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神々のディストピア  作者: カブヤン
神の国篇 第一章 赤錆の女神
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第17話 激突

 その痛みを、身体が覚えている。


 その苦しみを、身体が覚えている。


 その喜びを、身体が覚えている。


 幾多の時を重ねて、幾多の命を奪って、幾多の血を流して


 無限の死の果てに行きついたのは夢幻の今。


 夢のような今を。夢のような現実を。


 巨大な白き天馬が空を見上げる。少女の髪を撫でる手を止める。


「マリナ、聞きなさい」


「母様?」


「神種は永遠を生きる種族。いつか必ず、あなたは親しい者たちとの別れを経験する」


「何ですか急に」


「聞きなさい」


「は、はい!」


 少女とその母。彼女たちの赤い瞳が互いの顔を映し出す。


「あなたの父は人で、生きて100年。私も神格を失えば千の春を数える頃には死ぬ」


「死ぬとどうなるんですか?」


「……そっか。まだ3つだものねあなた。そうね……死ぬとね動かなくなってね。消えてしまってね。もう二度と会えなくなるのよ」


「そんなの嫌です母様」


「そうね、私も嫌よ。でも、いつか必ず、あなたはそれに向き合うことになる。私もそうだった。あなたの父もそうだった。私たちの歩みの後ろには、たくさんの命が続いている」


「命……」


 天馬が立ち上がる。母の、アルカディナの赤い瞳が空を見る。


「無限に生きる神種だからこそ、自分が歩く道にあるたくさんの命を、感じなさい」


「は、はい……よくわかりません」


「生きたいという気持ちを常に持ちなさい。死は不平等であっても、生は等しく全ての命に与えられるもの。例え、どんな願いが叶うとしても、それだけは、それだけは変えてはいけない」


「難しくてわかりません、母様」


「理解しなくてもいいわ。私は教えたいわけじゃない。理解はいつか、できるんだから」


「母様?」


「家に入っていなさい。これから私はお客様をお迎えしなきゃいけない。いい? 何があっても、外へ出ないようにね」


「は、い母様……」


 『生きること』を教えてくれたこの夢を、どこまでもどこまでも見続けていたい。


 家の扉に駆ける我が子の背が、ただただ愛おしく、愛おしく、いとおしく


 椅子から腰を浮かす。銀色の髪をかき上げる。身に着けていた白い前掛けを外して椅子に掛ける。


 スカートの裾を破り、木靴を脱ぎ捨てる。


 家の前に立て掛けていた、農具を押しのけその中から金色に銀色に輝く巨大な塊を取り出す。


 塊の上には短い持ち手がついていて、アルカディナはそれを握りしめ頭の上に掲げる。


 そしてそれを振り下ろす。ガシャリと音が鳴って、短い持ち手は一気に長い柄になって。


 ――――大槍の穂先から血が溢れた。


「話なら向こうで聴くわ。着いてきなさい」


 一瞥もせず、歩き出したアルカディナ。どこから現れたのかその背を二つの陰が追いかける。


 大槍から溢れた血が、アルカディナの足に纏わりつく。血が彼女の大腿部まで登る。その血は服を濡らし、彼女の首元まで上がってくる。


 いつの間にか、アルカディナは真っ赤な鎧姿になっていた。


 湖の畔で、彼女の足は止まった。


「アルカディナ。我々は連れ戻せとだけ言われてます」


 彼女の背に、美しき顔をした男が甘い言葉で語り掛ける。


「ラナジード久しぶりね。相変わらず気持ち悪い声ねあなた」


「厳しいですね」


 振り返ることなく、赤錆の鎧を着たアルカディナはラナジードの甘い言葉を叩き斬る。


「槍を納めてくれないかアルカディナ。我々は戦いに来たのではないのだ」


 彼女の背に、筋骨隆々の男が太い声で話しかける。


「ファルギス。あなた本当に汗臭いわね。この距離でも匂うわ」


「まいったな、水浴びをしてくるべきだったか」


 はち切れんばかりの筋肉を撫でながら、ファルギスと呼ばれた男は困ったような顔で隣にいるラナジードを見る。


「どうしてここがわかったの。それなりに力は抑えていたはずだけど」


「確かに。メナス様の探知の法術でもほとんど場所は絞り込めませんでしたよ。ですが、お忘れですか? 私の神器は」


「そうか……ラナジード。あなたの神器の力は過去を覗き見る。僅かに残った私の力の跡を、辿ったのね」


「ええ。まぁ、『僅か』ではなかったですがね」


「どういうこと?」


「ふふ、運がよかったのです。あなたの痕跡が少しでもあればいいと思ったのですがねぇ……ねぇファルギス」


「ああ、まさか下等な人を使徒にするとはな。あれに会わなければ、数年単位で探索に時間を要していただろうな」


「使徒……?」


 その言葉に、アルカディナの頭に二人の人物が思い浮かんだ。彼女は振り返った。真っ赤な瞳が爛々と輝いている。


「しかし強かったなあの男。私の神器解放を受けて平然としていた。普通のモノならば、解放の圧で動けなくなるはずなのにな……」


「ラナジード、危うくお前は縊り殺されるところだったのだぞ。お前の神器は戦闘向けではないのだ」


「全くだ」


 顔を見合い、笑い合うラナジードとファルギス。アルカディナの顔が陰る。


「彼に会ったの?」


「はい。町で情報収集をしているときにばったりと」


「彼をどうしたの?」


「殺しました」


「どうやって?」


「心臓を貫いて。強いと言っても素手。ファルギスと私が武器を持てば、容易いものです」


「あいつは強かった。時間をかけ過ぎたせいで、我々のことが町の人に知られてしまった程だ。さすがはアルカディナの使徒。戦姫と呼ばれたモノが作る使徒は、まさに戦の雄だった」


「町の人はどうしたの?」


「全て殺した。俺の神器は広範囲を一挙に爆砕する。瓦礫すら残さんよ」


「ははは、メナス様怒るぞファルギス」


「バレるわけがないだろう。ははは」


 顔を見合って、眼を見合って、互いに微笑み合うラナジードとファルギス。


 先端を地面に置いていた大槍が、ほんの少しだけ持ち上がる。


「彼を殺したのはどっち? 彼の心臓を貫いたのはどっち?」


「私ですアルカディ――――」


 アルカディナがその言葉を、言い終わらすわけがなかった。


 瞬きよりも速く。光よりも速く。


 一瞬よりも一瞬で。


 ラナジードが言葉を言い終わるよりも速く、一瞬の間に振り下ろされたアルカディナの大槍は、ラナジードの美しい顔を果実のように砕いて。


 血が飛び散る。ファルギスが固まる。


 頭を失ったラナジードの身体がびくりと跳ねる。アルカディナの大槍はラナジードの頭を砕き、胴体に深々と食い込んでいる。


 赤い血が、アルカディナの槍に集まる。


「血はいらない」


 そして、ラナジードの身体は四散した。彼の身体の中で、彼の血が暴れたのだ。


 アルカディナの大槍の能力。彼女の神器の力は、血。


 生きるための、血。


「馬鹿な!? ラナジード!?」


 大きく跳び退くファルギス。彼の身体は、ラナジードの血で真っ赤に染まっていて。


「馬鹿な! 何をしているんだアルカディナ! ラナジードは軍神の子の称号を得た七神が一神! 魔神との戦いに勝つためには必要な男だぞ!」


「必要な、男」


 アルカディナは大槍を振った。槍に付着していた赤い血が地面に飛び散った。


「私にとって、必要な男は、彼だけよ」


 槍を構えるアルカディナ。その姿は冷静で、しかしながら、燃え上がるように熱くて。


「狂ったかアルカディナ……! なんてことだっ……! 人の国が、我らが仲間を狂わせたと言うのか……!」


 ファルギスは、腰から一本の棒を取り出した。太い、太い棒。両手でその棒を握ると、ファルギスの手の中で棒に刃が生えて、斧に変わった。


 片手斧。それがファルギスの神器の形。


「ファルギス? 何で汗をかいているの? 何で震えてるの?」


「くっ……」


「ふぁるぎぃす? ねぇどうしたのぉ?」


 一歩、アルカディナが足を前に出す。


「ぬっ!」


 更に大きく跳び退くファルギス。額に汗を流し、斧を握る手を震わせながら。


「あ、当たれば血を逆流させられて即死っ……あの槍の、力は……一撃必殺……! 相性が悪すぎる……っ」


「……情けない」


 溜息をつき、槍を構え怯えるファルギスを横目に遠くを見るアルカディナ。その顔は、静かで。


「死んだ……私のせいねアルク……私が好きなモノは、私の前からみんないなくなるのね……」


 アルカディナは大槍を構えた。身体をゆっくりと沈める。


「ファルギス。仲間として生きてきたせめてもの……一撃で殺してあげる」


「ぐっ! 何故だアルカディナ!」


「わからないのなら考えなさい。自分で理解できるようになりなさい。まぁ、死んでも理解できないだろうけどね」


「く、来るっ!?」


 触れれば死。まさに必殺。戦場の華アルカディナ。


 アルカディナは足に力を籠め、そして跳んだ。


 真っ直ぐに前に飛んだ。斧を構えるファルギスの方へと飛んだ。


 ファルギスの眼には、その動きはほとんど見えなかった。


 距離が一気に縮まる。轟音を鳴り響かせアルカディナの槍が振り下ろされる。


 悪寒がファルギスの全身を貫く。


 そして


 そして――――


「ぬあああ!?」


「……っ」


 彼女の槍は、ファルギスの頭の上、寸前のところで


「メナス――――」


 白銀の鎧を着た、メナスの剣に止められていた。

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