第8話 大槍と聖女
「おい、おいでかい兄さん」
錆びた鉄格子。落ちる水滴。冷たい石の牢屋。
「なぁ、何したんだよ。俺? 俺は酒場で飲んでたんだけどさ。金忘れてさぁ……取りに行くって言ってもきいてくれねぇんだもんなぁ……」
吹き込む風。冷たい床。両手には錠。錠から鎖。
「あーあついてねぇなぁ農奴落ちかなぁ……斬首は、ねぇよな? さすがにそこまで神様心狭くないよな? なぁ、兄さんは、何したんだ?」
――牢獄。
「なぁ何を」
――冷たい牢獄。
「殺し」
「えっ!?」
手足を縛る鎖は、太く、大きく、巨大な重りに繋がれて。彼は牢獄の中にいた。
巨大な身体を壁に押し付けて、鋭い眼光は鉄格子を睨む。大槍の騎士アルクァード。同居人の小男と一緒に、彼は牢屋の中にいた。
外は夜。窓から覗くは月。
傷だらけの身体を照らす月明かり。彼の眼は、獣のように。鋭く、鋭く鉄格子を見ていた。
――時は遡り、二日前。
「聖女様を離せ!」
深い森の中。叫ぶ女騎士の背に、たくさんの剣士たちが集まってきた。
皆十字の紋章が刻まされた鎧を着ている。それは神の代行者テンプル騎士団が鎧である。
何十人もの騎士たちが囲むのは大槍を背負う大男。その右腕の中には聖女ユーフォリア。左手にはフリントロック式の手火砲。銃口は、聖女の頭に押し付けられている。
テンプル騎士団は人の世界における神の兵。当然、神より与えられし火砲の威力は知っている。もし、その大男が火砲の引き金を引けば、頭そのものが無くなるであろうことは誰しもがわかっている。
だから、騎士たちは剣を抜きはしても、前に出ることはできなかった。
「くそ……そこの少年たち! 大丈夫ゆっくりこっちへ来るんだ。あの火砲は、一発しか撃てない。さぁ、こっちへ来るんだ」
騎士の一人が男の傍にいた二人の子供に向かって手招きをした。少年と少女。慌てふためくリオンと、静かに聖女を捕らえるアルクを見上げるミラ。
「くそっ! 卑怯者め! 女子供を!」
「うるせぇな。ガキどもに用はねぇよ。とっとと行け」
ぶっきらぼうに言い放つアルク。一瞬、ミラは哀しそうな眼を見せた。
「ミラちゃん……アルクさんのいう通りにしよう……!」
小さな声でリオンは呟いた。ミラは小さくうなずく。
「さぁ、ゆっくりと、ゆっくりと来るんだ。大丈夫だから」
そして二人を呼ぶ騎士の下へと歩いていった。言われた通りゆっくりと、言われた通りとっとと。
「よし……! 君、この二人を安全なところへ」
「はい!」
騎士の一人に連れられて行くリオンとミラ。ミラは見た。遠く離れていくアルクの顔を。彼の顔は、離れていく二人には向けられていなかった。
「……逃げられないぞ。聖女様を離せ」
先頭にいた赤鞘の騎士がそう言った。女の声だった。フルフェイスヘルムで顔は隠れていたが、その声は若かった。
若くして聖女近衛の騎士となったのだ。優秀なのだろう。やる気に満ちているのだろう。その姿、アルクは鼻で笑った。
「おう、威勢がいいな。聖女様の頭が無くなるぜ?」
「ぐっ……!」
鉄仮面の外からでも歯を食いしばっているのがわかる。その女騎士の剣を持つ手は、震えていた。
他の者も含めて誰一人何もできない。ただ囲む者が増えていくだけ。
「さて……どうしたもんかねぇ……」
小さな声でアルクは呟いた。聖女ユーフォリアに突き付けられた火砲の弾は、実のところ入ってはいない。
それがテンプル騎士団たちの知るところになれば、彼らは襲い掛かってくるだろう。そうなれば、反撃しなければならないだろう。
「アルク……私が……」
「黙ってろ。俺側に着いた瞬間に魔女裁判にかけられて焼き殺されるぞ。お前は何も知らず殺人者に捕まった哀れな聖女だ。それ以外何者でもねぇ」
「……ごめんアルク」
「くそ……面倒なことになった」
彼らの小さな声で行われた会話は、誰の耳にも届くことは無い。テンプルの騎士たちは皆息を飲んで、アルクを囲んでいた。
「おい……おい、後ろ」
「え? うわっ」
騎士の一人が気づいた。森の中にある巨大な肉片たちを。緑色の、青色の肉片たちを。
言われて何人かが森の奥を見る。そこには、沢山のオークの死体が転がっていた。気づいてわかる、強い死臭。
腕が落ちている。頭が落ちている。真っ二つになった胴体が落ちている。数十体分、いや百にも迫るほどのオークの死体がそこにはあった。
犯人は誰の目にも明らかだった。
「オーク様たち……天使の守護者を、この男が殺したのか? もしかして教会の天使様たちも?」
「そんな馬鹿な……一人でできるわけが……」
ざわつく騎士たち。オークは、その特徴として巨大な体躯と、それに見合った怪力を誇る。
肉弾戦では種としての人では勝てるわけがない。たとえ、どんな武器を持ったとしても。
騎士たちは戦慄する。もしも、目の前にいる男がオークを殺したのだとしたら、それに捕まってる聖女様など、ましてや自分たちなど、いとも簡単に殺されて――
「おう、どけ貴様ら。ああなりてぇのか? ああ?」
足が固まった。威勢よく啖呵を切っていた聖女近衛兵の騎士も、その他の騎士たちも、皆足が固まった。
「人が……天使様を……殺す……まさか最近各所で殺されてる天使は……」
「おいそこの女騎士、道を開けさせろ。偉いんだろうお前。あんまり俺を怒らせるなよ。皆殺しにしてもいいんだぞ」
「うっ……」
「退け。殺すぞ」
数十人の、地方の平和なオーリア地区で、野盗を捕らえたこともないような者達にとって、その男の言葉はただ強かった。
男は、アルクは聖女ユーフォリアをつれたまま一歩前に出た。その歩みの分だけ、騎士たちは一歩下がった。
さらに一歩。アルクが前に出る。騎士たちは下がる。
アルクに捕まった聖女の顔が、一瞬歪む。痛みからではなかった。ただ、銃口が頭に食い込むのが少しだけ、不快だったから。
その顔を、恐怖に耐えている風にとらえたのは、自然なことなのだろう。
「聖女様……! 私は……私は聖女様付の騎士……主は私に聖女様を守れとおっしゃった! 私はカリーナ・エリン!」
鉄仮面を脱ぎ去る女騎士。その女の顔は、決意に満ちていて。その女は、輝く黄金の髪を持ち、気の強そうな目つきをした若い女だった。
「聖女様を離せ卑怯者め! 離せぇ!」
剣を構え走る女騎士。隙だらけで、アルクから見れば殺してくれと言わんばかりの行動。
「ちっ……こうなるかよ……!」
アルクは銃を持った腕でユーフォリアを抱えると、右手を背の大槍の柄へと伸ばした。柄を伸ばし、振り下ろせば迫りくる女騎士は間違いなく、死ぬ。
「アルク殺しちゃだめ!」
そのことがわかっているから、ユーフォリアは大きな声で止めた。アルクの右手は、その声を受けて止まる。
迫る女騎士。驚きの顔を見せるは他の騎士。
「馬鹿野郎名前を! クソが!」
カリーナと名乗った女騎士は、錯乱していた。恐怖を決意で塗り固めて、剣を構え死地へと飛び込んでいるのだ。
守るべき聖女とはいえ、下手をすればユーフォリアが怪我をする。そうアルクは思った。だから、アルクはユーフォリアを投げ捨てた。
倒れるユーフォリア。カリーナは剣を止めない。アルクは槍を抜かない。
槍を取れば、簡単に殺せる。殺すなと言われてしまったらもう、槍を出せない。
他の行動をするには距離が無さすぎる。
「やあああああ!」
飛び込んでくる女騎士の剣は、真っ直ぐにアルクの腹に突き刺さった。彼が着る赤錆の鎧。その鎧は錆びて朽ちて、腹部に大きく穴が開いている。そこに、銀色の剣が突き刺さった。
皮がぷつりと破れ、中に異物が入る感覚。遅れて走る痛み。
「ぐっ……恨むぞユーフォリア……」
疲れもあったのだろうか。彼は、小さな声でそうつぶやくと、後ろへと倒れた。肩で息を吐いて、女騎士は赤鞘を杖によろよろと立ち上がる。
「聖女様!」
「聖女様ご無事ですか!?」
騎士たちがユーフォリアの下へと駆け寄ってきた。青ざめた顔のユーフォリア。その顔は、助かったというよりも、やってしまったという感情の方が強い。
アルクは見た。震える女騎士の顔を。初々しい、その顔を。そして聞いた。その女騎士のつぶやきを。
「聖女様……知り合い……?」
そうしてアルクは捕まった。貫かれた腹は簡易的に縫い合わせられ、彼の身体は神都オーリアにある監獄へと運ばれた。
全ての武具を奪われ、口の軽い同居人と共に、彼は牢屋にいる。窓から差し込む月明かり。彼の眼は、真っ直ぐに牢屋の外を見ていた。




