第3話 降臨祭
王都。
人の王が住む王城の下に広がる都。そこは人の国において最も巨大な都市だった。
王都の至るところに置かれるは赤い机。その上にはたくさんの料理と、飲み物が並んでいる。
掲げられる旗。王家の旗だ。白き旗に縫い込まれた金色の紋様が空に舞う。
町の広場。裏路地。城への橋。
ずらりと並ぶは人の群。王都に住む人々。今、家の中にいる者は一人もいない。人々は外へ出て、両手を組んで並んでいる。
人々の視線は一点に、王城が一点に。
今日は特別な日だ。今日はいい日だ。今日は最高の日だ。
祈りを捧げながら、人々の心は沸いていた。人々は待っていた。その方が現れるのを待っていた。
今日は待ちに待った日だ。今日は幸せな日だ。今日は至福の日だ。
――降臨祭。
今日は四年に一度の、一か月間だけ神が人の国に降りたつ日。
人々は待っていた。王城の一点をみて、待っていた。
輝く瞳。輝く顔。溢れる笑顔。
人々は、待っていた。
どれだけ待っただろう。日が昇り、中天を刺した頃である。
翼が
翼が羽ばたく音がした。
――ばさり
青い空。
――ばさり
白い太陽。
――ばさり
空を舞う白い『モノ』
――ばさり
白い翼。
――ばさり
兜から覗く銀色の髪。
――ばさり
輝く赤い瞳。
――ばさり
その音と共に近づいてくるものは、その羽ばたきと共に近づいてくるものは
――ばさり
ただただ、ただただ
――――――――美しかった。
「わざわざ、ご苦労様です。七神が槍、軍神の子アルカディナ。到着いたしました」
赤い兜を外し、彼女は人の世に現れた。
長い銀髪は、太陽の光を受けてキラキラと輝き、白く透き通るような肌は正に純白で。
赤く輝く瞳に柔らかい笑顔。
王城の巨大なバルコニーに、巨大な天馬を駆って現れたるは女神アルカディナ。王が、王妃が、王女が、騎士が、聖人が、聖女が、全員が彼女の前で、膝を折って深く深く祈りを捧げる。
その光景は、その姿は、その存在は
あまりにも、あまりにも、あまりにも
――美しかった。
王は、事前に神にあった際の口上を用意していた。しかしながら王は、その方が現れるや、全ての口上を綺麗さっぱり忘れてしまった。
大失態である。だが、それを咎める者は誰もいなかった。人の世で、神に定められた王を咎める者など誰もいないのだ。
微笑みながらその赤い瞳を動かすアルカディナ。しばしの無言。時が止まった。
「どうぞお顔を」
その声は、あまりにも透き通っていて。
言われるがままにその場にいる者達は顔をあげた。誰一人、その言葉には抗えず。
「案内を。我が宮は、何処ですか? 槍を納めたいと思います」
「あ、も、申し訳ございません! ダナン!」
「はい」
王の狼狽は王らしからぬものであったが、それを気にする者はいなかった。
呼ばれた大柄の老人が立ち上がる。黄金の鎧を着た白髪の老人。胸に手を当て、老騎士は深々と頭を下げる。
「私はテンプル騎士団が騎士団長を務めますダナンと申します。二名、立て」
「はっ」
「はい」
その場に呼ばれるということが、その場にいるということがどれほど名誉なことだろうか。
立ち上がった男女の顔は、輝きに満ち満ちていて。
「テンプル騎士団、神聖騎士が第一位、アルクァードと申します」
その銀色の鎧と、そこからはみ出さんばかりの肉体は主席に相応しく。
「オーリア大聖処女廉施者ユーフォリアと申します」
純白の儀礼服に身を包んだ聖女は、まさに聖なる人。
「二名、本日より一月、女神様が護衛騎士と巫女となりまする。どうぞ短き間ですが存分にお使いください」
「……護衛?」
その言葉にほんの一瞬だけ、女神アルカディナの眉が動いた。誰も気づかない程の一瞬だった。
「二名、女神様を宮へ」
「はい、ではアルカディナ様。こちらへ」
なんとも、なんとも神々しき一時だった。
ユーフォリアの案内の下、女神アルカディナは城内へと姿を消す。その背が見えなくなるまで王は、その場にいた全ての者たちはただただ頭を下げていた。
残された天馬が光と共に姿を消していく。その姿もなんとも美しく、ただ美しく――
全てが去った後。王は王都の人々に向かって手を挙げた。それは、合図だ。これより降臨祭を始めると言う合図だ。
町のいたるところに立っていた兵士たちが、騎士たちが武器を納め、並ぶ料理から一歩離れる。
今日は祭り、神が来ることを祝う祭り。
さぁ、宴の時間だ。
「おおおおおおおおおおお!」
――人々は、料理に群がった。
――――
――――
――――
確かに
ああ確かに
その時は最高だった。
夢が叶った。しっかりと引き締めようと思うほどに、顔の筋肉が緩んだ。
にやける顔を見る度にユーフォリアの肘が脇腹に刺さった。
嬉しかった。楽しかった。幸せだった。
ユーフォリアが聖女であることが認められて、それについて行って騎士になって、ひたすらに鍛錬をして、ひらすらに肉を食って、ひたすらに自分を磨いて。
ああ
ああ本当に
騎士になってよかった。
苦しんだ甲斐があった。
黒い塊になった自分の両親を砕いて穴に入れた甲斐があった――――
「――――あ」
漏れたのは、自分の声か。
「護衛? 人如きが私の護衛? 軍神の子アルカディナの護衛?」
心臓に冷たい何かが入ってくるのを感じる。
「人のような下等な生物が。私を守る?」
首が、首が一切動かない。
「不敬者。そんなに命、いらないのかな」
大きな、大きな槍だった。
短かったはずの柄がいつの間にか長く長く伸びている。
気づけば、自分の首元には――左の頸動脈の寸前には――
「アルカ、ディナ様」
巨大な槍の先が――――
「申し訳、ございません……っ!」
謝ったのはユーフォリア。顔を自分の青い髪よりも真っ青にして、彼女は聖女様の前に膝をつき頭を下げていた。
俺は、指一本動かせない。
「どうかお許しをアルカディナ様!」
ユーフォリアが必死に許しを乞うている。
そんな姿に俺は少しだけ
ほんの少しだけ
「アルカディナ様!」
「うるさい」
ほんの、少しだけ
「はぁ……反応もできないなんて、ほんと、人って弱いなぁ」
――怒りを感じた。




