第16話 嵐
民の中に、私はいた。
民。軍神の国に住む、たくさんの神。その中に、私はいた。
管楽器の軽快な音が聞こえだした。天使の楽団が奏でる音楽だ。勇ましく、力強い音楽だ。戦場より戻ってくる神々を迎えるための、音楽だ。
私は前に出た。男を女を、押しのけて入り込んで、私は前に出た。
私は、先頭に出た。
その時だった。私の目の前を、巨大な天馬が横切った。大きくて、綺麗で、力強い天馬だった。
私は、天馬を見上げた。そこの、あの方はいた。
――美しかった。
巨大な天馬に跨る女神。身体は赤錆びた鎧に覆われていて。背には巨大な槍が輝いていて。
ただただ、ただただ美しかった。
表現するならば、赤い花。凱旋パレードにいた神々の中で一際輝くその存在感と、美しさ。
――美しかった。
女神アルカディナ。神の槍。
私は、あの方の横に並びたかった。
私は、あの方の前に出たかった。
私は、あの方に認めて欲しかった。
どうして
どうして
どうして
どうして
「お前がその槍を、持っている……!」
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空からそれは、迫ってきた。
一頭の天馬。それに跨る女。
女は、大きな盾を持っていた。大きくて、分厚い、鉄壁の盾だ。
神の盾アルケイア。七神が一。巨大な盾を背負うは細身の女だ。
「お前は誰だ! その槍をどこで手に入れた! 答えろぉぉ!」
女が叫んだ。遠くに走る男に聞こえるよう、大きな大きな声で叫んだ。
男は振り返らない。巨大な槍を握る男は振り返らない。聞こえているはずなのに、聴いていない。
どれほど怒っただろうか。女神アルケイアの顔が歪んだ。食いしばる歯がギリギリと音を立てた。
アルケイアは手に持つ盾を掲げた。彼女の持つ盾は、人の身体であれば優に二人は覆い隠せるほどの巨大なものだ。重量も相当なもの。馬上で振り回すだけで股の下の天馬が軽く揺れる。
彼女の跨る天馬が首を沈め、翼の角度を後ろへと向けた。
天馬が加速する。
「おおおおおおおおおおお!」
アルケイアが吠える。
彼女の天馬は、七神の中で最も速い。神徒たちがどうあがいても追いつくことができなかった片翼の天馬にアルケイアはどんどん近づいていった。
アルケイアは馬上で盾を掲げた。彼女の盾の真ん中に線が走った。
アルケイアの持つ盾が真ん中で真っ二つに割れた。
円が割れれば半円二つになる。彼女の右腕に、左腕に、それぞれに半円の盾が装備される。
両手に巨大な盾を持ち天馬に跨るその姿。嘗てこの地にいたという、四枚の翼をもつ半人半馬のケンタウロスのよう。
鏡のような、美しき半円の盾。空を太陽をその盾に写して、彼女は空を舞う。
盾とは、迫りくる攻撃を防ぐことだけが役割ではないのだ。
「お前がぁ! どうしてそれを持っているぅぅぅ!」
それは、絶叫だった。己の意を伝えんと喉の底から絞り出した声だった。
彼女の想い。彼女の記憶。彼女の思い出。
様々な物が入り混じった声だった。
風を切り裂く。天馬が飛ぶ。前を駆ける片翼の巨馬がだんだんと大きくなる。
想いを込めて、盾を構えて。
――所詮その想いは、独りよがりなモノなのだが。
「やかましい! 邪魔するんじゃねぇ!」
『本人』に一蹴されるのも、当たり前なのだろう。
空気が揺れた。
突然、前を駆ける片翼の天馬が振り返った。
四本の足を地面に滑らせて、あれだけの巨体を誇りながらも素早く器用に振り返った。
跳んだ。女神アルケイアの天馬に向かってそれは跳んできた。
大槍が日の光を浴びて輝く。そして気づく。銀色で金色なその大槍にべったりと赤い何かがへばりついているのを。
赤色の、血がへばりついているのを。
「あっ……!」
アルケイアの肌が粟立った。背筋が凍った。
一瞬で彼女は理解した。一気に近づいてきたそれは、間違いなく自分を殺しうることを。
死地におかれれば、自らの身体を守ろうとするものである。
彼女は右手についた盾を前に出した。自らの天馬を加速させるために翼のように広げていたそれを、迷わず彼女は自分の前に突き出した。
彼女の持つ得物が盾だったのは、幸いだったのか。それとも不幸だったのか。
耳を裂く大きな大きな音が鳴った。
金属と金属、オリハルコンの盾とオリハルコンの槍がぶつかる音だ。
「なんだこいつっ」
漏れた声は、女の声。長い彼女の黒髪が、衝撃で大きく広がった。
彼女の身体が、浮いた。跨る天馬から浮いた。
前に向いていた速度の方向が、一瞬で後ろに反転した。
彼女の眼の前にあるのは白くて黒い、鏡のように輝く巨大な丸い銀色の盾。その盾の前にあるのは、巨大な穂先を持つ槍。
その槍は、ありえないほどの力で彼女をはじき出した。
凄まじい勢いで後ろに吹っ飛ぶ彼女の眼の前に、赤い血をまき散らす槍が輝く。それを持つ男の眼は、一切自分を見ていない。
あの方は自分を見ていない。
アルケイアはそのまま地面に転がった。遅れて彼女の天馬の身体が転がってきた。天馬の身体には、首はついていない。
女神アルケイアが駆る軍神の国で最も速く飛べる天馬は、たった一撃で殺されたのだ。
「ぐっ、がっ」
二度三度、地面をバウンドして倒れるアルケイア。一蹴とは、まさにこのことか。
前を向くアルクァード。空を見上げ、黒い球体を見て、小さな言葉で呟く。
「あの球体……天馬でつるしてんのか。あの鎖の張りと天馬の速度。三つぐらいやれば落ちるか……」
倒した女神のことなど気にも止めない。冷静に、激烈に。
無造作に、何のためらいも無く腰から抜いたのは黒鉄の筒。巨大な体躯のアルクァードが持っても、大きく見えるそれを、無造作に彼は前に向ける。
火薬を用いて鉛を撃ち出すそれは、弓矢では出すことのできな破壊力を秘めている。
火砲。それは神々が蔑む、一切の奇跡を用いない野蛮で無骨な兵器だ。
ためらわず、彼は正面に向かってそれを撃った。
「何だとぉぉぉ!?」
遥か前方、遥か遠くから声が聞こえる。地面を擦る派手な音も聞こえる。
アルクァードが放った弾丸は、正確に、遠くにいた黒馬の足を貫いたのだ。
乗っていた黒い鎧の男が派手に地面に転がっていった。
「行くぜアガト。とりあえず、アレを地面に叩き落してやろうぜ」
片翼の天馬アガトが走り出す。アルクァードが火砲に火薬と弾を詰め込む。
倒れている黒い鎧の男を一瞥もせず、またアルクァードは風を纏う。
「仇だ。他はどうでもいい。あのでかぶつがあいつを殺したと言うならば、確実に落としてやるよ。落として、ぶっ壊してやる。オリハルコンの塊だろうがぶっ壊してやるよ。は、ははははは!」
誰も知らなかった。
自分たちが絶対だと思っている神も、自分たちが出し抜いたと思っている者たちも、誰も知らなかった。誰も考えなかった。
そして三回、火薬が爆ぜる音がした。黒い球体を運んでいた天馬の内、三頭が地面に落ちた。
その日、ようやく『彼ら』は理解した。
――この世界は、思い通りにはならないということを。




