第8話 集結の時
夜が無い国がある。
創造主の戯れか、奇跡の必然か。その地は、夜であっても太陽の光が届く地である。
世界で最も北方にあるその大地は、一年の八割が雪に包まれる大地。刺々しい木々が点々と広がるその地は、命が存在することが許されない大地。
そこは、魔を司る神の国である。
白き魔神の国を彩るは、漆黒の城。氷に包まれたその城の中で、玉座より黒き影がゆっくりと立ち上がる。
全身を黒き鎧に包まれた、大きな大きな黒き魔神。黒きマントを手で払い、赤い眼を輝かせて前を見る。
「闇を恐れ、闇深き場所にて光を求めた魔の者たちよ」
白夜の王。魔の神。黒き神の傍に七つの影が現れる。
七の神。十四の赤い瞳。皆一様に、前を向く。
「最期を迎えるその時に、最後の光が輝いた。前を向け。過去を忘れるな。行け。光に埋もれし死の神の地へ向かうがいい」
魔の神が手を前に突き出す。開いた窓から風が吹く。
白き夜に満ちた希望。窓より除く氷の世界で、黒き鎧の兵たちが整然と並び立つ。
世界の果てで光を求めた黒き神々。魔神の軍勢がそこにいた。
神々の歌を。億年を生きる世界の最期をここに。
「行け。光に埋もれし血の神たちの下へ。行け。我らが願いを胸に」
道の終わりが見える。道の先が見える。
世界の果てが見える。
「行けぃ!」
魔神が人差し指を伸ばし、世界の先を指さし号令をあげる。その号令が響き渡ると共に、七つの影はその場から消える。
赤い瞳が世界を睨む。黒き鎧が光に輝く。
白夜に輝く氷の城で。魔神の軍勢が動き出す。終わる世界の先を見るために。終焉の先を見るために。
――――正常な終わりを迎えるために、彼らは前に、進みだした。
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「……参ったなこれは」
日が差し込む書斎に、男の声が響き渡った。
大量の書に囲まれて、片手で器用に本を広げる男。その両の足は、大腿部より先が無く。左腕も肩口より無く。
顔の半分を仮面に隠し、一つの赤い瞳が書を撫でる。そしてため息、男の息。
「十日後だと言っただろうフレイア……通信も通じない。七神が二つも欠けるとか駄目だろう本当……そろそろ速足の天馬を与えるべきなんだろうけどなぁ……あいつ、馬乗れないからなぁ……」
パタリと本を閉じ、天井を仰ぐ彼。片腕を伸ばして本を机に置く。
視線を窓に向ける。太陽は高い。町は日に照らされ、いくつかの人影が動き出している。
人影と言っても、人は一人もいないのだが。
「ハルティア。いるかい?」
「はいここに」
男の呼びかけに答えたのは女の声。音も無く扉が開き、入ってきたのは長身の女。
紅き神の瞳に、黄金色の髪。大人びたその姿は、その者の貴賓を伝える。
「ハルティア。フレイアたちはまだ帰ってないよね?」
「はい。フレイア様とルクシス様。未だに戻っておりません。連絡もありません」
「そっか……参ったな本当に。魔神の方は国境を越えたらしいけど、今どこにいるのかな?」
「魔神の軍勢ですか?」
「うん」
「獣人の里で足を休めているようです。あそこは環境的に魔神の国に近いですからね」
「数日で着くか……歓迎は……」
「すでにエルフの踊り子たちも揃っております。料理人たちもすでに城に」
「って書いてあったね……ハルティア、君はやはり仕事が早い」
「アルトス様の神徒ですから」
「ああ、そうだね……ふぅー……」
息を、吐く。椅子に座る男、アルトスはつかれた顔をして窓を見る。
彼は自分の神徒ハルティアを、彼女が部屋に入ってきてから見てはいない。彼は、ハルティアを見ていない。
一つだけしかない眼を窓の外に向けて、彼は何を思うのか。
「ハルティア」
「はい」
「言った通りに、してくれたかい?」
「はい」
「ありがとう。君は、仕事が早いな」
「アルトス様の神徒ですから」
「ああ……そうだね」
アルトスは外を見る。失った両足に、失った片腕。失った顔半分。
息を吸い、そして吐く。少しの荒さと、少しの疲労を息に乗せて。
「間に合った……のかな。なぁ……ハルティア」
「あと百年です。気弱にならずに」
「そこまでは私は、いなくてもいいさ。娘もいるし、な。父も、目覚める。兵は、君に任す。いいね?」
「はい、お任せください」
「うん……さぁ、ハルティア。仕事があるだろう。行ってくれ。何かあれば、また呼ぶ」
「はい、ではおやすみなさいアルトス様」
「……ああ」
静かに頭を下げ、音も無く扉を開き立ち去るハルティア。本に囲まれた部屋の中で、アルトスは深く息を吐く。
手足を失った日から、体力は回復せず。痛みは無くならず。
生きていることが奇跡的なその存在。彼にとって今は、すでに死後である。
「できれば、私も、あの湖の底で眠りたいな……メナス様……」
滅した未来を。死後の今を。
アルトスはそのまま、ゆっくりと眼を瞑り、そして眠った。寝息がもれる。夢の中へと意識が落ちていく。
七つの世界が揃った。これより向かうは終焉。光り輝く軍神の国に、神々が今集う。
数百億の年月を経て、遂に至った今。神々の悲願が決しようとしている。
全ては過去よりの積み重ねである。狂いはない。狂うはずがない。
未来は決した。あとは、時を進めるだけ。神々の決した未来に、もはや誰も入り込むことはできない。
「さぁ世界を創ろう。僕らの願いを、今こそ叶えるんだ」




