第2話 オークの国
その種族は、強靭な肉体を持っていた。
太い骨、太い肉、太い心。彼らは強かった。
戦場に置いて、彼らと肉薄するということは死を意味する。俊敏な獣人も、法術を纏う天使も、彼らの前には立つことができないのだ。
オーク種。紫色の血に緑褐色の肌。強靭な肉体に強靭な顎。そして牙。常に前に立つことを強いられている彼らはただただ勇敢だった。
オークの王がいた。強靭な肉体に、大きな大きな斧。戦場で殺した敵の数は千を超え、戦場で守った味方の数はその十倍以上。彼は英雄だった。
彼は言った。
「我ら、兵であれど、駒にはならん」
彼らは、ただ人形のように、神に仕えることはしない。
彼らにとって神は主ではあれど、先導者ではない。
自らの道は自らの手で切り開く。力強いその生き方こそが、戦場において最強の兵の条件。
それでいいと神々は思った。それでもいいと神々は思った。
オーク種は、神々の部下ではあれど、子供ではない。
それでいいと、神々は思った。それがいいと神々は思った。
だから、彼らには『城』を持つことが許されていた。
人の国にある城とは違う『城』。支配者の居城としての『城』。自ら築き上げた『城』。
オーク種は人とは違う生き方を、認められているのだ。
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巨大な天馬が、道を歩いていた。その天馬は片翼が無かった。
天馬の上に、女性が二人。後ろに座っていた黄金色の髪をした女性が、前に座る青い髪の女性の肩口に顔を寄せ小さな声で恥ずかしそうに言葉を発した。
「あの……お水くださりません?」
「あ、はい……どうぞリィナリア姫様」
「ありがとうございますユーフォリア」
天馬の首にかかっていた水袋を後ろに回す青い髪のユーフォリア。受け取ったリィナリア王女は顔を伏せてその袋から水を吸い出す。
大きな道を行く天馬。少し離れて前に二人の大男。老騎士ダナンと、赤錆の騎士アルクァード。
後ろを少し見て、アルクァードが溜息をついた。
「なぁじじい……姫さんも人の国に戻した方がよかったんじゃねぇか? 流石にきつそうだぜ」
「本人がどうしてもついて行きたいというしなぁ……ワシも強くは言えん」
「……ま、気持ちはわかるけどな」
「うむ。王が死に、王妃が見つかったのは騎士団の若き男の部屋。隠せればどうにかなったかもしれんが、あの混乱の中でそれが国中に知られてしもうた。町を歩けば石を投げられるあの場所じゃ。戻りたくないのだろう」
「なんつー高貴な家出娘だ。さすがに面倒見切れねぇぜ」
「花よ蝶よと育てられたとはいえあれでも18の娘じゃ。面倒みられるほど弱くはあるまいて。ま、力強い護衛もおるし大丈夫じゃろ」
「護衛ねぇ……」
歩きながら二人の男が振り返る。巨大な天馬の後方を見る。
天馬アガトより数歩離れたところに彼はいた。
巨大な盾を背に背負い、戦斧を片手に歩く鎧姿の男。
虚ろな瞳で前を見据えるその男は、力強く腕を振う。アルクァードたちよりも一回り小さい体格ではあるが、それを感じさせない威圧感を持つ人の男。
戦士ラギルダ。彼は剣闘士最強の男にして、テンプル騎士団元団員である。
「ワシが騎士団長だった頃の話だがなぁ。あやつ、訓練で相手を殺してしもうたのよ。アルクァード、お前が入団するよりも前の話じゃ。木剣で鎧の上から撲殺。頭蓋が兜を貫通してな。それはそれは酷い光景じゃった」
「ガキどもには聞かせたくねぇ話だな」
「殺された相手の男も入団したての女子を襲うような屑だったがの……まぁ、実力は相当なものじゃ。あやつがもし現役だったならば、お前も14で闘技大会優勝などできんかったかもしれんな」
「それほどのもんかねぇ。ま、戦える奴は何人いてもいいけどさ。暴れたりしねぇよな」
「静かな男じゃ。それは大丈夫。お前とは違うわ」
「はっ、言うぜじじい」
道を行く。空は蒼く、草木は青く、神の世界を彼らは行く。
大きな岩山が遠目に見える。日の光が山の斜面を照らしている。
明るく照らされた岩を、見る。見上げる。
「いやぁ……ワシ今年で72になるんじゃけどなぁ。こんな光景見られるとは想像もしてなかったわ」
「世界は広い、か」
岩の中に街があった。
太陽に照らされた岩に、小さな道がある。その道を、緑色の肌をした者たちが行きかっている。
距離が遠く、表情までは見えないが、彼らはどこか、不思議な力強さを持っていて。
人とは違う、自分の力で生きてる者たち。岩の中と言う外から見れば過酷な環境で生きる者たち。
アルクァードたちはそれを、見ていた。
「強いんでしょうねあそこにいる人たち皆……ふふっ、どんな血の色を……ふふふ……」
「人っていうかオーク……リィナリア姫様?」
「あ、いえ、すみませんユーフォリア。お水をお返しします」
「は、はい……」
思わず漏れた、人の姫の心の内。神の国に、彼女は興味津々なのだ。
方向性はどうであれ。興味があるから、彼女はここにいるのだ。
世界が、開く。見たことも無いような光景が、そこにある。
アルクァードは自分のすさんだ心が、止まった心が、少しだけ動いたのを感じた。
遠くで少女と少年が手を振っている。銀色の髪をした女が立っている。
「アルクたち遅い」
「み、ミラちゃん、そんなに待ってないだろ。責めちゃ駄目だってもう」
少女ミラがアルクァードに向かって言葉を投げる。少年リオンが焦りながら口調をたしなめる。
10いくつかの少女と少年。親を失った二人はいつの間にか兄妹のようになっていて。
思わず笑みがこぼれるアルクァード。それをみて口角をあげるダナン。
「わりぃな、水汲みに手間取ってな。メナス、町に入れるのか?」
「メナス、門前払いされた」
「み、ミラちゃん!」
「ああ? どういうことだ?」
ばつが悪そうに顔を背けるメナス。アルクァードとダナンに遅れること少し、天馬アガトに跨った女性二人と、護衛のラギルダがアルクァードたちに追いついた。
全員で、メナスを見る。
「どうしたのアルク」
馬上からユーフォリアが問いかける。
「どうしたのかって……おいメナス。何とか言え。オークの集落に知り合いがいるんじゃねぇのか? なんだ門前払いって。知り合いどころか中に入れなかったってことか? 食糧ももうねぇんだぞどうするんだおい」
「ち、違うのよ。うん。落ち着いて、ききなさい。いいわね?」
「聞いてるよ七神の長様よ。どういうことだ?」
「え、えーっとね……違うのよ。違う」
何とも言えない空気に、自然と黙る皆。メナスに注がれた視線は、揺らぐことなく彼女を見ていて。
人は、他の種族よりもずっと縛られて生きてきた種族である。その忍耐力は、比類なく。
彼らは、一切眼を反らすことはない。
「だ、だってさ! 入れないとは思わないじゃない!? 私、七神の長よ!? 2000もの年を長として生きてきた神よ!? そりゃ神格なくしてるけどさぁ! なんで誰も私を私だと思わないわけ!? 何も変わってないじゃんねぇ!? ねぇアルク!?」
「しらねぇよこっちにいた時のお前会ったことねぇんだから。まぁ強いて言えば最初に会った時はもうちょっとしっかりしてた気がするけどよ」
「素はこっちなの! 表面ばっか見てるんじゃない! もっと内側を見なさい内側を!」
「俺に言うなよ」
「何でよもう! どーするのこれ! 私の部屋に食料ちょっとはあるけど、さすがにこの人数だと無理よ! あーーー!」
慌て暴れるメナスを、皆は冷たい目で見ていた。少年少女すら、彼女を冷ややかな眼で見ていた。
溜息をつくアルクァード。髭を擦り困った風に空を見上げるダナン。居心地が悪そうに周囲を見回すリィナリア王女。
彼らはしばらくそのままそこに立ち尽くした後、ふとユーフォリアが口を開いた。
「……あの、メナス様、思ったんですけど、いいです?」
「何よ聖女様……」
「聖女じゃないんですけどもう……えと、思うんですけど、私、オーク種の顔皆同じに見えるんですよね。向こうは、私たちの顔の違い、わかるんですかね……」
「……と、いうと?」
「布の服に、皮のハーフパンツ。メナス様きっと、普段っていうか、昔? ここにいたときはこんな格好じゃないですよね。もしかしてそれで、わかんなかったんじゃないですか?」
「え?」
「とりあえず、神の国でのいつもの恰好、してみません?」
「いつもの恰好って……鎧甲冑着ろってこと? あれ重いのよね。神格無くして力弱くなったし余計にぃ……」
「メナス様」
「……着てきます」
メナスは小さく息を吐いて、歩き出した。彼女の行く方向に壁のような岩があった。
岩に手を突くメナス。瞬間、彼女の眼の前に鉄の扉が現れる。
鉄の扉を開き、もう一度息を吐くメナス。彼女の姿は、扉の中に消えていった。
そして待つこと、少し。
鉄の扉から、メナスが現れた。手と足と、胸と腰と頭。真っ白の鎧を彼女は身に着けていた。
その姿、先ほどまでのメナスとは違う。七神の長、神の剣メナスがそこにいた。
鉄の扉を消し、腰を伸ばして歩いてくるメナス。その立ち振る舞いは優雅で雄大。まさに神の長。
「数年ぶりに着たわ……形だけミスリルで整えた鎧で紋章とか適当なやつなんだけど……」
「よし、行くぜメナス様。今度こそ頼むぞ」
「もっと軽く作っとけばよかった……これで入れなかったら泣きそう……はぁ」
彼らは進む。オークの集落へ。
――巨大な岩の入口が、見えてきた。




