第3話 種族
巨人がいた。
緑褐色の、顎に長い髭を持つ巨人がいた。
オークの王。その身体は通常のオークよりも二回りは大きく、全身に走る傷は彼がこれまで歩んできた生涯の過酷さを伝える。
オークの王は、巨大な木のジョッキを持ち上げてその中にある赤い酒を口に流し込んだ。
巨大なジョッキである。その中に入っている酒の量も相当の量だ。小さな樽一杯分は優に超えるだろう。
その緑色の顔を褐色に赤らめ、王は真っ赤な吐息を吐き出した。
「どっちが……よいか……」
王は、問いかけた。玉座の間に王は一人。王は自分で自分に問いかけた。
酒の匂いが周囲に充満する。王の思考が揺らぐ。
「第一の子……ガ・ディルマは勇敢、力強い、戦場では一軍を率いて見事な働きをした。だが……だがあやつには、民を思う心、無し。戦場の厳しさを、国に持ちかえればすぐさま国滅ぶ」
天井を見上げる王。眉間の皺は深く、深く。
「第二の子……セ・シェドアは民を思う心有。しかし、愛ゆえに、甘い。戦場では自軍の被害を恐れ、窮地に陥ること多々あり。為政者としては文句はなく、戦士としては物足りず。女として身体、誤魔化せず」
溜息。オークの王は、玉座に座り何度も溜息をついた。
王は、迷っていた。老いた自分の後を任せられる者を誰にするか、迷っていた。
相談できる者などいない。最も自らの子を知る自分でさえこの様なのだ。重鎮や側近を巻き込めば、子を巻き込んであっという間に国は割れてしまうだろう。
「休戦の間に、決めねばならぬ。決めねば、ならぬ。決めね……ば……」
王はそのまま、玉座に沈んだ。深い寝息が玉座の間に響き渡る。
国において王は唯一の存在でなければならない。複数の王が存在すれば、それ即ち国が割れるに等しい。
――後継者問題とは、どの時代でもどの世界でも、どの国でも必ず起こるものである。
同刻。オークの城の客室。
大きな丸い机を囲むように並べられた羽毛と皮でできた椅子に、彼らは座っていた。
背を伸ばし外を見る少年リオン。窓から見えるはオークの集落。
露店がある。見たことも無いような作物が木の台の上に並んでいる。その隣で大きな身体をしたオークが接客をしている。
行きかうオークたちは皆笑顔だ。顔の作りは違うが、間違いなく笑顔だ。人の国で見た、狂気の表情をしたオークはいない。
よく見れば、オークに男女があるのが理解できる。男は皆屈強で、はち切れんばかりの筋肉を身に着け雄々しく歩いている。
女は男に比べ脂肪が多い。ごつごつとした男に比べ丸く、『肥えて』いて。幾ばくか表情も柔らかい。
眼に白目は無く、人の目の白目にあたる部分は真っ黒で。瞳は小さく、黄色に赤に、個々によって異なる色があって。
天使の護衛として、人を殺すだけの恐ろしい存在だったオークが、こんなにもまともだとは、少年であるリオンはただただ驚いていた。
広い世界。大きな世界。その一端がこの窓の外にはあるのだ。
「良いですかアルクァード様。カルフィは茶葉を使ったお茶と違い、黒く苦いものです。ですので、蜜と砂糖をたくさん使って飲みます」
「こんなに入れるのかよ姫様よ」
「たっぷり使います。全く入れない方もいますが、それは慣れている方です。苦みが好き、私にはあまり理解できません」
「おいおい、蜜も砂糖も瓶一本で金貨が何枚も飛ぶんだぞ。贅沢な飲みもんだなおい」
「さぁどうぞ。お熱いうちに」
「ああ」
太い指をカップにかけ、その中の黒い液体を口に運ぶアルクァード。
訝しそうに一口に口にして、少し止まった後、そのまま一気にそれを喉に流し込む。
カップから口離し、息を吐いて一言。
「こりゃいいな。甘いもんなんて何年ぶりだ。舌がびっくりして痺れてるぜ」
「まだポットには残ってます。お飲みになりますか?」
「おうそうだな」
腰を浮かし、置かれたカップに飲み物を注ぐ人の国の王女、リィナリア。その顔は飲み物の熱に当てられたのか、隣に座る男の存在によるものなのか、ほんのりと赤く染まっていて。
それを、不機嫌そうな顔で見る、机の反対側にいるユーフォリア。
「はぁーあ。王女様に飲み物を作らせるなんて、随分偉くなったのねアルク」
「ああ? なんだよそれ」
「神の国よここ。もっと気を引き締めなきゃ。何があるかわからないでしょ」
「わかってるよ」
「それが気安く飲み物なんて……」
「なんだよその顔。ああそうか、お前さては無くなるのが心配なんだろ。お前の分もちゃんとあるぞ。全くいろいろでかくなってもユーフォリアはそういうとこ変わんねぇな」
「そうじゃな……! もう知らない!」
「なんだよ……」
横を向くユーフォリアに、困惑しながら飲み物のおかわりを口に運ぶアルクァード。何とも言えぬその光景に、老騎士ダナンは苦笑いをした。
静かな客室。廊下では誰かが忙しく走り回っているのだろうか、ドタドタと足音が静かな部屋に鳴り響いている。
日が窓から差し込む。アルクァードの傍らに置いた大槍がその光を反射している。
暖かな部屋。穏やかな時。
その空間を切り裂くように、大きな音を立てて客室の扉が開かれた。
部屋にいた者達が一斉に開かれた扉の方を見た。
そこに、一頭の、一人のオークの女が立っていた。
外にいたオークの女はほぼ全て肥満体で、ふくよかな身体を持っている。だがそこに立つ女は、女の身体を持っていた。
顔もそのまま人の女の顔で。緑褐色の肌と下あごに見える牙、そして黒い白目が彼女は人ではないことを見た者に理解させるが、その姿はあまりにも細く、弱弱しく、女らしく。
「はぁ……はぁ……」
息を切らし、彼女は部屋を見回す。アルクァードと眼が合う。
「ふぅ……はぁ……こ、ここ、ここに……七神の長が、いると聞いた。聞きました。どこ、ですか?」
短い髪を伝う汗。澄んだ声で、彼女は尋ねた。
眼があっていたアルクァードが答える。
「メナスはまだ戻ってない。どっかで話してると思うが、俺たちはここから出てねぇから知らねぇな」
「そうか……そうですか……はぁ……はぁ……」
肩を深く落とし、下を向くオークの女。よほど探して走り回ったのか。誰が見ても疲れ切っているように見えて。
扉に手を掛け、外へ行こうとする彼女を、アルクァードが引き留めた。
「待て。少し休んでいけ。あいつもそのうち戻ってくるだろうしな。姫様水をやってくれ」
「はい」
困惑し、固まるオークの女。アルクァードに言われた通り、リィナリアは机の上にあった水差しから水をカップに入れ、微笑みながらそれを差し出した。
入って飲めと、顎で水の入ったカップを指すアルクァード。オークの女は、後ろ手で扉を閉め開いてる席に座って水の入ったカップを口に運んだ。
彼女はそれを一気に飲み干した。そして、彼女は机に両手を添えて深々とリィナリアに頭を下げた。
「感謝す……します。美しき主よ。神より施しをいただける。これ以上の幸せは、ありません」
「主……か、神? アルクァード様……?」
「合わせとけ」
「は、はい」
人と神の身体的な特徴は酷く似ている。身長に差も無く、肌の色も近い。
大きな違いは瞳の色だけ。オークにとってそんなことは、些細な事。
即ち、人を見たことがない種族にとって、アルクァードたちは神種にしか見えないのだ。
水を飲んで落ち着いているオークの女に、アルクァードは疑問におもったことをそのまま尋ねた。
「あんた、随分とその、外のやつらと違うんだな」
「違う?」
「外にいるオークの女は、もっとでかい……ほら、横にも縦にもさ」
「……? オークの女は子を産めば皆、子を育てるために栄養を蓄え成長します。当たり前の、ことでは」
「あー……そうか。そうだったな。そういやそうだった」
「いろいろもったいないのぉ……でかいのはいいんじゃが全部が大きくなるのはちょっとのぉ」
「え?」
「じじい黙ってろ」
「おっと……ははは」
そして、沈黙。何かを口にすればボロが出る。そう思えば自然と、誰も何も言わなくなるものだ。
オークの女は自分で水差しから水を汲み、それを口にした。そして視線をアルクァードの横にある大槍に向けた。
「神器……見事な。能力は、なんですか?」
「能力?」
「神器の、能力。解放はどこまで進んでますか? 不滅は超えてますか?」
「あー……えーっとな……わりぃがそこは秘密で頼むわ」
「あ。申し訳ございません。そう、ですね」
「んで、メナスに何の用だ? 血相抱えてよ」
「はい。実は――――」
彼女が話始めた時だった。急に部屋の扉が開いた。
彼女の言葉は、その扉が開く音で遮られた。振り返るオークの女。
開かれた扉に視線が注がれる。そこに、白き鎧のメナスは立っていた。
メナスが部屋の中にいる見慣れない者の姿に気づくよりも速く、オークの女はメナスに飛びついていて。
「メナス様!」
「え、なに!? 誰!?」
「力を、魅せねばならない! どうか力を! 明日の御前試合で兄に勝たねば国民が戦場に駆り出されてしまう! しまうのです!」
「は、はい?」
「メナス様ァァァァ!」
「いだだだだだだ! 抱き付くのやめてバラバラになるから!」
静かな時は終わる。部屋いっぱいに響くほどの大声で懇願するオークの女に、抱き付かれるメナス。
アルクァードは外を見た。太陽はまだ高い。どこの国でも、太陽を見れば今の時がわかるものである。
オークの城。時は少しずつ、少しずつ前へと動き出していた。




