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神々のディストピア  作者: カブヤン
神の国篇 第一章 赤錆の女神
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第2話 銀槍の騎士

 その男が握る長い槍は、穂先から柄の先端まで銀色だった。


 胸当てから覗くはち切れんばかりの大胸筋。太い腕。大木を思わせる大腿部。


 男は、大きかった。その男が、長く大きな槍を握りしめていた。


「うおおおおお! いけぇぇぇぇ!」


「おおおおおお!」


 地鳴りのような声が男に注がれる。震える大地。震える空気。


 男の周囲は円形の壁が覆っていて、その高い壁の上には人々が汗を迸らせ必死に男に声を叩き付けていた。


 そこは闘技場だった。巨大な円形の闘技場だった。男は、闘技場の中心で敵と対峙していた。


 闘技場での敵。つまりは対戦相手。男にとって相手に恨みはない。だが、男は躊躇することなく槍を向ける。


 競技なのだ。それは雌雄を決する決闘ではない。ただの、力試しの競技なのだ。


 闘技場の最も高い場所に座っていた人の王が髭を擦りながら、近くにいた老騎士に何かを問いかけている。老騎士は微笑みながら、王の問いに答えている。


 王の隣には王妃。つまらなそうに作り笑いを浮かべながら、闘技場の中心を見ている。


 そして、王女。その座る姿は作り物の人形の様。


 男が一歩、前に出た。


「よろしいか?」


 男の声は澄んでいた。若き男は、年上の対戦相手に向かって敬の念をもって語り掛けた。


 顔をしかめさせて、男の相手は剣を構えた。


「行きます」


 男の槍は銀色。日の光を浴びてキラキラと輝くそれは正に聖光の槍。


 吸って、吐いて。繰り返すこと三度、呼吸を整える。


「オオオオオオオオオオオオ!」


 雄叫び。男の雄叫び。男の前に立つ対戦対手に叩き付けられる雄叫び。


 踏みだされる足。大柄の男の身体が、爆音をあげて前へと叩き出される。


「おおおおおりゃああああ!」


 雄叫びをあげ槍を振りかぶる男の姿は間違いなく野蛮で、そこに騎士としての振る舞いも美しさもなかった。


 しかしながら、何故かその槍は、太陽の光を反射して銀色に輝くその槍は、振り下ろされるその槍は


 美しかった。


 音が鳴り響いた。金属音だ。真っ直ぐに振り下ろされた男の銀色の槍は、対戦相手の剣を折り、その勢いのままに相手の頭の上に到達した。


 ピタリと槍先が相手の頭の上に置かれる。へし折れた剣を握り、銀色の槍を見上げる対戦相手の男。その眼はおぼろげで、ふわふわと槍を見上げていた。


 銀色の槍を持ち上げる男。その顔は凛々しく、微笑みは爽やかで、筋骨隆々の身体を反転させ正面を向く。彼の視線の先にいるのは人の王だ。


 頭を下げる男。遅れて鳴る鐘の音。カランカランと三度。


 闘技場の四方にいた騎士たちが大きな赤い旗を掲げる。勝敗が決まったのだ。赤い旗の指す者は当然、銀槍の男――――


「やはりアルクァードか。これで決まりかダナン卿」


「ですな」


 銀槍の騎士アルクァード。


 その武はテンプル騎士団にて並ぶ者はおらず、20にならぬ若者ながら最上位の階位を頂く騎士団の誉。


 姓を持たぬ農村の出身ながら実力で上り詰めたその男は、深々と礼をして槍を片手に闘技場を後にする。大きな大きな拍手と歓声を背に受けて。


 誇らしく立ち去る彼の背中。間違いなく、この時は彼が最も輝いていた時だろう。


 行きかう騎士団の面々全員が頭を下げる。入団直後の若騎士たちは手を胸に彼に敬意を示している。


 勝ち取った待遇。つかみ取った今。


 今こそが、彼の、後に血錆の騎士となるアルクァードの絶頂期。


「神聖騎士様。どうぞ槍を。清めますので」


 闘技場内の通路でそう声を掛けたのは騎士団の若き女騎士。歳は13程。流れるような黒髪と、端整な顔。まだ鍛錬を積んでいないのだろう。煌びやかな鎧を装備していても、身体は小柄な少女のままである。


 細身の腕を伸ばし、槍を受け取ろうとする少女。


「すまない。重いから気をつけてくれ」


「はい」


 抱えるように槍を受け取る少女。ズシリとした重さが少女の身体を押し付ける。


 銀色の槍。それは柄から穂先まで全て鉄で作られた鋼鉄の槍である。木を一切使わないことで完成したそれは、相当の重量を誇る。


 普通の槍何本分だろうか。笑顔が消えた少女の顔を見て、アルクァードは微笑んだ。


「誰かに手伝ってもらった方がいい。仲間に頼るのも、騎士としては大事なことだぞ」


「は、はい……」


「馬車を回すように言っておくから使うといい。宿舎の私の部屋まで運べるかな?」


「ありがとうございます。大丈夫です」


 騎士団の者というのは誇り高いものだ。幼子とは言えども自らの仕事は自らの力で行いたいものである。だから、必要以上には手助けはしない。


 よろよろと立ち去る少女を見つめるアルクァードの眼は澄んでいて。顔には一つの傷も無く、身体にも一つの傷も無く、その立ち姿は威風堂々。自信にあふれていた。


 通路を歩く。真っ赤な絨毯の通路だ。騎士たちが己が武を示すために参加する闘技大会、その参加者は必ず通る赤い絨毯だ。


 赤絨毯の先には小部屋がある。中央に水の張った石の入れ物がある小さな部屋だ。


 アルクァードはその銀色の鎧を脱ぎ、下布一枚になって水を瓶を使って汲み上げ身体にかける。頭の上からだ。赤みがかった黒髪が水に濡れ頭に張り付く。


 清めているのだ。闘技を争うためとはいえ、人を殺すための技を繰り出したのだ。心の汚れを、身体の汚れを、不浄なる騎士としての汚れをそこで落とすのだ。


 水をかける。一度。二度。三度。眼を開けて、水を被る。


「背を流してやろうか?」


 その声は、彼の背から聞こえた。アルクァードは瓶を床に置き、布を取って頭を拭いた。


 そしてゆっくりと彼は振り返った。


「じいさんのしわしわの手で背を流されるなんざ。悪夢だろ?」


「ははは、確かに」


 立っていたのは筋骨隆々の老人だった。金色の鎧に真っ赤なマント。その姿は誰が見ても威圧感を感じる者だった。


 老人の名はダナン。テンプル騎士団の団長。切りそろえられた髭を擦り、ダナンは満面の笑みを浮かべていた。


「まずはおめでとう。今年も圧倒的だったなアルクァード」


「まぁな。ただな、相手がどうとかは言いたくはないがな。誰も彼もさすがに鍛錬不足が酷いぞ。そりゃ戦う場なんてないがな。それでも鍛錬は騎士の基本だろう?」


「まぁほとんどの者が貴族の道楽でやっとるんだ。仕方あるまいて」


 アルクァードは話しながら身体を拭いていた。腕を拭き、足を拭き、肩を拭き


「今度の降臨祭な。お前が護衛に決まったぞアルクァード」


 その言葉と共に、アルクァードの手から布が落ちた。


「本当かじいさん!?」


「ああ。元老院方は年齢だけを問題視していたがな。先ほど王の命が出た。もはや誰も異論を挟めんぞ」


「俺が、遂に神の護衛……! 確か次は女神だよな? 世話はユーフォリアか?」


「もちろん。今回の世話係はユーフォリア様だ。まぁー中央の聖人は男じゃしな。さすがに男が女神の世話は如何じゃろう。ははは」


「そうか……そうか……! ありがとうなじいさん。いろいろあったが、あんたが騎士団に引っ張ってくれなければここまでは……」


「ムズ痒いわ。なぁに実力あってじゃ。そう言えば、いくつになったアルクァード?」


「18……今年で19になる」


「ワシが騎士団長になったのは37じゃったから……あと10年ちょっとじゃな」


「どういう意味だよじいさん」


「さぁの。さぁ晩餐会がはじまるぞ。とっとと鎧を清めて服を着て、ユーフォリア様を迎えに行かんか」


「ああ……降臨祭の事、伝えてもいいんだろ?」


「うむ。主らにはいろいろと苦労させた。これで償いとはいわんが、存分に高みを感じてくれ」


 光。そこに在るのは光。


 栄光の光。


 人の頂点。全ての人の夢。アルクァードとユーフォリア、農村出身の者二人が、人の代表として神の前に立つ。


 光があった。夢があった。輝かしい未来があった。


 鎧を磨き、用意されていた服に袖を通す。貴族たちが着るような煌びやかな服だ。立った襟が、アルクァードの首を押す。


 農奴は着ることのできない最上位の服。刺繍は金。騎士の紋章。


「似合わんなぁ。ははは」


「うるせぇじいさん。人の事言えるかって」


 全ては


 全ては虚無。


 誰が気づこうか。誰が知ろうか。誰が理解できるか。


 アルクァードは服を着こみ、小部屋から出た。小部屋から出ると、王家が滞在する特別な区画に出る。


 赤い絨毯。黄金の蝋燭台。輝くシャンデリア。頭を下げ、並ぶ使用人たち。


 最高の今。絶頂の今。夢のような今。


 誰が想像できようか。


 数年後にそれは全て壊れるということを、誰が想像できようか。


 アルクァードの歩いた赤い絨毯は、水で黒く湿っていた。

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