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神々のディストピア  作者: カブヤン
神の国篇 第一章 赤錆の女神
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第7話 獣の村

 口に水を含み、空を見上げる。


 海の匂いがする。風の匂いがする。


 赤い鳥だ。遠くに赤い鳥が飛んでいる。渡り鳥だ。


 何故気づかなかったのだろうか。鳥はすでに、自分が生まれた世界の外を見ている。


 眼を閉じる。暖かな日に身体を任せる。柔らかい日差しだ。船の揺れも心地いい。


 思い出すのは


 瞼を閉じて思い出すのは、常にあの空。


 暖かくて、優しくて、気持ちよくて。


 思い出すのは常にあの空。


 あの一か月間常に頭の上にあった空。青い青い、広い広い空。


 できるならば


 できるならば


 できるならば


 神に祈れば願いが叶うという。


 神様の言うとおりにしていれば願いが叶うという。


 神様の言うとおりにしていれば。神様の言うとおりにしていれば。神様の言うとおりにしていれば



 ――取り戻せ

 


 ――――取り戻せ



 ――――――取り戻せ



 ――――――――取り返せ



 瞼を閉じれば、思い出すのは常にあの空。



 ――――



 ――――



「あ、ああ……」


「うう……痛い……痛い……」


「ううう……」


 その村に最初に足を踏み入れた時、彼らを迎え入れたのは唸り声だった。


 そこは農村だ。広い田畑が広がり、その間に家が点々としている。典型的な、農村だ。


「うぐぐ……」


 人がいた。たくさんの人がいた。


 一軒の大きな家の前に、巻き藁が大量に敷かれていて、その上にたくさんの人が横たわっていた。


 見れば、男ばかりだ。皆、怪我をしている。大量の出血が藁を黒く染めている。


 こんな光景、誰が想像などできるものか。


「ぐあ……あああ……!」


 一人の男が、胸を押さえ身体をのけぞらせていた。口からは赤い泡が漏れ、眼は真っ赤に充血していた。


「あれ駄目ね。たぶん肺に穴が開いている」


 冷静なのだろうか。それとも冷酷なのだろうか。女神アルカディナは、のたうち回る男に対して、祈りの言葉ではなく、救いの言葉ではなく、ただ、事実を口にした。 


 それを聞いて、アルクァードが無言でユーフォリアを見る。小さくうなずき、ユーフォリアは男の下へと駆け寄った。


「あああ……だ、だれ……」


「大丈夫。すぐに治します」


 ユーフォリアはその白い手を、血と膿で汚れた男の傷口を覆う布の上に置いた。ずるりと赤黄色い液体が彼女の手を汚す。


「あああああっ!」


「ごめんなさい。少しだけ我慢を」


 痛みに爆ぜる男の身体。ビクビクと足が痙攣している。


 目をつぶり、意識を集中させるユーフォリア。ぼんやりとした白い光が彼女の手から発せられた。


「ああ……あっ……子供が……子供が生まれるんだ……死にたくない……死にたく……」


「大丈夫。大丈夫です。どうか楽に。どうかそのまま」


「ごふっ……が……」


 聖人とは、奇跡を起こす人の事を指す。聖女であるユーフォリアは、奇跡を起こせる人なのだ。


 苦しみで潰れていた男の顔が、ゆっくりと、だんだんと、じわじわと、穏やかな顔に戻っていく。男の身体をユーフォリアの光が抱きしめる。


 ユーフォリアの力は、治癒の力。彼女の法術は、死以外全てを癒し治すことができる。


「どうですか?」


「はぁはぁ……い……痛みが……?」


「まだどこか痛いですか?」


「いや……あ、あれ……?」


 奇跡とは、時に困惑をもたらすものである。


 男はせわしく首を回し、自分の胸を強く抑えた。先ほどまでならば痛みで気絶しかねないそうな行為だろう。だが、男に痛みはなかった。


 上体を起こす男。眼を丸くして、彼はユーフォリアを見た。


「その力……あなたは……一体……」


 ユーフォリアは離れ様子を見ていたアルクァードたちを見た。彼女の眼を見て、アルクァードは彼女の下に近づいた。


 大柄な男が近づいてきたからだろうか。ユーフォリアに治療された男は、その表情を強張らせた。


「我々は巡礼者です。私は東都より来ましたアルクァードと申します。宿を借りたくこの村を訪れました」


「東都の……その方の、力は」


「我々は神殿にて医術を修めています。あなたの傷は見た目ほどひどくはなかったのです」


「そ、そうなのか……てっきり、聖女様の奇跡かと……」


「何があったのですか? 我々にお聞かせいただけませんか?」


「は、はい。えと、でしたら私の家で……妻は今動けませんのでもてなしはできませんが……」


「構いません」


 アルクァードの、なんとも高貴な振る舞いを見せられた男はすぐに警戒を解き、その表情を明るくさせた。騎士団にて学んだ話術は、こういった場合に使えるのだ。


 遠くで周りを見ていたアルカディナに眼で合図して、アルクァードたちは男の家へと向かった。途中、いくつか家を通り過ぎたが、家々にいるのは女と子ともばかりだった。


 巡礼者が珍しいのか、すれ違う人々は彼らの後ろ姿をじっと眼で追いかけていた。


「ここです。さぁどうぞ」


 そして彼らは、一軒の家に到着した。


 促されて家に入る三人。王城でのそれとは違う、質素な家だ。何とも言えない木の匂いが漂っている。


「マール! 帰ったぞ!」


 どたどたと、がたがたと大きな音が家の奥から聞こえてくる。どうやら誰かいるようだ。


 暫く待つと、家の奥から若い女が現れた。大きなお腹を抱えた女だった。


 その姿を見て、駆け寄る男。


「おいおい! 身重だぞ慎重に!」


「ご、ごめん……それよりもレック怪我は!?」


「もうばっちりだ! 旅の巡礼者様が治療してくださったんだ!」


「まぁ……まぁ!」


 手を取り喜ぶ男女。農村の夫婦。その姿に、アルクァードもユーフォリアも思わず頬が緩む。


 ただ女神アルカディナだけは、表情を変えなかった。


「よかったレック……ありがとうございます。本当にありがとうございます」


「いいえ、お気にせずに、私たちはたまたま立ち寄っただけですから」


 微笑みながら優し気に答えるユーフォリア。男の妻は、ユーフォリアたちに対して何度も何度も頭を下げていた。


「どうぞおくつろぎを。ミルクとパンしかありませんが、すぐにお持ちします」


「あ、マール、俺がやるよ。お前は向こうで休んでてくれよ」


「大丈夫よレック。少しは動かないと逆に疲れちゃう」


「そ、そうか? それなら……いいんだけど……あ、すみません。こちらの椅子に。どうぞ」


「はい」


 促されるまま、アルクァードたちは椅子に座った。さりげなく、アルクァードがアルカディナの椅子を引いて座りやすくさせのは騎士の振る舞いを叩き込まれたおかげか。


 三人の前に暖かなミルクの入った木のコップと、パンの入った皿が置かれた。そして男の妻は、大きなお腹を擦りながら頭を下げ、家の奥へと下がっていった。


「へへ……もうすぐ生まれるんですよ子供。本当にありがとうございます。俺、他の奴らよりも深くやられてたから、村長様も諦めていて……」


「いえ、お気になさらずに。それじゃ……この村に何があったのですか?」


「獣です」


「獣?」


「はい」


 男は、ゆっくりと自分たちに起こったことをなぞるかのように話し始めた。


 時は数日前に戻る。彼らの村は、農作物の収穫量が年々減少しており、そのために特例として武器を持っての狩が認められている村である。


 男は、レックはその日、数人の仲間たちと共に火砲を持って山に入っていた。


「俺たちは見ました。足跡です。大きな大きな足跡。ここ数年、俺がこの村に送られて十年以上になりますが、あんな足跡を見たのは初めてです」


「ナズーの獣?」


「大型の獣と言えばナズーになるんでしょうが、あれは違いました。二本、そう二本脚特有の足跡だったのです。大きな大きな二本脚の獣です」


「ガラゴス?」


「だと思いました我々も」


 彼らは手に負えないと判断し、村に帰り男手を集った。狩りは男たちにとっては楽しみの一つでもある。たくさんの男たちが集まった。


 火砲、槍、剣、男たちは誰がその獣を一番先に狩れるかと、声を高らかにして森に入っていった。


「足跡を追って、俺たちは森の奥に入っていきました。進むにつれて木は折れ、食い残しか小動物たちの死骸が増えていきました。俺たちの村は200人足らずの村ですが、集まった村の男たちは50人もいました。皆若く、力自慢ばかりでした」


 50人と言えば、騎士団の5分隊並みの数である。普段農作業で鍛えられた男たちばかりだ。皆負けるはずがないと思っていた。狩れないわけがないと思っていた。


 そして、彼らは出会った。


「失礼ですが、あなた様も相当大きな身体を持っておりますね。都でも大きい方なのではないですか?」


「食べ物がよかったおかげです。それもすべては、農村に住むあなた方の日々があってのこと。感謝しております」


「ありがとうございます巡礼者様。獣は、あなたの三倍は大きかった」


「何だって?」


 思わず普段の口調にあるアルクァード。男は、淡々とその獣に関して話し始めた。その獣が行った虐殺について話し始めた。


 獣は、巨大だった。あまりにも巨大だった。その姿に、村の屈強な男たちは戦慄した。


 必死に、恐怖を押し殺して射かけた火砲は数十発。轟音が鳴り響き、鉛弾は獣に飛び込んだ。


「血は出ていました。ですが、ほとんど効果がなかった」


 獣は凄まじい速度だった。獣が腕を振うと、数人の男たちの上半身が肉塊になった。


「逃げるしかなかった。でも、逃がさないんだな獣は……」


 次々と、次々と男たちが殺されていったという。森は血で染まり、男たちはここへ来るまでに見た小動物の死骸と同じ姿になっていった。次々と、次々と。


「俺の前にいたやつは爪で細切れになりました。爪は鋭く、俺の前には人がいたんです。人の身体があったんです。三人もいたんです。全部貫いて、俺の胸に爪が……うう……恐ろしい……すみません」


 机の上のミルクを口にするレック。一つ二つ、彼は深く息を吐いた。


「倒れたら死ぬ。そう思って俺は必死に倒れないようその場から……俺はこの通り、妻が身重ですので皆が決死で俺を逃がしてくれました。何人死んだんだろう。結局逃げ出せたのは、村長様の家の前で倒れていたやつらだけ……」


「そんなことが……」


 そして男は、静かに下を向いて震えた。よほど怖かったのだろう。思い返す彼の足は、がたがたと床を叩いていた。


 無言でミルクを口に運ぶアルクァード。押し黙るユーフォリア。


「今は」


 ぼそりと、レックは確かめるかのようにアルクァードたちに尋ねた。


「今は降臨祭ですよね。騎士団は、派兵されませんよね……」


「その通り。討伐はしばらく後になりますね」


「くっ……村に降りてきたら終わりだ……何もかも……」


 頭を抱えるレック。アルクァードとユーフォリアは、それを見てただ同情することしかできなかった。


 それほどの獣だ。騎士が一人で何とかなるわけがないだろう。如何に騎士最強のアルクァードとはいえ――


「アルクぅー」


 だがそんなこと、その方にとっては


 女神アルカディナにとっては


「私、獣狩りが見たいなぁー」


 考慮すべきことでは、ないのだ。

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