第12話 創世への反逆
「さぁ、始めましょうアルトス卿」
高きところ、水晶の城より、黄金色の髪のエルフは斬り裂かれ血を流す神、アルトスにそう言った。
自分の身体より流れる血を抑えることもできず。赤く染まる床に倒れるアルトス。その眼はしっかりとしているが、意識は朦朧としていて。
「ハル、ハルトルート……っ。騎士団長として、ヴァハナと共にその後を、任せたお前が……何故ここにっ……」
ニヤリと笑うハルトルート。無表情でその背に着くアルトスの神徒女神ハルティア。
長い足を揃えて、アルトスを見下ろすハルティアの眼に、一切の感情はなく。
「何故ここにいるのか、と言われれば答えは一つです。私は、あなたを殺すために遥々ここにやってきたのだよ。アルトス。くくく……」
無表情なハルティアとは対照的に感情豊かに顔を歪めるエルフの戦士ハルトルート。アルトスが必死に彼の顔を睨みつける。
「到底不可能だと、思ってた。思い込んでいた。だが、私は人の国に行って、一つ、いや、たくさんの発見をした」
「発見っ……だと……!」
「そう、くくく……」
ハルトルートたちは、城から外を見下ろした――――
――――
――――
――――
――――
酒の入った杯が、地面に落ちた。
零れる酒。誰かが何日も何か月も何年もかけて創り上げた酒。極上の酒。
一度零れれば、全ては無駄に。
染み込む酒。消える時。終わる過去。
真っ白のローブに身を包んだ、麗しき老婆が一人、椅子に座っていた。
「私たちが敬い、謳い、崇めた神々がこんなにも、たくさんいた。とてもとても、意外だわ」
老婆を見る神々。宴の場に突然現れた老婆に、神々は驚き、それぞれに反応した。
眉間に皺を寄せる者。見てられないと眼を背ける者。口を抑える者。一歩下がる者。
反応はそれぞれ。しかしその反応の意味することはすべて同じ。
『醜悪なものに対する忌避』
神々に老いはない。老いることは、あり得ないこと。
老いは、醜い。
老婆が笑う。優し気に、親し気に笑う。神々にその笑顔は、見えない。
「神はもっと懐が深いものだと思ってましたけど、そんな反応をするだなんて。意外だわ。ふふふ」
老婆が右手を伸ばした。彼女の手は皺で覆われていたが、その色は白く、穢れなどなく。
彼女の右手の中指に、小さくて大きな指輪があった。
綺麗な指輪だった。日の光を浴びて、七色にかがやく指輪だった。
ゆっくりと、彼女は指輪をはめた右手を前に突き出した。
「懺悔の時間ですよ皆様。どうぞ心のままに、全てが晴れるまで、罪を告白してください。私は全てを許しましょう。全てを救済しましょう」
そして、老婆は、右手の指を鳴らした。
その瞬間に、老婆の周りにいた神は全て、肉塊になった。
飛び散る血。
飛び散る肉。
飛び散る命。
「死こそが救いである。経典七節五十八。あなた達の、教えですよ。ふふふ」
血だまなりの中で老婆は微笑む。優しく、優しく微笑む。
その微笑みは、まさに聖母。全ての迷える者達の母。
聖母ミラリア、それが彼女の、名前。
ハルトルートが城の上で笑う。
「今まで、神器はその持ち主が死ねば、ただの置物となった! これまで存在した数億の神! 今生きている神は数百万! 数億の神器が世界にただの物として存在している! 人はそれを使うことができるのだ! どうだ! それの意味がわかるかアルトス! ははははは!」
笑う。笑い声が空に響き渡る。
「様々な実験をした。腕を切った。足を切った。内臓を全て抉り出し、神器の欠片を身体に埋め込んだ。いくつも、いくつも、いくつも。結果、結果だ。その結果わかった。人は、法力を持つ人は容易に、持たぬ者は身体に神器を埋め込むことで、その神器を解放させることができる」
「ば、馬鹿な……なんという、醜悪な……」
「はははは! これも全て新しい世界を創るためだ! そもそも! 人を殺すことでその数を調整していたお前たちがいえることか!」
「ぐあああっ!」
怒りのままに、ハルトルートは倒れるアルトスを踏みつけた。あまりの激痛にアルトスの身体が跳ねた。
「くくく……む? 兵が出てきたな……あいつは……たしか、私が人の国にいる間に七神になった……名前は……えーっと……何でしたっけ、ハルティアさん」
「シャールディとアルケイアですね」
「そう、それだ」
城より、数騎の天使と、神々が駆けだして行く。最後尾にいるのは、巨大な盾を持った女神アルケイアと、長い槍を持った神シャールディだ。
宴が催されている大広間の一角が、突如として赤く染まったのだ。誰も飛びださないわけがない。
ハルトルートに踏まれたアルトスは、その光景を見て、口角をあげた。
「彼らは、新参ではあるが、七神の中でも上位の実力者だ。何を企んでいるのか知らないが、お前はこれで終わりだハルトルート」
「へぇ……それは怖いなアルトス卿……ハルティアさん。逃げた方がよさそうかな?」
「いいえ、問題はありません」
声。
大きな叫び声。
「彼らはこちら側ですから」
アルトスは声をした方向に目線を動かした。透明な床越しにその声の主を探して、それを見つけた時、彼の表情は固まった。
巨大な盾に潰される天使と、長い槍に貫かれる天使。
七神の一アルケイアと、七神の一シャールディに殺される、軍神の兵。
「古参のネレウスとルクシス、そしてアルトス様の子供のフレイア。その三名以外はすでに、説得済みです」
「怖い怖い。アルトス卿。あなたの側近のハルティアさんは、とても有能ですね」
「なん、だと……!」
軍神の国、その中央にある大広間にいる神々は、何が何だか理解できていなかった。
向こうで、老婆が神を砕いた。
遠く城の前で、七神が天使を殺している。
困惑。ただただ困惑。
彼らは、まるで何も知らない子供のよう。
たくさんの神々の中に、一際若い男神がいた。
彼は女神たちだけではなく、多種族の女たちの間でも噂されるほどの、美形の男だった。
立ちすくむ沢山の神の中、彼は一番外側にいた。傍らには美しきエルフの踊り子。町を外れ、そのエルフの踊り子を口説こうとしているところだったのだろうか。
彼の首筋を、白い指が撫でた。彼は驚き、振り返った。
「ふふ、驚いた?」
そこにいたのは、妙齢の女性だった。露出の多い服装に、香る香料、長い金髪を身に纏い、誘う指は艶やかで。
妖艶な女がそこにいた。
「おいで。楽しいことしましょう?」
美形の男神は、これまで何度も女を抱いている。
神々の間で子を為せば永遠の命は消えてしまうから、抱いた女はほとんどがエルフやオークといった多種族の女ではあるが。
彼は秘め事には慣れている。女に慣れている。
しかし、その『女』は、その女が持つ空気は
「はやくぅ」
『慣れ』など無意味だった。
股座をいきらせながら、彼は女の誘うがままに大広間から消える。隣にいたエルフの女が気づかない程抵抗なく、躊躇なく、彼は建物の間に消える。
そして、じゅるりと水の音がして。
――――建物の間から、真っ赤な血が飛び出した。
「顔だけであっちは全然ね。はぁー騎士団の若い子の方が、よかったわ本当」
血に濡れた娼婦が舌を出して自らの唇を舐める。口回りについた血が、嘗めとられていく。
彼女の手には短剣。綺麗な綺麗な短剣。その血に濡れた女の姿に、王妃としての貴賓さなど欠片も無く。
人の国を治めていた王の妻。王妃マールリタ。紅の娼婦は生を喰らう。
地面が揺れた。
大きな音と共に揺れた。
何かが、落ちてきたのだ。
今度は何だと、神々はそちらを向く。
「なんと、なんと美しい国なんだ……」
そこにいたのは、そこにあったのは、全身から武器を生やした男だった。
一歩、足を踏み込む。くるぶしから生えた短剣が地面を削る。
「君! ああ君は似ている! 私の想い人に似ている!」
両手を広げる。ボロボロの服から覗く両腕は、両腕ではない。二本の剣だ。よく見れば肩口に生身の腕は確かにあるが、それは腐れて殆ど機能していないようだ。
「愛し合おう! 大丈夫痛いのは最初だけだ! さぁ私と愛し合おう! 愛し合おうユーフォリア!」
埋め込まれた神器の数17。頭以外ほとんどが金属。
彼は走った。愛し合うために走った。彼の視線の先にいるのは、青い髪の女の神。
抵抗すらできなかった。反応すらできなかった。
彼が彼女に触れた瞬間、彼女は細切れになって死んだ。
血が、鋼の身体を伝う。
「しまった。よく考えればユーフォリアはあんなに背が低くなかった。失敗したなぁ。汚れてしまったなぁ……」
もはや愛し合うことなどできないその身体で、騎士シルガドは愛を求める。
「ふ、ふふ……神は絶対。他の種族が神に敵うなど、あり得ない。ふ、ふふふ……」
笑う。城の上でハルトルートは笑う。
「アルトス……私はね。ヴァハナが人に殺された時に思ったんだ。神は人の手で殺せる、とね。くくく……彼らの有効な使い道、ようやくその時わかったよ。神器を解放する鍵にしか思ってなかった嘗ての自分は何とも頭が固かったな」
「なにを……何をするつもりだハルトルートっ……」
「くくく……ははははは!」
笑う。国中に響き渡るかのような大きな声で、笑う。
「何をする、つもりかだって!? 決まってるだろう! ははははは!」
その時、ゆらりと空気が揺れた。
熱。熱風だ。
「私たちは世界を創る! 十階位に至った七つの神器を使って世界を創る! 戦いの無い世界を創る! 全てを殺して世界を創る! 平和な世界を一から創るぅ!」
軍神の国のいたる所から黒い火が燃え上がった。
燃える。
次々と燃えていく。
「軍神と魔神! お前たちが始めた数千万の年を超える戦争! どれだけ死んだ! どれだけ壊れた! 世界を創るためにお前たちはどれだけ私たちから奪った!」
黒い炎の中に、黒い影。片手に握る、丁度真ん中で折れた剣。長い黒髪。漆黒の瞳
逃げる神々。追う炎。
「次は私たちの番だ! お前たちから全てを奪う! お前たちを全て殺す! 私たちの敵は全て殺す! 次の世界にいけるのは私たちだけ! 私たち同志だけだ! ははははは! そうだ焼け! 全て焼け! お前憎悪をすべてぶつけろカリーナ・エリン!」
高らかに、エルフの戦士ハルトルートは笑う。黒い炎が巻き上げる熱風に呷られて、彼の黄金色の髪がちりちりと赤く焼ける。
黒い炎。逃げ惑う神々の前に現れたのは漆黒の女。黒い髪。黒い瞳。黒い鎧。唯一、黒さの無い白き折れた剣。
生の目標を失い、心も失った黒き女騎士の名はカリーナ・エリン。神を殺した女。
「自分勝手、自分勝手自分勝手自分勝手。神なんか、全部死んでしまえ」
さぁ
「さぁ始めよう同志たち。世界を創ろう」
――――
――――――
――――――――
――――――――――きっとここで終わっていれば、それは為されただろう。
「てめぇこのクソ野郎! わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ! 父様ぁぁぁぁ!」
「ふ、フレイアっ……何て遅いんだ遅刻だぞ……!」
「――何?」
さぁ――――世界を創ろう。




