第13話 時を歩く
ある村に、青い髪の少女がいた。
少女の傍には、いつも笑顔の少年がいた。
どこにいくにも二人は一緒だった。遊ぶ時も、食事をする時も、勉強をする時も。彼らの両親が互いに仲が良かったこともあって、常に二人は一緒だった。
手を伸ばせば、お互いの手を取りあうことができる。それは当たり前で、当然で。
生まれた年が同じで、物心ついた時には一緒にいて。
だから少女は当然のように、少年と死ぬ時も一緒にいるものだと、思っていた。
「アルク」
窓から風が差し込む。白いカーテンが、風にあおられて舞う。
青い髪の少女は、青い髪の女は、ずっと一緒にいるはずの少年の部屋に一人、立っている。
部屋には一本の、槍があった。
一本の槍だけがあった。
その槍は柄から穂先まで銀色をしていて、磨き上げられたそれは鏡のように透き通っていて。
日の差し込む部屋に置かれたそれは、ただただ、美しく。ただただ、美しく。
彼女を守ると誓って創ったその槍は――振って来たその槍は――そこに残されていた。
風が吹き込む。日の光が槍を輝かせる。
少女は理解していた。その光景を見た瞬間から、理解していた。
もう彼は私と一緒にいてくれない。
彼女の眼から止めどなく溢れる涙は白い聖衣を濡らして、汚して、穢して。
「聖女じゃなければ、聖女にならなければ、私とずっといてくれたかな……」
そして
そして時は流れる。
――数日後。
「ユーフォリア様! 私はカリーナ・エリンと申します! 今日からあなた様の護衛騎士となります! よろしくお願いいたします!」
「若いのね……あなたいくつ?」
「14です!」
「そう、いろいろ覚えること多いと思うけど、頑張ってね」
「はい!」
彼の居場所がなくなった。
――1年後。
「ねぇカリーナ。私の部屋にあった銀の槍。どうしたの?」
「え? 台が壊れて欠けちゃったんで、騎士長様が処分を……だ、大事な物でしたか!? すぐにゴミ捨て場から取ってきます」
「そう……ううん、いいわ……ありがとう……いつか、捨てなきゃって思ってたから……」
彼のいた証がなくなった。
――2年後。
「ユーフォリア様! 赤鞘に! 赤鞘になりました!」
「ああそういえば今日であなた16ね。おめでとう。これで名実ともに聖女護衛騎士ね」
「はい! ダナン様もいつまでも仮ではということで試験日を早めてくださいました! 感謝です!」
「こんなものしかないけど……あげるわ。私が15になった時、貰った髪飾り」
「そ、そんな! 私なんかに!」
「いいの、古いしね。新しいのはいっぱい、あるから……」
彼が残した物がなくなった。
時は
時は進む。
時は、止まることなく進む。
悲しみは、絶望は、時の流れの中に消えていく。
――3年後。
「ユーフォリア様。騎士団長が引退するらしいですよ」
「ダナン卿もいい歳でしたからね。一つの、時代が終わりましたか。後任は?」
「数日中に決まるらしいですが、まぁ普通にいけば副団長で決まりでしょう。ダナン団長のような力強さはありませんが人望もありますし、何よりも奥様が王族でいらっしゃる。超名門ですよ」
「王妃様の妹ぎみでしたかあの方の奥方」
「ええ」
「ダナン卿の後となると大変でしょうが、頑張って欲しいものですね」
「ですね。あ、お茶おかわりどうですか?」
「いただきます」
彼を知る人が、一人いなくなった。
夢のような、煌びやかな騎士として存在していた彼の姿が、彼の記憶が、一つずつ、一つずつ消えていく。
赤い茶をすすりながら、光のない瞳で空を見る彼女は、まるで止まった時の中にいるかのようで。
――4年後。
あの日から、四年の月日が経った。オーリアの部屋で、一人彼女は書物を読みふける。
書の内容は小説。題名は水の魔女。
海の向こうには常に雨が降る島があると言う。その島には美しい女神が一人で暮らしているという。
女神は一人で暮らすのがあまりにも寂しかったので、時折その島の端に立っては、地平の彼方を進む船を見ていたという。
小さな小さな船。船の中にはたくさんの人。あの船は、一体どこへ行くのだろう。一体どこへ向かっているのだろう。あの人たちは、一体どういう人なのだろう。
妄想にふける毎日。来る日も来る日も船は彼女の島を遠目に進む。雨のやまない彼女の島には、誰も寄り付かない。
ある日のことだ。いつものように船を見ようと島を歩いていた女神は、海岸に一人の男が流れ着いているのを見つけた。
男の傍には木でできた何かの残骸。男は、息も絶え絶えで今にも死にそうだった。
目の前で死にそうな男に、女神は手を差し伸べた。女神の手が触れるや否や男の傷はみるみるうちに癒えていき、死にかけていた男はすぐに息を吹き返した。
喜ぶ女神。何が起こったのか理解できない男。
そして彼女たちは語り合い、惹かれあい、当然のように恋に落ちる。ひとりぼっちのその島は、気が付けばふたりになっていて、さんにんになっていて、よにんになっていて。
いつの間にか、その島の雨は止んでいた。そう、その島の雨は、彼女の涙だったのだ。ひとりぼっちでいることで悲しくて悲しくて泣いていた、彼女の涙だったのだ。
たくさんの家族に囲まれて、たくさんの愛に囲まれて、もう彼女は泣くことはない。もうその島に、涙は流れない。
ぱたりと、ユーフォリアは本を閉じた。
「私の雨は、止むのかな」
今年の降臨祭は誰も来なかった。神は人の世界に来なかった。
降臨祭は中止だ。宴は催されたが、数日で終わりになった。
新しい騎士団長になってから間引きが増えた。明日からまた祈りにいかなければならない。たくさんの人の死体の前で、神のために祈らなければならない。
雨がやまない。
自分が見ているこの窓。月明かりが差し込むこの窓。もしも、この窓の先が、違い世界に繋がってるのだとしたら。
――私は窓を潜るだろうか?
「現実は……落ちて死ぬよね……」
もしもはない。
夢はない。
全ては現実。自分は現実の世界にいる。雨がやまないこの世界にいる。
ユーフォリアは、窓に背を向けた。
――――
――――
――――
――――
窓が開いた。
ガチャリと、音を立てて開いた。
私は振り向いた。
振り向いて窓を見た。
ここは聖堂の上階。窓の外に足場などない。
地面ははるか下。
なのに
なのに『彼』は立っていた。
赤錆た鎧を着て。
大きな大きな槍を背負って。
傷だらけの顔で。
腰に見えるのは、巨大な火砲。
その瞳に、どこか赤らみを感じる。
大きな大きな『彼』は、窓の淵に、立っていた。
止まっていた時が動き出す。凍っていた時が動き出す。
私は、小さな声で、彼の名を呼ぶ。
「アルク」
赤錆の騎士アルクァードが、ゆっくりと、首を縦に振った――――




