第6話 四剣の女神 後編
「ぬっほっほ! いかんいかんのんびり食ってたら始まっとるわ! いやぁオークの肉料理は何故こんなにうまいのかの!」
膨らんだ腹を揺らしながら、巨漢の男が小走りに闘技場へと入ってきた。
赤く輝く瞳と、短く整えられた漆黒の髪を持つ男。巨漢の神。名をルクシス。数千の年を生きる古参の神の一柱である。
ルクシスがきょろきょろと周りを見回している。周囲にいるのはオークたちだ。見渡す限りずっとオークたちだ。
「未婚のオークはおらんなぁ……オークたちによれば女子は太った方が美しいらしいが、儂らにとってはそれはなぁ。目の保養にならんなぁ。腹が膨れたあとは女子と戯れたかったのだがぁ……おっ!」
周囲を見回していたルクシスの眼が、ある一点で止まった。
彼の視線の先に、小柄なオークの女がいた。未婚の、子を産んでいないオークの女だ。オーク種の女は子を産む前はエルフや神種の女性と同じような体格と顔をしている。
大きな身体を揺らしてルクシスが歩き出す。
「おーい! おーい! そこの女子! 儂とどうじゃ今宵」
そこまで言って、ルクシスは固まった。
彼が眼をつけていたオークの女が、若きオークの男に抱きつくのを見たからだ。
闘技場で行われている戦いに興奮したのだろうか。オークの女は男の腰に腕を回して大きな声をあげている。オークの男は困ったような顔をしているが、彼女を拒否することはない。
ルクシスは溜息をついた。
「なぁんじゃ。もう相手おったかぁ。それなら仕方ないの。わはははは」
普通の者であれば、少しは恥ずかしさを感じるところかもしれない。事実、ルクシスの周りにいた男たちは彼に訝し気な眼を向けている。
気に留めず笑い飛ばせるのは余裕からか。顎髭を擦りながら彼は闘技場の中をみた。
大きな声が上がった。オークたちの歓声だ。
「クソが! 体力馬鹿かこいつ!」
フレイアが悪態をつく。雄叫びをあげながら迫りくるアルクァード。大槍が振り下ろされる。
「おおおおおおおおおおおおおおお!」
目の前で繰り広げられる光景。戦いが好きなオークたちにとって、その戦いは娯楽の域を超えていて。
大男の振る槍が地面を抉る。それを大きく躱す銀髪の女神。
女神の顔に、余裕はない。大男の顔に、正常さはない。
「ほほぅ……王女様も代役を立てたか。大きな男じゃな。儂より背が高いんじゃないか?」
顎髭を一本引き抜いて、ルクシスが両手を組んで観客席に立つ。周りのオークたちが叫ぶ。オークたちが唸る。
「皆興奮しとるな。戦い好きなオークたちらしいわ。ははは。しかしむやみに民を殺したくないと言う気持ちもわからんではないのだよなぁ。まぁ、フレイア嬢が神器を出せば必勝だろうし、その崇高な願いも消えてしまうのかの。世知辛いのぉ」
髭を擦りながらもう一本、髭を抜くルクシス。その眼はどこか、寂しそうで。
「ふっほっほ! 相手の男。良い殺気じゃ。触れれば死ぬ、そう思わせるには十分じゃ。フレイア嬢が一番やりにくいタイプだのぉ……フレイア嬢は、純粋な殺気に慣れとらんからなぁ。文字通り背筋が凍っとるじゃろうなぁ」
ルクシスが見る視線の先。大槍が風を切り女神フレイアの身体を裂かんと迫り来ている。
それを余裕をもって、確実に躱すフレイア。避ける技術は流石の天才。しかしフレイアに余裕はなく。
「槍かぁ……思い出すの。大槍を持つ神。滅茶苦茶な女子であったが、あれは強かった。あれほどの男、どこにいたんじゃろうな……あれほどの神器は二つと……む?」
ふと、彼は違和感を持った。
「……相手の男。耳なしのエルフか? いや、全く神格が無い。エルフは多少神格を持つ……翼を無くした天使か? いや、だから、神格がない。持っているのは生体オリハルコン。神器だ。神種……のわけがない。神格がない!」
頭を整理する。同じところをぐるぐると回りながら、彼は数千年の年月の中培った知恵を総動員する。
大槍を振う男は、何者なのか。種族は何なのか。
答えを得るに、時間はかからなかった。
「まさか、人か?」
髭から手を離すルクシス。眉間と額に皺が走る。
「まさか! 人なのか!?」
観客席の上から、オークたちをかき分けて鉄の柵まで一気に走り降りるルクシス。
小柄なオークの女が彼に押されて尻餅をついた。
「馬鹿な! 何故人がここに! 人は、あの島に封じられているはずだ! 何故人が! 何故人が神器を持っている!」
ルクシスが走る。観客席の中を。
戦いは続ている。闘技場の中で。
何度目になるか、また大槍が地面を撃った。
飛びのくフレイア。
「うっ!」
彼女の背に、衝撃が走った。フレイアは、鉄の柵にぶつかったのだ。
ついに、彼女は柵の際まで追い込まれたのだ。
迫るアルクァード。彼は槍から片手を離し、悠々と迫りくる。
口元に笑みを浮かべて、その表情が、追いつめたと言っているようで。
怒りの感情が、フレイアを襲った。
「……このクソ野郎」
フレイアは後ろを一瞬だけ見た。そこにいるのは、オークの男たち。
前を見る。黒い瞳を向け、槍を握る男。
槍とは、中距離用の武器である。
彼の持つ大槍は穂先は巨大だが、柄の長さはそこまで長くはない。
フレイアは腰を落とした。
「ここじゃ一本だけしか使えねぇからって負けねぇぞクソ野郎」
その言葉は、虚勢も少し、入っていたのだろう。
名前すら、憶えていない巨大な男。大槍を振う男。あれだけ槍を振って、息一つ切らさない男。
途中で彼女にはわかっていたのだ。そう、その男は、彼女を追い詰めるために、柵際に追いやるために、槍を振っていたのだと。
追い詰めたら、何をするか。
恐ろしい殺気を叩き付けた彼は、何をするか。
「おい、これ以上は怪我するぜ娘。まだやるのか?」
勧告だ。降伏せよと、勧告するのだ。
それが天才ともてはやされ、実際戦場に置いて実力を示してきたフレイアにとって、許せない。
「後悔しろこのクソ野郎」
フレイアはそうつぶやくと、腰を更に落とした。四本足の獣が飛び掛かる時のような、低い低い姿勢だった。
「シッ」
そしてフレイアは、歯の隙間から強く息を吐く。それと同時に彼女は、前へと弾丸のように撃ち出された。
――何かが破裂したような、音が鳴った。
ここからは、まさに一瞬だった。
その動きを見れたのは、観客たちの中にはおらず、オークの王すらも見ることができず。
辛うじて眼で追えたのは、観客席にいたメナスだけ。観衆たちは歓声をあげることもできず、それをただ見送るだけで。
フレイアが飛び込んだ。火砲の弾丸並みの速度で飛び込んだ。
剣を横に、飛び込んだ勢いのままに。
アルクァードとの間合いなど、一瞬のうちに縮められる。フレイアがその勢いのまま剣を振る。
アルクァードの握るは大槍。超接近戦に置いて、殺傷能力は著しく下がる。フレイアの動きに反応できたとしても、攻撃することは叶わず。
アルクァードは咄嗟に、槍の柄で自らの腹を防御した。
オリハルコンのぶつかる音がした。
音が響き渡るよりも速く、フレイアは剣を返す。下から上。一瞬でアルクァードの背に回り、そこからの攻撃だ。
アルクァードはほんの少しだけ身をよじった。一瞬前まで背中のあった場所を、フレイアの剣が斬り裂いた。
アルクァードが振り返りながら槍を振う。すでにフレイアはいない。その光景に、さすがのアルクァードも、驚きの顔を見せる。
また背後だ。
前に後ろに、一切の減速無く切り返すフレイア。腰を回転させ一本の剣を器用に使いアルクァードの背を狙う。
生半可な速度ではない。生半可な技量ではない。
一つの行動を誤れば、待っているのは斬り裂かれ敗北する未来のみ。
アルクァードは腰に手を入れ、もう一方の手で槍を背に担ぎ上げた。
またオリハルコン同士がぶつかる音がした。
振り返るアルクァード。槍を持ち上げるそれを振らんとする。
当然のように背後には誰もいない。アルクァードは腰から何かを取り出し、後ろを見ながら自分の背の方へとそれを突き出した。
取り出した何かの先端が、誰かの身体に密着するのを感覚で感じた。
その取り出したモノは、銀色、大口径の火砲だ。
アルクァードは視線を火砲の方へと向けた。そこには、火砲を胸に突き付けられ驚きの表情を見せるフレイアがいた。
引き金に力を籠めるアルクァード。彼は、先読みしたのだ。フレイアの動きの先を読んだのだ。一瞬で背後を取るのなら、背後に攻撃すればいい。
それは、彼の経験から来る先読み能力。胸に火砲を突き付けれたのは偶然だが、その動きができたのは偶然ではない。
フレイアが驚いているうちに、指を引けば終わる。その行為に、彼は躊躇などしない。
アルクァードは間髪入れず、火砲の引き金を引いた。
「待てい!」
火薬の弾ける音と、その声が響いたのは、同時である。
撃ち出された弾。鉛の塊。それは、突然目の前に現れた金属の爪に食い込み、止まっていた。
フレイアが押し倒される。アルクァードの火砲が叩き落とされる。
フレイアとアルクァード、その間に突然現れたのは巨漢の男。大きな身体に大きな金属の爪。神ルクシス、七神が一柱だ。
地面に腰を落とすフレイア。一歩下がるアルクァード。
「誰だてめぇは」
「お前ルクシス邪魔すんな!」
アルクァードとフレイア、似たような口調でルクシスに言葉をかける。彼らの間に挟まれて、ルクシスは姿勢を整えあごひげを擦った。
そして大きな声で、王の方を見て彼は叫んだ。
「この勝負、儂が預かりまする! よろしいか王!」
眉間に皺をよせ、なんともいえない顔をする王。だがそれまで、さすがの王も、七神には口を出せない。
そしてもう一方、王と反対側に立つ白い鎧の神に向かって、彼は同様に大きな声で叫んだ。
「よろしいなメナス嬢!」
小さく笑みを浮かべるメナス。その顔を見て、小さく溜息をついて槍を背に仕舞うアルクァード。
終わった。戦いは、唐突に、双方傷一つつくことなく終わった。
観客たちも上げていた腕を下ろす。歓声もいつの間にか無くなっている。
静穏が辺りを支配し始める。
「んんんん! 全然よろしくねぇよ! せっかく面白くなってきたのにやらせろよぉー!」
その中でただ一つ、フレイアが大きな声をあげて抗議した。子供のように、足をじたばたとさせて抗議した。
人の、アルクァードの、神の国に来て最初の戦いが、あっけなく終わりを迎えた――――




