第4話 満月
町を行く。人々は皆、顔を輝かせてその姿を見る。
涙を流している者がいる。必死に祈る者がいる。地面から頭をあげれない者がいる。
その微笑みは、その姿は、その存在は
正しく、女神だった。
左右を見て、手を振るは銀髪の女神。その視線は優し気で。その視線は神々しくて。
「女神様! どうぞこれをお食べに! 我が国最高級の果実でございます!」
女神アルカディナは、一切の表情を変えなかった。微笑みのまま、女神のまま、彼女は視線を動かし声の主を見る。
彼女を呼んだのは、商人の男だった。降臨祭の日は全ての人が仕事を休める日。普段は露店で物を売る商人の男も、他の人に紛れて酒を飲んでいた。
女神に差し出すために用意していたのだろうか、男は朱塗りの綺麗な小箱を差し出した。箱の中には色鮮やかな果実がいくつもいくつも。
「ありがたく。あなた、受け取りを」
「は、はい……」
ユーフォリアは、その幼さが残る眼を左右に揺らし、上ずった声で返事をした。
「頂戴いたします。ありがとうございます」
「おお……おお……我が家で育てた果実。ようやく主が口へ……幸せにてございます」
うれし涙を流す男。表情を一切変えないアルカディナ。精一杯に微笑みを浮かべるユーフォリア。
先頭で槍を握るアルクァードは、虚ろな表情でそれを見ていた。
結局、同じだ。女神も聖女も、違いなどはない。
そんなにも、こんなにも、心の底から笑うのは難しいものなのだろうか。
槍を肩に押し付け、小さくアルクァードは溜息をついた。
町を行く。人が笑う。人が祈る。人が泣く。
反応は様々なれど、人々は今日と言う日を心から楽しんでいる。神の姿をみれる今日と言う日を、心の底から喜んでいる。
生まれ、育ち、産んで、死んで、生まれて。
笑っていた。
嬉しそうに笑っていた。
楽しんでいた。
おどけて叫んで、楽しんでいた。
今日はいい日だ。人にとっても、誰にとっても、今日はいい日だ。
夢のような、楽しい夢のような、嬉しい夢のような――――
「結局、一口も食わないか……はぁぁ……」
「声が大きい。アルカディナ様起きちゃうでしょ」
夢のような一日はあっという間に終わりを告げた。空には月が輝き、日はとうに落ちている。
夜である。
アルクァードとユーフォリア、肩を並べて王城の一室で外を見る二人。
「すっげぇ美味いぞこれ。ユーフォリア喰ってみろよ」
赤い果実を齧りながら、アルクァードは月を見上げる。
「いいのかなぁ貰っても……」
「いらないって言ってるんだ。貰っとこうぜ。見ろよ。これだけあれば、しばらく遊んで暮らせるぜ」
「遊んでって……うーん気乗りしないなぁ……」
二人の目の前に並ぶは大量の貢物。果実とパン、布に宝石、磨き上げられた武具もある。
小さな果実を口に運んで、ユーフォリアは小さく溜息をついた。
「あ、これおいしい」
「だろ。うまいもんはうまい。誰が作ったかなんか関係あるかよ」
「うん……はぁ」
二人の顔は陰っていた。月は満月であったが、月光では二人の顔は照らしきれなかった。
「こんなに気難しいなんて思ってなかったなぁ……もっとこう、優しくて、心が広くて、神様ってそんな方ばかりだと思ってた」
「俺も。いきなり首飛ばされかけるとは想像してなかったぜ」
「災難」
「全く」
二人は部屋の奥の扉を見る。その扉の先は神の宮。城の中で、最も高所にあって最も豪華な部屋。その真っ赤なベッドの上で、寝息をあげるは女神アルカディナ。
「ねぇアルク。神様ってさぁ……どこから来たのかな」
「じいさんが言うには、海の外かららしいが……海の外に、神の国があるとかなんとか」
「へぇ……広いのかな」
「そりゃ広いんじゃないのか? しらねぇけど。興味あるのか?」
「……まぁ、ちょっとだけね。アルクはない?」
「あんまりねぇかな」
並んでいる箱の中から、また一つ果実を取り出して口に運ぶアルクァード。少し酸味があったのだろうか。アルクァードは少しだけ口をすぼめた。
月を背に、並ぶ二人。体格は倍ほど違えども、その歩みは片時も別れたことはなく。
「降臨祭がさ」
「え? 何アルク?」
「降臨祭がさ。終わったら、少し休みが貰えるんだ。俺もお前も。知ってるか?」
「知ってる。どうする? 神都の外へ行く?」
「ああそれだ。ちょっと時間貰ってさ。旅に出ようぜ。神都も王都も、堅苦しくてさ。お前もそうだろう?」
「確かにね。口調は固めなきゃいけないし。そもそも町ってなんだか……人は多いんだけどこう、なんていうのかな。いろいろあるんだけど……こう……」
「生きてる感じがしないのよね。なんだか」
「そ……あっ!?」
「なっ!?」
唐突に、聞こえたその声に、ユーフォリアの心臓は爆ぜ、アルクァードの背は凍った。
振り返る二人。並んで眼を丸くする。
そこに、赤い光が浮かんでいた。
「あ、アルカディナ……様……!」
月を背に、立つその者の名をその名を絞り出すはユーフォリア。
「眠りについたのでは!?」
思わず大きな声が出るアルクァード。
窓から覗くは丸い月。月光を背に浴びて、女神アルカディナが彼ら二人の背に立っていたのだ。
驚く。アルクァードとユーフォリアの二人は、ただただ驚いていて。二人を前にアルカディナは笑っていて。
「あれぇ? 寝ててほしかったのかなぁ?」
そのアルカディナの笑顔は、朝みせた女神としての微笑みではなかった。悪戯好きな少女のような、そんな無邪気な笑顔。
「ユーフォリア。そうあなた確かユーフォリアよね名前」
「は、はい」
「あなたは、神の国に興味がありますか?」
「あ、え……」
不安そうに、言葉を選び、表情を選ぶユーフォリア。
彼女は理解していた。わずか三日間で、彼女は理解していた。眼前にいる女神は、微笑むアルカディナは
「えと……その……」
『人』ではないのだ。
暴君とは違う。気難しいというのとは違う。
「……聞こえなかった? 法術が使えるとしても、所詮あなたは人なのかな?」
その眼には、一切の愛がないのだ。
軍神の子として、この神は生涯のほとんどを殺し合いの場に置かれていたのだろう。戦乱の中で生きてきたのだろう。
故に、その手は、簡単に背の大槍に伸び――――
「アルカディナ様、私は神の国にはそこまで興味はありませんが、それでも見てみたいとは思います」
言葉に詰まるユーフォリアを助けたのは、隣に立つアルクァードだった。
真っ直ぐな瞳に、凛とした佇まい。アルカディナが現れた直後の驚きの顔は嘘のように消え去り、そこに立つは正に人を守る騎士。
「そうよね。やっぱり知らない土地と言うのは、見てみたいと思うものよねぇ」
神が考えていることなど人には分らない。ふんぞり返り、誇らしげにそう言ったアルカディナの姿に、ユーフォリアはほっとした。
だが続けて言った言葉に、彼女は戦慄した。
「だから私は人の国を見て回りたいわ。あなた達、連れ出してくれる?」
人を下等と呼び、人に一切の愛を持たず、身に一類の愛を持たず
それでもその世を見てみたいと思ったのは、何故なのだろうか。
降臨より三日。満月の夜。赤い瞳は二人の男女に、その思いを伝えた。




