第10話 軍神
黄金の本があった。
そこには、全てが書かれていた。
世界の全てが、書かれていた。
過去より今。そして未来。この世界で起こる『全て』がそこには書かれていた。
膨大な、莫大な、情報だ。並みの者では決して、決してそれを読むことはできない。
それを読める者が、かつてこの世界にいた。
その本の持ち主だ。
『全知神』
彼は言った。
「この世界は、消える運命にある」
世界が消えるとは、どういうことか。友人がそう彼に尋ねた。
彼は口にした。
「文字通りだ。消えるんだ」
世界が滅ぶのか?と友人は彼に聞いた。
彼は答えた。
「世界が滅ぶ? 滅ぶと言う表現は、我々のような者たちが全て死に絶え、創られし物が崩れ去ったその光景を言うのだろう? 違う。そうではない。消えるんだよ」
首を傾げる友人。もっと簡単に言えないのかと、友人は彼に言った。
彼は応えた。
「そうだな……見てくれ、このグラスに、何が入っている?」
水だ。友人は言った。馬鹿にしているのか? と、友人は少し不機嫌になった。
彼は笑った。
「違う違う。いや、違わないか。ははは。そう、水だ。ここには水が入っている。さて、水を熱したら、どうなると思う?」
友人は答えなかった。あまりにも当たり前だから、答えることはなかった。
彼はそんな友人を見て、ますます笑った。子供のような、その笑顔を、彼は友人に向ける。
「そう、ぐつぐつと沸き立つ。そして、熱気となって、空へと水は飛んでいく。そして、水は水ではなくなる……っと違うな。水として判別できなくなる……あれ、しまった、例としてはおかしいな。待ってくれよ。もっといい例を……」
世界が消えるってことは、形が無くなるってことか? 友人はそう言った。
はにかみながら、彼は言った。
「見た目だけではないんだ。何というか、あったことすら、存在と言えばわかりやすいか? いやわかりにくいな。世界に形はないからな。うーん……どういえば……」
皆まとめて消えてしまう、ってことか?
友人がそう言うと、ハッとした顔を彼は見せた。
「それだ。神、動物、虫、その生物。それだけじゃない、山、大地、星々、全てが消える。全てが、なかったことになる」
どうして?
「元々、なかったからだ」
わかりやすく言え。
「戻ろうとするんだ。世界は、いや違う。存在というモノそのものが、戻ろうとするんだ」
何処へ戻る?
「無に」
わかりやすく言え。
「分かりやすいと思うんだけどなぁ。うーん……当たり前だけど、この世界はさ。無から生まれたんだ。何もなかった。何もないという状態から、何かがあるという状態になって、今になったんだ」
何もないのに、何故何かができるんだ?
「さぁ? 私の神器は、始まりから終わりまでしか書かれていない。始まる前のことなど、書かれていない」
お前と話していると、頭が痛くなるな。
「ははは。私は君と話していると楽しい。特に、その眉間に皺を寄せて理解しようとするその姿が、とても楽しい」
悪趣味だな。
「はははは。そう、私は悪趣味だ。そうだ君。君の未来、見てみようか?」
やめろ。それよりも
「うん。世界は消える。いつかそのうち、などというあいまいなモノではない。いつの日か、必ず、世界は消える。永遠を生きる我々神だが、その時、永遠は終わる」
どうにかできないのか?
「できない。それは決められたことだ」
どうしようもないのか?
「どうしようもない。運命をかえるなど我々には決してできない」
滅びを待つことしか、できないと。
「そう」
なら、言わないでほしかったな。悪趣味だ。全く、悪趣味だ。
「ま、世界が消えた後に世界を創ることはできるけどね。ふふふ」
――――それを
「先に言え馬鹿!」
古。
古き古き過去。
もう数十億が年を経た過去。
彼は
全知神クリエナは
友人に
『彼女』に、世界の終わりと、始まりを語った。
黄金の本があった。
そこには全てが書かれていた。
始まりから今まで、そしてこれから。
神々に関する、全てが書かれていた。
だから
だからそれは、最初から分かっていた。
最初から起こることはわかっていた。
水晶の城の奥で、彼女は瞼を開ける。ゆっくりと、ゆっくりと、瞼を開ける。
常に目の前にあるはずの、黄金の書。友人が死の間際に、彼女に残した黄金の書。
世界の全てが書かれている黄金の書。
全てが書かれた白紙の黄金の書。
「クリ、エナ」
ない。
彼女の傍に、それはもうない。
「……時が」
全身が水晶に覆われ、指一本動かすことができない彼女の名はブラガ。『軍神』ブラガ。
「時が、来た、か」
運命は変えられない。
彼はそう言った。
神々の手では、運命は変えられない。
彼女はゆっくりと瞼を閉じた。暗闇の世界に、彼女の意識は堕ちていく。
世界は終わる。それは黄金の書に記されていること。即ち、世界は必ず終わるのだ。
美しき肢体を水晶に埋め、城の奥底で眠る彼女。軍神ブラガ。彼の友人であった彼女は、何を思うのか。
全ては、定められたこと。全ての生命は、いつか必ず消え去ることになる。
神々は世界に縛られている。神の手では、世界の定めに抗うことなどできないだろう。
彼女の頭の中で、彼は言った。
「この書は、神々の歴史全てが書かれている。私は全てを知りたいと願ったから、私の神器はこうなった。ははは……かつては全てを知りたかったのに、今では全てを知ってしまったことを後悔している。本当に、わけがわからない! はは、はははは!」
自虐的な笑いだ。知識の探求とは、全てを知るために行われることだ。全てを知ってしまったら、もう探求はできないのだ。
「ブラガ、君が次に何を言うかすら、私は、知ってしまったんだ……」
そう言い残して、彼は自らの心臓に剣を突き立てた。
そう、全知神は神でありながら、永遠を生きる神でありながら、自ら命を絶ったのだ。
全てを知ったその時。彼は生き続ける意味を失ったのだ。
微睡の中で、ブラガは思う。
お前は本当に、全てを知ったのか?
ブラガは思う。ブラガは口にする。ブラガは聞く。
「クリエナ。本だけで、全て知ったなんて、おこがましく、ないか……?」
そのまま軍神ブラガは、深い眠りに落ちていった。




