第18話 断罪の女神
銀色の髪と赤い瞳
互いに同じモノを持っていたから、二人は互いを何よりも誰よりも信頼していた。
彼女たちは親しき友であった。
剣が薙ぎ払われる。
彼女達の片方が、大槍ごと吹き飛ぶ。
「くっ」
吹っ飛んだ銀髪の女神は、大槍を地面に突き立て地を削り衝撃を地面に逃がした。しばらくそのまま地面を滑り、少し離れた場所で彼女は止まった。
互いに顔をあげる。赤い瞳を交わす。
「アルカディナ」
「メナス」
互いの名を呼ぶ。その口調は静かで。しかしながらどこか、激しくて。
白き鎧のメナスの瞳が、地面に飛び散る赤い水たまりの方を向いた。
「……ラナジード、さすがのお前も、アルカディナの槍を喰らえばそうなるか」
残念そうに、メナスは顔を曇らせてそうつぶやいた。そして彼女は、怒りの籠った非難の眼を横にいた大きな身体の男に向ける。
睨むメナス。息を飲む男。
「ファルギス。私は何といった? 何故お前たちは私の言葉を軽んじる? そんなに、私を怒らせたいのか?」
「あ、い、いや! 違うんすメナス様! 俺たちは戦う気など! 戦う気など無かったんです!」
「ほぅ?」
「アルカディナが急に攻撃を! 誓って俺たちは戦うつもりなど! 我々は軍神の子! 我々の力は」
「ファルギス」
「我らが願いのため以外に」
「ファルギス!」
「うっ……!」
メナスの声は、美しき彼女には似つかわしくない程の大きな声だった。
周辺の空気を震わせ、ファルギスの鼓膜を震わせ、彼の言葉を止める。
「人の……集落を、消したな?」
「そ、それは……いや……」
「何故あんなことをした。私は言ったぞ。人にはかかわるなと」
「それは……あの……い、いやラナジードのやつが、聞いた方が早いと……」
「それで、お前はやつに乗ったのか?」
「さすがに俺は、こんな図体ですから、警戒されるだろうし、口はうまくありませんから、その、ラナジードに全てまかせて……」
「アルトス」
「はい」
メナスの呼びかけに答えた男は、黒い髪に赤い瞳の細身の男。従者のようにメナスの影を踏まず、執事のように静かに丁寧に彼女の背につく男。
細い目の中心に、赤い瞳が輝く。
「本当のことですね。ラナジードが言い出した様です。ただ、人の町を完全に壊したのはファルギスの提案です」
「アルトス! 貴様俺の心を! この野郎!」
「……やはりか」
「メナス様! ち、違……く、くそっ……」
「七神も随分と、汚れたものだな……」
もう何も言えないのか、黙り込むファルギス。そして静かに、赤い血だまりを見るメナス。
仲間だった血だまり。肩を並べて戦場を駆けた部下の血だまり。
メナスは少しだけ、悲しそうな顔を見せる。それは、仲間として生きた者に対しての、情というものか。
「それに、そんな顔を向ける価値なんかない」
鎮魂の想いを、真っ直ぐに斬り裂くは一人の女の声。メナスと同じ、銀髪の女の声。
メナスは顔をあげ、大槍を片手に立っているその女の顔を見て、彼女の名を口にした。
「アルカディナ」
軍神の子。それは本当の意味での『子』ではない。
『軍神の子』は称号である。それは神の国、軍神の国において最も強き神に与えられる称号である。
即ち、軍神の子同士は兄弟姉妹であるというわけではないのだ。
『軍神の子』メナス。『軍神の子』アルカディナ。
彼女たちに、血のつながりはない。
しかし、彼女たちは互いに同じ髪の色。同じ瞳の色。顔立ちもどこか、似通っている。
「四年。四年だぞアルカディナ。少し長居し過ぎじゃないのか? なぁアルカディナ。そんなに人の国は、居心地がよかったのか?」
「居心地……居心地で言うなら、向こうの方がいいわ。食事もおいしいし、家も大きいし」
二人は、歳の差は5つ。人であればそれほどでもないが、数千年数万の年を生きる神種にとって、5つしか年が離れていないと言うのは奇跡的なことである。
神種にとって同年代など、めったにあることではなく。
「魔神の軍勢が最近活発なんだ。お前の力が欲しいんだ。そろそろ、帰らないか?」
だから、メナスにとって、アルカディナは本当の妹のような存在だった。
七神の長としての厳しい顔ではなく、家族に向ける優しい顔を、メナスはアルカディナに向けて。
――そんな顔に、もう意味などない。
アルカディナは槍を両手で握り、一歩前に出た。
「アルカディナ……駄目だ。待て。落ち着くんだ。ラナジードは死んだ。何があったかはわからないが、それで終わりにしてくれないか?」
「終わり?」
「何があったかはわからないが、何かあって、ラナジードとファルギスがお前を怒らせたんだろう? ラナジードは死んだ。ファルギスは、私が責任をもって処罰しよう。それで、終わりにしてくれ」
「お、わ、り?」
「ああ、終わりだ。終わりにしよう。私たちが、争うことなどあってはいけない。なぁアルカディナ……わかってくれるな?」
「メナス」
「ああ」
「ふざけるな」
「アルカディナ?」
二人の歩みは、いつから別の方向を見るようになったのか。
二人はどこで道を違えたのか。
アルカディナが、ゆっくりと、ゆっくりとメナスに近づいた。
「自分勝手に、やってきて、自分勝手に、喋って、自分勝手に、踏みにじって」
引きずられたアルカディナの大槍がガリガリと地面を削る。
「メナスは、誰かが欲しいって思ったことある?」
メナスの眼前に、アルカディナの顔が迫る。
メナスの顔が強張る。
「どういう、ことだアルカディナ」
「私たちは、定められた命を持たない者達。殺されない限りは死ぬことはない存在」
メナスの白い額に、アルカディナの白い額が触れる。
「彼は違った。彼は、死が定められた、存在だった」
「アルカ……ディナ」
「殺されそうなとき、彼は、前に出た。殺されるかもしれないのに彼は、前に出た。雄叫びをあげて、槍を掲げて、前に出た。殺されるのに、敵に向かって彼は前に出た」
「……まさか、お前」
「最初はただのやけくそだと思った。実際、彼自身もそうだっと思う。けど、けど私は何故か、胸が熱くなった。焼けそうなぐらいに、熱く」
アルカディナの眼が、見開かれる。大きな赤い瞳が、メナスの眼前に広がっていく。
「子供が生まれるのを見た。人の子供。赤ん坊は母親の胎内から、生きようと前に向かっていた。私の手の中に、出てこようと、必死に、必死に前に出ていた。私は、その時思った」
――『生きる』と
「『生きる』と、『生きている』は全くの別物なのだと」
「アルカディナ……待て……」
「私たちは、生きている存在。生きているだけの存在。私たちは、自分で生きるということを選べない存在」
「人を、人に……その気持ちは……」
「彼らは、生きることを選べる存在。彼らは、生きるために前に出る存在。彼らは、縛ることができない存在。私はそんな彼らを、彼を」
メナスは気づく。アルカディナの心を。アルカディナの想いを。
その瞬間に、メナスは絶望する。
「羨ましいと思った。だから、彼が欲しいと思った。私は、彼から全てを奪った」
メナスは思う。目の前にいるアルカディナは、もう嘗ての彼女ではないのだと。
禁忌。神が絶対に抱いてはいけない感情。
人に関わってはいけない。神の決まりごと。古からの決まりごと。それを、蔑ろにすることは、罪。
大罪。
「人を、愛したのかアルカディナ」
メナスは気づいた。
目の前にいるアルカディナは、最大の禁忌を破った咎人になってしまったのだ。
「ラナジードとファルギスは彼を殺した。許さない。許すことなどできない」
静かに、怒りを告げるアルカディナ。彼女の眼に、うっすらを涙が浮かんでいる。
過去の、悦びながら敵を切り刻み血を啜っていたアルカディナの姿など、もうどこにもなく。
「メナス。邪魔をすれば、あなたでも殺す」
そこにいるのは、誰かのために、ただ怒りに震える女であって。
「待て、待つんだアルカディナ」
もはや言葉ごときでは、止められない。だがそれでも、説得せざるを得ない。
メナスにとってアルカディナは姉妹のように生きてきた、大切な家族のようなものなのだから。
「……聞かなかったことにしてやる。帰ろう。全て忘れて帰ろう。人と神は愛し合うことなどできないんだ。お前がいくら好いても、相手はお前よりも必ず先に死ぬ。お前を置いていく。殺されたのは……それが、それが早まっただけ。なかったことにするんだ。アルカディナ。アルカディナ!」
「できない」
「アルカ……ディナっ……!」
「できるわけが……ない! できるかそんなこと! メナス! どきなさい!」
「くそっ……くそっ……くそっ!」
――その剣は、七色の光の刃を持って。
『神の剣』メナスは、剣を抜いた。その剣は、太陽の光を受けて七色に輝いていた。
一歩大きく下がるメナス。剣を片手に、真っ白な鎧に真っ赤なマントを生やす。
「来いセレイア!」
メナスの背に、白い天馬が現れる。メナスはそれに飛び乗って、手綱を左手に握りしめた。
「アガトぉぉぉぉ!」
地鳴りをあげ、巨大な天馬が降りたつ、舞い上がる土埃。その巨大な背にアルカディナを乗せる。
「アルカディナ! 七神の長の名の下にお前を裁く!」
「メナス! あなたを倒して私は彼の仇を取る!」
その夢幻は、いつか『終わり』を迎える。
『生』を知った女神アルカディナ。『世界』に捕らわれるメナス。
世界で最も力のある二つの神。
彼女たちは天馬に乗って、空に舞う。白き翼が、青い空に吸い込まれていく。
空の上で、何度も語り合った彼女達。他愛のない話から、未来への希望まで、ありとあらゆる言葉を交わした彼女達。
「メナスぅぅぅぅ!」
「アルカディナぁぁぁ!」
空の上で、金属のぶつかる甲高い音が鳴り響いた。




