第1話 紅い瞳
それは、日常。
当たり前の光景。
「ふふ……ふふ……」
悲惨だと、言うだろうか。
壮絶だと、言うだろうか。
「はははははははは!」
だがそれは、日常なのだ。
「あははははははは!」
女の声だ。甲高い、女の声だ。
女の笑い声が周囲に響き渡っている。
真っ赤な真っ赤な槍を掲げた女の笑い声が、響き渡っている。
「あーははははは!」
笑い声。笑い声。笑い声。
大きな大きな笑い声。
銀色の髪。赤い瞳。赤錆びた鎧。
「くそっ! どれだけ生き残ってる!?」
「あとはもう我々だけです!」
「なんだと……」
絶望の顔を見せるのは獣人。狼の顔に、人の身体。真っ黒の毛におおわれた獣人だ。
はぁはぁと息を切らしながら、二匹の、いや二人の獣人たちはじりじりと後方へと下がっていく。
「軍団長は……神器持ちのあの毛無しのデブはどこへいった!?」
「真っ先に殺されましたよっ!」
「くそがっ!」
そこは、戦場だった。大軍がぶつかり合う戦場『だった』。
戦場にいるのは二人の獣人。そして一人……女神が一神。
大槍を扱う、赤錆の女神。
「ふふふ……あとふたぁつ……」
軍神の勢力が最大戦力が一柱。
「くそっ……血吸いの神アルカディナめっ……! 汚らわしい堕ち神め……!」
『軍神の子』アルカディナ。
「ふふふ……これで最後ぉっ……」
笑いながら、赤い瞳の彼女は獣人よりも獣らしく地面を這い、一足に距離を詰めると握っていた大槍を振った。
二人の獣人の身体は、その槍のあまりの重さに、あまりの衝撃に、まるで果実が砕けるかのように二人まとめて爆ぜた。辺り一面に真っ赤な血煙が舞った。
「いたぁだきます」
異様な光景だった。醜悪な光景だった。血煙が、散らばる血液が、砕けた肉からあふれた赤い水が槍に吸い込まれていくのだ。
むせ返るような血の匂い。ずるずると、ずるずると、槍は血を吸っていく。
異様だ。異常だ。醜悪だ。非日常的だ。
だがそれは、日常なのだ。
「あはははははは!」
銀色の髪は真っ赤に濡れて、瞳は真っ赤に輝いて、鎧は真っ赤に染められて。
神の槍アルカディナは笑う。干からびた獣人たちの死骸の上で笑う。その笑い声は狂気でしかなかったが、それでも、それでもそれは日常なのだ。
彼女は知らなかった。思いもしなかった。その日常は、忌むべき日常だったということを。
――第二部 神の国篇 一章 赤錆の女神
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声。
誰かの声だ。
声が聞こえる。
誰だろう?
誰?
「俺の願いは――」
胸が痛い。
その声を聞くと、胸が痛い。
すごく、すごく胸が痛い。
この感情は、この胸の痛みは、この涙は
――――何だろう?
「おい……おい……」
「んん……」
声が聞こえた。よく知っている女性の声だった。
『今度』は、私にとってなじみ深い声だった。
「んん……メナス……? もう、着いた……?」
「もう着いた? じゃない。危ないだろうが天馬の上で寝るな」
風が吹いた。名残惜しいが、白くてふわふわした天馬のたてがみから身体を起こす。
暖かい日差しだ。暖かい空気だ。眼下に広大な草原が見える。
「まったくよく寝れるなアルカディナ。落ちたらどうするんだ?」
「ふぁああ……落ちない落ちない。そう簡単に落ちない……ふぁああー……」
時折聞こえるばさりという音。私の下にいる天馬が羽ばたく音だ。
身体を撫でる風。心地よい太陽の暖かさ。今私は地上からはるか上空にいる。落ちればタダでは済まない高さだ。
「アルカディナ。いいか? あまり気を抜くんじゃないぞ。お前は軍神の子で、七神の一人なんだぞ。戦場ではきちんとしてるのは当たり前。こういう場でもしっかりとした姿を見せないと、軍勢の士気にかかわるんだぞ」
「はいはい、わかってますよぉー」
「わかってないだろう」
「わかってますってぇ」
天馬が二頭。空を飛ぶ。風を切って、暖かな大地を見下ろし、空を飛ぶ。
青い兜の隙間から覗くメナスの眼。呆れたような、諦めたような、そんな眼。面白いのでその眼を見て、私は笑う。
「はぁ……」
メナスが小さく漏らした溜息が面白くて、私は笑う。
「アルカディナぁー?」
「わかったわかったって」
「いいかアルカディナ。私たちは神種だ。人にとって私たちは崇拝すべき存在……つまり、皆私たちに憧れているんだ」
「憧れねぇ……会ったことも無いのによくそんな感情持てるよねぇ」
「彼らは私たち個々を見てるわけじゃないからな。一神がどうこうというよりも、神と言う存在そのものを崇拝しているんだ。だから、それなりの振る舞いが要求される」
「人ごとき下種が私たちに要求ねぇ……おこがましいんじゃないの?」
「要求してるのはお父様たちだ。人が私たちに何かいうわけないだろうが」
「ふぅん」
「まったく、お前すぐ頭に血が昇るからな。こわいな全く……」
メナスは青い兜を脱いだ。兜の下にあった銀髪が風に流れてキラキラと輝いた。
メナスの天馬が小さく、首を揺らした。
「メナスの天馬。もしかして体力ない?」
「砦から直だったからなぁ……仕方ない。っていうか、アルカディナの天馬が体力ありすぎるんだ。身体が馬鹿みたいに大きい癖に速いし。本当にいい天馬捕まえたなアルカディナは。人の国に行ってる間ちょっと貸してくれないかその天馬」
「だぁめ。っていうか無理。アガトは私以外上に乗せようとしなぁいの」
「ケチめ」
「貴女に言われたくないわメナスぅ」
天馬アガト。私が乗る天馬は、普通の天馬よりも二回りも三回りも大きい。
種としては間違いなくメナスが乗る天馬と同じ種だが、アガトは最初から大きかった。突然変異なのでないかと学者は言っていた。
「メナス。人の国って、どんなところ?」
「え? さっき言っただろう? つまり人は私たちを崇拝してるから」
「違う違う。そんな人の種なんてどうでもいいの。国。どんな国かって聞いてるの。文化とか、町とか」
「どんなって言われてもな……百年ほど前に私いった時は城と城下町しか見てないしな……えっと、王城が一つだけあってだな。そこに人の王が住んでる。で、城下町はそれなりに栄えててな。中央ほどじゃないがな。文化的には、少し遅れてるかな。ミスリルの加工技術がないしな」
「城と城下町しかないの?」
「いや、外には人の貴族たちが支配する町がいくつかある。あと農奴たちの村もある。行くことはないとは思うがな」
「へぇ……強い戦士は、いる?」
「お前を満足させれるやつはいないさ」
「残念」
翼が羽ばたく音が鳴る。少し揺れて、天馬は加速する。
青い空。遠くに見えるのは青い海。あの海の向こうに、人の国はある。
七日後、私は人の国に行く。七神が一柱、血の戦神アルカディナとしてではなく、軍神の子女神アルカディナとして私は人の国に行く。
あそこは平和だ。あそこには争いはない。
人の国で一か月。日常から離れて一か月。戦場から離れて一か月。
「あーあ、長いなぁ」
長い。
あまりにも長い。
その時の私は、知らなかった。
『長い』という言葉の、本当の意味を。




