第13話 始まり
町が、震撼した。
声がそこら中に溢れている。
その声は、神の悲鳴だ。
神が、恐怖に慄き、悲鳴を上げているのだ。
神は絶対だ。
それがこの世界の理だ。
神が悲鳴を上げている。
殺されたくないと叫んでいる。
神は絶対だ。
神は全てを統べる者だ。
悲鳴を、上げている。
「こんなに見苦しいなんて。意外だわ」
周囲の命を物に変えた老婆が微笑みながら小さく呟く。
「結局、同じ肉ね」
男の全てを吸いとる妖艶な妃が小さく呟く。
「どこにいるんだ! どこに! 早く! 早く愛し合おう! うはははは!」
触れる女を全て切り裂く、全身を刃に変えた男が叫び駆ける。
「お前たちに逃げ場など、ない……」
黒き炎は憎悪の炎。どんなものであれ触れた端から灰となる、黒炎の中にいる黒き女が神々に告げる。
神の国に現れた人は神を殺す。町に住む、戦うことなどできない無力な神を殺していく。弱き神を殺していく。
弱き者達を、殺していく。
神は絶対だった。
人にとって神は、遥か天上の存在だった。
しかし、神は人によって殺せる。
それは、世界にとって、人にとって、神にとって
あり得てはいけないことだった。
世界が、震えている。
「ぐ、あっ」
城の中で、神徒の男がうめき声をあげて倒れた。背中はぱっくりと斬り裂かれ、背中から腸が溢れるほどの傷の深さだった。
神徒の男を切り裂いたのは別の神徒の男。彼らは少し前まで談笑をしていた。下らない内容の会話を笑顔でしていた。彼らは友だった。
倒れる友を哀しそうな眼で見る男。暗闇より現れた巨大な体躯の神が彼の肩に手を置く。
「辛いか?」
「シオドラド様……」
「飲み込め。我々の世界は、皆連れていけぬ」
「……はい」
金属音と雄叫びが城中に響き渡っていた。
城の中、いたるところで神徒が神徒を殺していた。
神徒は軍神の国において七神に次ぐ位を持つ神である。神徒は七神直属の部下なのだ。
それが、殺し合っている。否、一方的に片方が殺されている。
「フレイアとルクシス、そしてネレウスの神徒は全て殺せ! 我らの敵になる前に!」
巨大な弓を片手に、七神が一神シオドラドはそう叫んだ。その声を受けて、神徒が神徒を殺していく。
城で、町で、次々と、次々と、命が消えていく。
――何が始まった?
「お前ぇぇぇぇ! 父様ぁぁぁぁぁ!」
白銀の髪を逆立て、血走った眼で彼女は、七神が一女神フレイアは城壁より飛び出した。
腰に差していた四本の剣の内二本は彼女の左右の手の中。城の最上階のバルコニーに伝う外壁は等間隔に剣の突き刺した跡があった。
「貴様フレイア! 外壁を昇って来たのか! 直情すぎる行動だが大正解だ! 妙なところで運がいいな!」
感嘆の声をあげる黄金の男。黄金色の鎧に黄金色の髪。青い瞳にエルフ特有の長耳。倒れる神アルトスを踏みつけるはエルフの戦士ハルトルート。
「いけません! ハルトルート避けて!」
彼の傍に立つ神徒ハルティアがハルトルートに向かって叫ぶ。言われるよりも前にハルトルートは飛び退いた。
彼の目の前を轟音をあげて通り過ぎる二本の剣。城壁より飛び出すと同時にフレイアが投げた彼女のオリハルコンの剣。
「武器を投げる……さすが滅茶苦茶だ……!」
身を捩りながら飛びのき、広いバルコニーより落ちることなく器用に縁に着地するハルトルート。
三本目の剣を腰から引き抜き、彼に飛び掛かるフレイア。
「てめぇこのクソ野郎がぁぁぁぁぁ!」
「――!? 待て……待て止まれフレイア! フレイア! ハルティアの神器だ!」
アルトスの声に、フレイアの足は止まった。フレイアは足元を見る。彼女のつま先の寸前に、細い糸が一本あった。
線は神徒ハルティアの腕に伸びている。
「危ない危ない……助かった。ハルティアさん」
「フレイア嬢……さすがは、というところですね」
腕を引くハルティア。彼女の手に細い紐が吸い込まれていく。
「ぐ、ぐっ……ハルティアの神器は、鋼鉄よりも固い糸。触れればあっという間に自由を奪われる……よく覚えていたねフレイア……」
「……ちっ」
フレイアが剣を突き出しながら、一歩下がった。投げた二本の剣。抜いた一本の剣。彼女の四本あった腰の剣は一本しか残っていないはずだが、いつの間にか腰には三本の剣が戻っていた。
剣を構えながらアルトスを背にするフレイア。ハルトルートはバルコニーの縁から降りて、ハルティアの傍に立った。
「父様、大丈夫か?」
「大丈夫とは言えないな……心臓が潰れてしまっている。かなり、苦しいよ」
「……クソ。一体何が起こってるんだよ父様。ここに来る間も、神徒が何度か襲い掛かって来たんだぞ」
「神徒まで……七神の一部、神徒……ハルトルートだけの裏切りではないのか……ルクシスは、どうしたんだい……?」
「下だ。町のやつらを避難させている」
「……さすが、彼はやるべきことがわかっている」
呼吸荒く、息も絶え絶えで思考をめぐらすアルトスを背に、剣を構えるフレイア。会話をしていても、その視線はハルトルートたちから一度も外すことはなく。
「ハルトルート。軍神の矢。手に入れたそうです」
「軍神の矢と星界神の王冠はもう運び出しているのか?」
「はい」
「潮時かな。しかし便利だね神の通信術は。離れていても会話ができるなんて。私も使えるようになるかな」
「さぁ? 努力次第では」
「冷たいなハルティアさんは……」
黄金の男が笑う。長身の女神が嵌めていた手袋を外す。
「あいつら、何話してんだ……父様、どうすりゃいい?」
「……駄目だ。ネレウスに繋がらない。彼にも何かが起こっているようだ」
「ネレウス? あのじいさん見つかんねぇのか?」
「ああ……不味いな。彼以外誰が味方かわからない……動ける駒が……くっ」
「駒って……私じゃ不満かよ父様」
「……いいかフレイア。見える物には全てに意味があるんだ。見えるものは一部でも、その一部は全てに繋がっているんだ」
「ああ?」
「派手過ぎる。十階位の神器を奪うだけなら、あんなことをしなくていい。ハルティアが時間をかければ、もっと簡単に、もっと単純に神器を手に入れることができる」
「ただ暴れたかったんじゃねぇの?」
「それも確かにあるだろう。だが……だが……もっと単純に考えるべきだろう」
「もったいぶんなよ……」
「陽動だ。間違いなく。狙いは……裏。たぶん、裏門だ。裏門から何かを運び出している。この国にある、何か、彼らが欲しがる……たぶん、いや十中八九、軍神の矢だ」
「あんなでけぇもんを持っていこうっていうのかよ!?」
「あれなら世界のどこへでも大打撃をあたえることができる。脅しの道具としても、防衛の手段としても最適だ。まずい、まずいぞ」
痛みと焦りで顔が歪むアルトス。遠くで笑うハルトルートと、指先から何本もの糸を垂らすハルティア。
「あれ、いつの間にか大広間にいたやつらいなくなってる。退くつもりか?」
「まずい、軍神の矢が運び出されたとみて間違いない……誰か、誰かいないか……!? あれを持っていかれるともはや我々は国を放棄するしかなくなる……! ルクシスは……町から遠いのかっ……ネレウス……くっ……やはりダメか……」
「……なぁ父様」
「くっ……何だいフレイア……」
「メナスって知ってるか?」
「……知ってる。それがどうしたんだい?」
「今町の外にいる」
「なんだって!? ゴホッゴホッ!」
アルトスが咳き込んだと同時に、ハルトルートは城の上から飛び降りた。大量の糸を伸ばしてハルティアもそれを追って飛び降りた。
フレイアが彼らを追う。アルトスが咳き込みながら驚いた顔を見せる。
世界が動き出す。道が前へと伸びていく。
そして彼が今、ゆっくりと動き出そうとしていた。




