていた彼らはようやく地面に到達した。
少年と少女が、震えながら視線を上げる。視線の先は、赤錆の騎士アルクァード。
アルクァードがゆっくりと、左手を上にあげた。その瞬間にびくりと少年と少女の身体が跳ねたが、アルクァードは気にすることなく首元に手を伸ばした。
鎧の隙間に手を突っ込み、何かを掴んで手を引き抜く。彼の手に現れたのは、厚手の布だ。
鎧の隙間に押し込んだ、防寒用の、布だ。
「わりぃな。ここ何日かまともに身体洗えてねぇんだ。くせぇのは我慢しろよ」
大きな体躯のアルクァードが取り出したそれは、兎にも角にも大きくて。エルフの少年と少女二人をすっぽり覆うには十分で。
震える二人の身体をまとめて包むアルクァード。エルフの少年と少女はうろたえながらも、寒さに負けてその布を握りしめる。
足元に転がる魔獣とその得物の肉片たちに塗れて、子供たちは暖かな布に包まれた。
「おお、これは二人とも端整な顔立ちじゃの。将来が楽しみじゃわ」
アルクァードの背後から現れ、少年少女の頭を撫でるは老騎士ダナン。無言で着いてくる元剣闘士ラギルダ。
男三人、森の中。目指す先は、森の先。
偉大なる神々がひた隠しにする。救済を失った者達の町。
エルフたちの、繁殖所兼、売買所。
奴隷商人の町、ラスデリア。
――――時は数日前に遡る。
「交換条件だぁ?」
「はい」
彼らは、魔神が治める氷の城の一室にいた。
軍神の町から馬車で30日と7日。アルクァードたちは遥か北は雪原の中央にある、魔神の治める都市にたどり着いていた。
魔神の都市は、氷の都市。全ての建物が氷でできているその場所は、まさに極寒の都市。その都市に生きるのは魔神の配下の神々のみだ。
「ちょっと待てよ。状況分かってんのか? 軍神の町がよくわかねぇやつらに襲われて、何故か七神と七将の大半が向こうについて、十階位の神器のほとんどが奪われて、辛うじて軍神の矢がもってかれるのを止めれたってだけで、ぐっちゃぐちゃになっちまったんだぞ。駆け引きしてる場合かよ」
そう言ったのは女神フレイア。軍神の軍勢、七神が一、神の剣フレイアだ。
腰当ごと四本の剣を机の上に置いて彼女は目の前にいる赤髪の女に食って掛かる。フレイアの強い視線を、涼やかな顔で受け流すは魔神七将が一、紡ぐ神フレンナだ。
木の椅子に腰を落とす女神フレンナ。涼やかな顔のまま豊満な肢体を見せつけるかのように長い足を組みかえるその姿は、聖典に書かている淫魔が如く妖艶で。
「言葉にして並べたら、絶望的な上に理解不能ね。ほんと」
「おいフレンナ!」
「フレイアさん、ちょっと」
フレイアの後ろに立っていた、女神メナスがフレイアを止めた。言い合いをしている時間すら惜しい、メナスの赤い眼はフレイアにそう言っていた。
渋々椅子に座るフレイア。
「はじめまして。元七神が長、メナスです。魔神七将、幾度となく戦場にて戦った相手の将とこうして会えるとは、感無量です」
「社交辞令もそこまでいくと清々しいですね。魔神七将、紡ぐ神フレンナです」
「はい、それでは、その交換条件、聴かせてもらえますか?」
「分かりました……ヒューリア! 地図と電磁針!」
「はいお姉様!」
そう叫び、カーテンを潜ってフレンナたちの前に地図を持ってきたのはフレンナの神徒ヒューリア。褐色の肌、小柄な体格、黒い髪。彼女は木の机の上に手際よく地図を置いくと、円形の水晶をその地図の上にゆっくりと添えた。
水晶の中に、赤い針が入っている。頭を下げ、ヒューリアは部屋の隅に立った。
そしてゆっくりと、フレンナは話し始めた。
「地図を見てください。魔神の町はここ。そしてこの町から東へ10日ほど馬を走らせたところの森に、ある街があります。ラスデリア。奴隷商人たちの町です」
地図の上に指を置き、それを滑らかに動かすフレンナ。彼女の指に、金属の爪が輝いている。
爪、オリハルコンの、爪。
「フレイアさん、この町の事、ご存じ?」
「奴隷商の町だぁ? 知らねぇな私は」
「でしょうね。この町は、あまりにも惨くて汚い場所だもの。ここで仕入れても、誰もこの町のことを離すことはないでしょう。汚点だからね。あなた、メナスさんは、どうですか?」
「噂ぐらいは聞いたことあるけど、興味ないから深くは知らないわ」
「ふふ」
楽し気に、嬉しそうに、悪戯っ子のように、フレンナは笑った。その笑みに、その場にいた者達は何とも言えない不信感を感じたが、誰一人何も言うことはなかった。
地図上の彼女の指が一点で止まる。
「この地は魔神の領域においてのみならず、この世界、嘗てあった天上の月を含めて、最も、最も汚い町です。詳しくは……まぁ女子供がいるこの場所で口にすることはできません。町に踏み入ったその瞬間に私の言いたいことはわかるでしょう」
「はっ」
自慢げに語る女神フレンナの言葉を、部屋の隅にいたアルクァードが鼻で笑った。あまりにもあからさまだったために、彼の隣にいたユーフォリアが彼の脇を肘で押した。
『あそこ』以上に、世界で惨くて汚い場所など、あるわけがない。そう彼は確信しているから、フレンナの言葉がただの子供だましにしか聞こえなかったからだ。
「……で、本題は何だフレンナ。さっきも言ったが、時間がねぇんだ。早く言ってくれよ」
「はいはい、戦場でも思ってたけどやっぱりあなた、子供ねぇ。私の仲間が何度も言ってたわ。あなたと私、似たような名前してるのに正反対だって。そんなんだって下々に知れたら格が落ちるんじゃないの? おつきのおデブさんいなくて大丈夫?」
「るっせ馬鹿、喧嘩売ってんのか?」
「ふふ……さて、では本題。軍神の都より、あの騒動の中私たちは辛うじてこの地に戻ってきました。実は私たち七将の残りがこの地に着いたのは数日前なのです。魔神七将、この地より出た際の七神、帰ってきたのは三神」
「残りは?」
そうフレイアが言った瞬間、空気が変わった。優しさと艶やかさを感じさせた眼が一瞬で凍ったからだ。
地図の上に置かれた彼女の金属の爪が少しだけ地図を裂いた。
「魔神七将、首席ラースロードは首だけが城内の彼の部屋から見つかり、第二席ガルディンと第三席ベルガ、それに第四席アンゼルはあの時現れた謎の一団と共に去った。彼らの神徒も出立時に全て出ていて……さらに、この地に封印されていた創造神の神器と……魔神様の神器も、持ち出されていた」
「それ、誰も気づかなかったの?」
メナスの問いかけに、フレンナの眼が怒りに染まる。
「彼らの中に、現実を歪ませる神器を持っている者がいるの。誰もこんなこと想像もしてなかっ……いいえ、とにかく私たちはこの地に戻ってきた。そして、我々は情報を集めた。いえ、というよりも、情報が入ってきた。さて、そこでこの町」
フレンナはそう言いながら、地図に刺さっていた自分の爪を抜いた。地図に小さく穴が開いている。
「この町に、彼らの、いなくなった七将が四神の神徒が集まっているという話があったの。彼らの神徒の全てが裏切ったとは限らないけど、それでもこうなったらもうほっておけない。だから、あなた達に実際にその町にいって彼らを探してもらいたい」
「ああ? なんでだ? お前らでいけばいいじゃねぇかそんなん」
「フレイアさんはほんっと子供なのね」
「ああん!?」
「私たちでは顔が知れている。顔を隠しても、神格でバレる。私たちの身体から出る神格だけは誤魔化せないないからね。そんなこともわからないのかしら?」
「……むむむ」
「この地図をあげるわ。それに電磁針も。あと……そうそう忘れてた。いたとされる神徒の顔の絵もあげる。町中に広げるとか目立つからやめてよ」
「待て待てフレンナ。まだやるとはさぁ」
「いいわ、やりましょう」
そう言いながら微笑むメナスに、驚くフレイア。彼女たちの銀髪が、氷の中で日の光を受けて白く輝く。
「場所が場所だし、女子供は入れない。強引に行かせることもできない。法力使える? 通話の法術使える男はいる? 鳥を飛ばした方がいいかしら?」
風が吹く。氷に冷やされた風が白い雪を運んでくる。
雪原の先、白い森、世界に拒否された、監獄の町。
時は戻り――――
「穴空いた地図と電磁針で場所を見つけろってのが無理があるぜ。おいガキども、助けてやった恩を返してぇんなら、お前らの生まれ故郷に案内しろ。わかったな?」
そうして彼らは、全てが凍るこの大地の上にある世界で最も汚きその場所へ向かうことにのだった。




