第20話 神々のディストピア
その存在は、もはや、許されない。
片足を失い、地面に這う女神。もう、優雅さは微塵もない。
銀髪を振り乱し、零れる赤い血と水に濡れるその肢体。輝きの中に生きていた彼女の姿は、もうどこにもない。
歯を食いしばり、必死の形相で見上げるその先に立つ二神の男。どこか憂いを帯びた顔で彼らは彼女を見る。
「ありえない」
絞り出すように言葉を口にした神が一柱アルトス。瞬きを一つもせず、彼は倒れるアルカディナと彼女が持つ大槍を見る。
「メナス様の神器は、9階位まで解放されていた。不滅は超えている。それが、壊された」
アルトスの横顔を、もう一方の神であるファルギスが覗く。
暫く固まった後、ハッとした顔をするファルギス。
「……おい、それって」
「ああそうだファルギス……アルカディナの神器は、上位に至った神器を壊せる神器だ」
「なんだと……」
倒れるアルカディナが握る大槍を見るファルギス。その槍に、赤い光が宿っている。
ファルギスはその光を見て、息を飲んだ。
「七つ、七つの10階位の神器が集まれば、世界は一度だけ、世界を作り替える力を与える。七つ、七つだファルギス」
「馬鹿な、神器が壊せるだと。俺たちの、神々の、世界の根幹が揺らぐぞ」
「あってはならない能力だ。存在してはいけない神器だ」
「俺たちは七つ集めるために戦い続けてるんだぞ。それが、自らの意志で好きに壊せる? そんな、そんなこと……」
「10階位の神器が一つでも壊されれば、俺たちの万年の積み重ねが壊れる。完全開放された神器は、この世界に七つ以上、存在できないのだから」
「アルトス……どうする」
「アルカディナを殺しても、この神器は消えない……むしろ殺したことで、神器の力が抑えきれなくなるかもしれん。全能神の神器のように。方法は、一つだ。中央で、軍神様と共に」
「眠らせるか? 永遠に」
「ああ」
手を伸ばすアルトス。その白い細腕を、ゆっくりとアルカディナの身体に伸ばす。
アルカディナはその手を見る。片足が無い。大技を使った反動からか、身体も動かない。
抵抗はできない。言葉を口にすることもできない。
「あ、っ、う……ぐっ……」
口から洩れる息で、声帯を震わすことしかできない。
「メナス様……そうだメナス様を拾わねぇと。おいアルトス」
アルトスの伸びた手が、ピタリと止まる。
「ファルギス……神器を失った神は、神格が一気に抜ける。神徒とかの神器が壊れた様、見たことないのか?」
「一気に歳喰って干物みてぇになっちまって死んじまう、あれか?」
「……メナス様は七神の長だ。見目麗しき女神のまま、この湖の底で眠っててもらいたい」
「アルトスはメナス様大好きだもんな……わかったよ」
「思慕ではない。憧れだ」
「どうだかな……銀髪の娘を見る眼が違うんだよなお前はさぁ」
「うるさ」
その時だった。アルトスの眼に、それが飛び込んできた。
振り返り、巨漢のファルギスを見上げるように視線を上に向けたアルトスが、固まった。眼が震えている。顔が強張っている。
振り返るファルギス。
「ああ?」
彼らは見た。彼らの背にいたそれを。
それは、銀髪だった。
それは、赤い瞳だった。
それは――――少女だった。
「ぅぅああ!?」
身をよじり、声を絞り出すアルカディナ。その声が、危機を伝えるその声が、皮肉なことに、固まっていたアルトスとファルギスを動かした。
「……人の、子供?」
「どこから来たんだぁ?」
少女の視線が動く。男たちの間に倒れる、女神の顔を見る。
言葉が、口から洩れる。
「母様……どうしたんですか……?」
震える。
アルカディナが震える。
アルトスとファルギスが震える。
身体の芯から、震える。
「アルカディナの!?」
「子供!?」
アルトスとファルギスの声は重なって。大きな声となって周囲に響き渡った。びくりと反応する少女。アルカディナの大槍が地面を擦る。
「アルトス! 神格を調べろ!」
「もうやってる! 馬鹿な! 神種だ! 間違いないこの子供神格がある! 生後3年程! 未成熟!」
「んだと!?」
大きな声を出す二神。歯を食いしばり地面を睨むアルカディナ。
困惑する少女。
「あ、あ……」
「相手は誰だ!? ほかに神がこの島にいたのかよアルトス!?」
「いない! ここ四年いなかったはずだ!」
「だったら!?」
アルトスは、銀髪を振り乱し片足でもがくアルカディナの姿を見る。そして思考を巡らせた。
情報を頭に入れ、整理していく。
「人……人の島。そうだ、メナス様とさっき話していた。アルカディナは、人を愛したと。彼以上の……男だ。人の男を愛した」
「お、おい、まさか、アルトス」
「人との間に、子を作ったのか……?」
それは、絶望だった。
それは、夢の終わりだった。
それは、世界の終わりだった。
アルカディナが、声を絞り出した。
「ま……まぁ……マリナぁ……! 逃げな……さい……! 町に、にげ……」
「母様! どうしたんですか!? 光って、大きな音がして、母様!?」
「あああああああ!」
ずぶりと、アルカディナの血が切断された足から溢れ出した。
駆け寄ろうとする少女マリナ。少女の身体を止めるは二本の腕。
アルトスとファルギスの腕。
「あ、だ、誰ですか……?」
「……人との間に、子が生まれるだと? ありえるのかよアルトス」
「実際目の前にいるんだ。ありえたんだろう。エルフとオーク、オークと獣人、獣人とエルフ、それぞれと、神。どんなに愛し合ったとしても、別の種族の間に子は産まれない。これは、周知の事実だ」
「人との間には生まれる?」
「……しかもだ。子を産んだのに神格が落ちてる気配がない。子を産んだ後で9階位まで解放し、メナス様を倒した」
「……知らねぇぞ。俺、学校出てるんだけどさ」
「当たり前だ。私が知らないんだ。どんな学術書にも載っていないこと……待て、人を保護する理由、まさか、これか?」
二人の考察を邪魔するかのように、彼らの背で大槍が地面を叩いた。
彼らは振り返る。そして彼らは見た。大槍を杖に、必死に立ち上がろうとする片足のアルカディナを。
血が地面を染めている。少女が男たちの腕を押しのけようと手を前に出す。
「どうする。この子供」
その言葉にアルカディナの顔は凍った。
「マリ、ナぁ! 逃げ! なさい!」
「母様……!」
「アガト! アガトぉぉ! あがとぉぉぉ!」
アルカディナは自らの天馬の名を叫ぶ。その声は、届かない。
どうする?
彼らはどうする?
彼らはこの事実を知って、少女をどうする?
「殺すべきだ」
ころすべきだ
「アルトスぅ! ファルギスぅ! てを、手を出すな! その子に手を出すなぁ!」
叫ぶ。血を吐きだしながら。大槍を握りしめながら。足から血を流しながら。
その声は、届かない。
「親と子、神器の能力は、似通る。覚醒すればこの少女の神器もきっと、アルカディナと同じような能力を得る」
「不滅を滅する能力」
「ああ……だから、今のうちに殺すべきだ」
「……しゃあねぇな。わりぃなガキ。ま、運が悪かったと思えや」
斧を取り出すファルギス。
「やめろぉ!」
叫ぶアルカディナ。
声は――――
「マリナァァァ!」
その声に、足を一歩だけ、後ろに出す、少女。
――届い
「じゃあな」
――――た
「ああああああああ!」
叫び。
世界を震わせる叫び。
絶叫。
いのちに対する絶叫。
「――――母様?」
最期の言葉。
『最期』の言葉。
戦斧。
ファルギスの神器。片手で持つ斧。
その先端には、鋭い針状の突起物がついている。
相手の剣をからめとり、破壊するための突起物だ。
先が鋭くとがっている。長さは持ち手の半分ほど。
胸を
貫くには
十分な
長さ
「どうして! どうして! 何が悪いの!? 生きることがそんなに! そんなに! そんなにぃ!」
血が少女の口から流れ出る。
少女の心臓を刺し貫いたファルギスの斧の先端が、少女の身体から引き抜かれる。
血が漏れる。
血が漏れる。
命が漏れる。
「首飛ばすか?」
「十分だ。神種とは言え、子供だ。心臓を潰されれば死ぬさ」
「そっか」
マリナの身体が地面に落ちる。
最初から全て。きっと、その道を選んだ瞬間から、道が途切れることは決まっていたのだろう。
全ては、前にしか進まない。その道は、振り返り、戻ることはできるない。
気づいているのだろうか。
人は神々によって管理されている。
神々は自らを管理者だと思っている。
しかし
しかしながら実際は
神は
「……しかし残酷だなぁ俺たち」
「我々は世界の管理をしなければならない。残酷なことでも、拒否などできないのさ」
神こそが世界の奴隷である。
夢は、終わった。
全ては終わった。
少女の瞳が赤く染まっている。
何が起こったのか理解することもできず。何故死んだのか知ることもできず。
少女の命が終わった。
終わった。
生が終わった。
「神器、解放」
楽しい楽しい夢が終わった。
「第」
夢が覚めれば、待っているのは現実の世界。
帰りたくない、現実の世界。
「10階」
さぁ
壊そう
「『神々のディストピア』」
世界を
壊して
しまおう
「む? なんだ?」
世界の 管理者は お前たちではない。
世界の終わりを。
ここに。
「アルトス離れろ!」
「なんだと!?」
――瞬間、世界が、壊れた。




