第7話 再会
岩をくりぬいて作られたオークの町。その最も奥から続く階段を上れば、岩の上に突き出るように建てられた巨大な闘技場と王城がある。
その王城の先を、さらに進み、階段を降りたところにある巨大な建物。赤くて茶色くて、鼠色をしたオークの岩の中で、唯一外部より持ち込まれた白い石でできたその建物は、オークの民が決して訪れることのできないオークの王宮だ。
その王宮は、王族が暮らす場所としての役割の他に、歴代のオークの王が眠る墓としての役割もある。その建物の中央には幾多の玉座が並んでいる。
玉座に座るは歴代の王たち。風化し、骨となったオーク種の歴代の長たちが、そこに並んで座っている。
それは、オークたちの誇りそのものだ。オーク種の歴史は、これほどのものだとその場所は誇示しているのだ。
骨だけになっても尚、誇り高く鎮座する王たちは、まさしく偉大。
彼らは今、その王宮の中にいた。
「どうぞ」
オークの王女であるセ・シェドアの手によって白い石のテーブルに置かれる熱い飲み物。オークの里で取れる茶葉を煎じた、茶だ。
カップを手に取り、啜る巨漢の男は、七神の一、神の手ルクシス。肥えた腹が机につかないよう抑えながら、彼はオークの茶を飲み、大きく息を吐く。
その表情が、うまいと言っている。
「で、話を戻すけどよ。私が勝ってたよな? な?」
腰に差した四本の剣をまとめて傍らに置き、その場にいる皆に聞いたのは同じく七神の一、神の剣フレイア。銀髪を振り回しながら、子供のように赤い眼を左右に動かしている。
彼女の剣は四本。腰から外して初めて分かるその鞘の構造。
彼女の剣の鞘は、四本まとめて腰当で繋がっていた。つまり彼女は、腰当ごと四本の剣を傍らに置いているのだ。
腰当の中は、白い下着が一枚だけ。
「だいたいさぁ、闘技場だぞ。一対一だ。剣と槍で戦ってたのにさぁ。火砲? 狩りの時しか使わないしょっぼい道具出しやがってさぁ。反則だよなぁ? 私が勝ってたよなぁ? なぁ? ルクシスもそう思うだろう?」
「どうでしょうなぁ」
「なんで曖昧なんだよもう! あークソ。おいお前もっかい、もっかいやろうぜ。最後までやろうぜ。な?」
鎧甲冑を身に着けてはいるのに、腰だけ何もつけていないその姿。フレイアに恥じらいは一つもないが、その姿を見ている者たちはどことなくバツが悪そうで。
特に子供には、辛いようで。少年リオンは明後日の方向を見て一切前を見ようとはしていなかった。
「おい、でかいの。おい、聞いてんのか。そこのでかいやつ。おーい!」
「るっせぇな……品のねぇ娘だなおい……」
フレイアのしつこい呼びかけにとうとう我慢しきれなくなったのか。椅子に大槍を立て掛けて静かに茶を飲んでいたアルクァードが悪態をついた。
「うるさいとは何だ。私は七神のフレイアだぞ」
「やれやれ……おい、お前。そこの肥えたやつ。この娘を少し黙らせろ」
「んん、ははは。フレイア嬢、こう言ってますし、その話はあとにしませぬか?」
「んだよ……」
「はははは」
ふくれっ面で足を投げ出すフレイア。その姿をみて苦笑いをするルクシス。
ルクシスはひとしきり笑った後、小さく溜息をついた。
「さて、ようやく落ち着いた場所に来れましたなメナス嬢。とにかく、話してくれませんかの?」
ルクシスの視線の先にいるは、白い鎧を着た七神の長メナス。彼女の片手にあるのは茶の入ったカップ。ゆっくりをそれを回しながらメナスは茶を口に運んでいる。
ルクシスの言葉に、ゆっくりと口を開くメナス。
「……それで、何が聞きたいの?」
その表情は優雅で、余裕たっぷりで。七神の長としての姿が、そこにあって。
ルクシスがカップを置いて髭を擦る。
「メナス嬢、あなたは、死んだはずではないのですか。今まで何をしておられました? いやそもそも、あなたは本当にメナス嬢ですか?」
「ま、当然の質問ね」
茶のカップを机に置くメナス。そして白い兜をはずし、彼女はそれをカップの隣に置く。
銀色の長髪が風になびく。
「とりあえず、私は私。七神の長メナス。産まれて三千年以上、他の名を名乗ったことも、他の者になったこともないわ」
「貴公の、圧倒的な神格はどうなされた?」
「人の国で失った。ああ心配しないで。子供を産んだとかじゃないから。神器を失ったのよ」
「濁しませんな。相変わらずじゃ。メナス嬢らしい」
「回りくどいのは嫌いだからね」
微笑むメナスと、ルクシス。その空気が、彼女達が旧知の中であるということを周りに知らしめる。
椅子の石の上で足を組み替えるメナス。
「で、ルクシスにはどう言う風に伝わっている? 私と、アルカディナ。あと、アルトスたちのこと」
「……アルカディナが帰還を拒み、迎えに行ったメナス嬢とファルギスたちを殺したと」
「それで?」
「シャールディが神の矢を放ち、アルカディナを仕留め、全ては終わ」
「ああ!?」
その言葉を聞いて、急に立ち上がったアルクァード。怒りと、驚き。狂気にじむその顔を向けられて、ルクシスの言葉が止まる。
「シャールディ……シャールディと言ったなお前……それが、名か。あれを撃ったやつの名か……どこだ、どこにいる。そいつはどこにいる……!」
その名を、反芻するアルクァード。顔も知らないその名を、口にするアルクァード。
ルクシスが、眼を丸くしてアルクァードを見上げる。
「アルク、待って。今は、待って」
「……っ!」
ドカッと椅子に腰を落とすアルクァード。何とも言えぬその姿に、ルクシスはただ、たじろぐだけで。
「ルクシス。それは誰から聞いたの? 状況は、ほとんどあっている。そこまで正確に」
「アルトス卿から、直接……」
「アルトス?」
組んでいた足を、解くメナス。両足が石造りの床をパンと叩く。
少しだけ驚いたのか、メナスは一瞬眼を見開いた。彼女の赤い瞳が一瞬だけ大きくなった。
「生きてたの? 神格は、残り香も無くなっていたのに?」
「……アルトス卿の身体、片腕と両足、顔の半分を失い、それでも天馬に跨り神の国へと帰って参りました。神格は、子を作ったことにより失ったと言っておりました」
「何を隠そう、七神の一、神の知恵アルトスは私の父様なんだぜ。すげぇんだぞ。まともにうごけねぇのに作戦を考えりゃ百発百中。あんな頭のいい神は他にいないぜ」
「わははは、そう、アルトス卿の子がこのフレイア嬢ですな。儂と違ってあの者は家柄がいい。代々七神の座についておられるしの。ははは」
「あいつに、子供がいた……?」
そう言うとメナスは、口元を抑え、何かを考えるように下を見た。目線を下に。左右に。
目線だけを動かして、フレイアの眼を見る。
女神フレイア。赤い瞳。銀色の髪。
「アルトスは、緑ぎみの、黒髪……ねぇ君。歳はいくつ?」
「歳? 五になるけど……それが?」
「五歳だって!?」
明後日の方向を見ていたリオンが思わず声をあげた。声にこそださなかったが、そこにいる者達は皆驚きの顔を見せた。
メナスと、アルクァード以外は。
「……神は成長がはえぇんだよ。特に子供はな。三つで、人でいう十歳ほど……ミラぐらいの体格になる」
「アルクの言うとおり。んで、個体差はあるけど、五歳ぐらいで骨格はほぼ完成する。ま、胸が出たり、腰回りが大きくなったりとかはもうちょっと後だけどね。フレイアだっけ? 君成長早い方ね」
「父様に言われていっぱい食ってるからなぁ……あれ、私子供扱いされてるのかもしかして」
「実際子供ですからなフレイア嬢は。ははは。しかしですなメナス嬢。フレイア嬢はこれでも部下もおるし、ちゃんとした七神の一ですぞ」
「へぇ……五つ……五年……か……」
机の上においてあったカップを手にとるメナス。その中身を一口彼女は飲んだ。
そして、彼女はカップを置いて話し始めた。
「ルクシス、十階に上った神器が七つ揃ったって王が言っていたけど、それ本当?」
「はい。中央の観測所もたしかに探知しております。十階位の神器七つ。今確かに世界に存在しておりまする」
「七つ目は魔神の陣営?」
「はい」
「もう一度聞くわ。魔神の陣営に七つ目が出現したと、確実に言える?」
「はい。間違いなく七つ。この世界に存在しております。場所もわかっております。あれだけの神格。世界のどこにあってもわかりますからな」
「……そう」
「同時に存在できる十階位の神器は七つだけ。それは世界の理。世界が終わる前に、七つの世界を一つに束ねよ。さすれば、我らが世界は生まれ変わる。それは古より続く我らが悲願」
「七つの神器を手にするは一つの神。最終戦争が、起こるのね」
「はい。ま、百年後ですがの。最終戦争まで百年。停戦が結ばれようとしておりまする。しばしの間ですが、平和が訪れますぞもうすぐ」
「自分たちで勝手に始めた戦争を、自分たちで勝手に止めて平和ってのも変な話ね」
「ははは、まぁ、そこは言わんようにしましょうな」
苦笑するルクシスと、メナス。周りの者はもう、ほとんど話を聞いているようで聞いていない。
皆の前に置かれた茶は、全てが空になっていて。少女ミラが、机の傍に立つセ・シェドアの顔を覗き込んだ。
その顔は、なんとも言えず複雑そうで。聞きたいことがあるが、タイミングが無い。そんな風で。
ミラはその顔を見て、カップを強めに机に置いた。
笑いがピタリと止まり、ルクシスとメナスの顔がミラの方に向く。ミラの背には、セ・シェドア。
セ・シェドアを見上げるミラ。つられて他の者も、彼女の顔を見る。
「あ、あの……よい、ですか? 神様……」
「おお、王女様。何かの?」
「は、はい、その……私たちの……王位は……ど、どうなるんですかね……」
「ん? ああ。そうか儂が止めてしもうたからのぉ」
「は、はい、その……ははは……」
「うむ、ではそろそろ教えるか。フレイア嬢、よいな?」
「ああ? 別にかまわねぇよ。どうせいつかわかることだし」
「うむ」
立ち上がるルクシス。下着一枚で大きく椅子に沈むフレイア。
ルクシスがその巨体を揺らして、ゆっくりとセ・シェドアの目の前に進み出た。
セ・シェドアの正面に立ち、ルクシスはゆっくりと両手を挙げる。
そして、その両手を力強くセ・シェドアの両肩に落とした。
「おめでとう! 王位はお主のものじゃセ・シェドア! ぬはははは!」
「は、はい?」
ルクシスの両手の間で、困惑するセ・シェドア。小さなオークの少女が、慌てふためき、その顔をいつもよりもいっそう青く染めている。
笑うルクシス。ため息をつくフレイア。
「おい、それじゃわかんねぇってルクシス」
「ん? ああ。はははは。うんうん。そうじゃなそうじゃな」
「え? え?」
セ・シェドアの肩から手を離すルクシス。困惑は、一層増して。
そして、ルクシスの笑みが消える。
「王が知ったのは先日じゃ。あの王は気丈にも、このことを聞いて眉一つ動かさなんだ。よいか。心を強く持て王女よ」
「は、はい……」
「王位継承権を持つお主が兄、ガ・ディルマは戦死した。この国において、今現在王位継承権を持つのはお主のみ。次期王は、お主だセ・シェドア王女」
「は……は!?」
固まるセ・シェドア。構わず続けるルクシス。
「戦場にてあの者は、勇敢じゃった。勇敢すぎた。誰よりも先頭を行き、誰よりも敵を倒し、誰よりも兵であった。そして、彼は海の向こうで、より強力な兵に、討ち取られた」
「な、なぁ……あ、あの、兄……兄さんが……!?」
「百のオークを連れ、彼は遠くは人の里へと行った。天使の護衛じゃ。そこで、彼は何者かに、百のオークと共に討ち取られた。もう、数か月前になる」
「あんなに、あんなに強かったのに……数か月前って……なんで、今まで……」
「あそこは外からはみえんところでなぁ。それに、人の国は儂らの管轄ではない。あそこで起きたことは、中々情報が入ってこんのだ。今回は情報を集めた物が船でこちらに運ばれて、それでようやっとわかったのだ」
「あ、ああ……そんな……兄さん……」
両膝から崩れるセ・シェドア。そこに在るのは、家族を失った悲しみだけ。王位を得た悦びなどどこにも無く。
「……あの者は王よりも将だった、ということであろう。セ・シェドア王女よ。心を落ち着け、先を見るがいい。主のその家族を思う心を持てば、きっと民をよき方向へと導けるだろう。未熟なれども、進め。それのみが、道を開く唯一の方法ぞ」
「ああ……ああああ……」
項垂れるセ・シェドアの肩を軽くたたき、ルクシスは立ち上がる。長きに生きて、磨かれたその心と、力強さ。ルクシスは、神々の中でも優しく強い心の持ち主として有名であった。
彼は、そのままメナスの顔を見た。
「それで、人を引き連れ、あなたは何をするつもりですかなメナス嬢。返答如何においては、儂は軍神様に会わねばならなくなりますぞ」
「何をするつもりか、ですって? ふふ、ふふふふ……決まってるでしょ」
微笑むメナス。立ち上がるメナス以下、全員。
槍を持ち、意志を持ち、人は神の国にやってきた。全ては、その目的のために。
「私たちは、この世界をぐしゃぐしゃに引っ掻き回しにきたのよ」




