第43話 人々のユートピア
天井につるされているのはたくさんの明かり。たくさんのシャンデリア。
煌びやかな宝石が埋め込まれたシャンデリアは、蝋燭の光を受けてキラキラと輝いていて。
男女のペアが流れる曲に乗って踊っている。真っ赤な絨毯。美しいシャンデリア。輝く夜空。差し込む月光。
男は大柄。慣れていないのだろうか。ぎこちなく身体を揺らしている。
女は小柄。特徴的なのはその銀髪と輝く赤い瞳。身長差はかなりのもの。女の頭は男の胸元にすら届いていない。
アンバランスで、ぎこちない踊り。周囲の人々は微笑ましく、羨ましく。
笑っていた。
二人は笑っていた。
自分たちの滑稽さに、自分たちの場違いさに、自分たちの幸せに。
笑っていた。楽しそうに笑っていた。幸せそうに笑っていた。
「これが最後。だから聞かせて。あなたの『願い』は何?」
銀髪の女が男に問いかけた。微笑みながら。涙を流しながら。
「どうしたい? どうなりたい? どうして欲しい? 私は叶えます。あなたの願いを叶えます。それが私の我儘を聞いてくれたあなたに対する恩返し。一つだけ、私ができる範囲でだけど。さぁ」
手に伝わる熱は、互いの体温。
赤い瞳を輝かせて、女は男に問いかけた。優しい声で問いかけた。
問うてはいけないことを問いかけた。
「あなたは何を望むの?」
――望み。
生まれてその時まで、望みなどなかった。
何かをしたい。何かが欲しい。何かになりたい。
そんなものはなかった。
死んで欲しくない人はいたし、やりたくないことはたくさんあった。
でも考えたことはなかった。
自分は何がしたいのか。
ピアノの音色が速くなる。バイオリンの音が大きくなる。
自分は何を望んでいるのか。
自分は何を望んだのか。
俺は彼女に何を願ったのか。
シャンデリアの火が落ちた。全ての明かりが消えた。
暗闇の中で俺は彼女の耳元で何かを言った。
何を言ったのか。
人は、支配されている。
この世界は神が作った世界。神にとっての理想郷。
全ては神の掌の上。
何がしたい。
何がしたかった?
思い出せ。
思い出せ。
思い出せ。
赤い血に濡れた叫びを思い出せ。
彼女の絶望を思い出せ。
あの叫びを思い出せ。
何をして欲しい。
何をしたかった。
何がしたかった。
赤錆の咆哮を思い出せ。耳を貫く咆哮を思い出せ。身体を貫いた願いを思い出せ。
なにをしてほしい?
俺に何をして欲しい?
――――君は俺にどうしてほしい?
神は天上にいるものだ。どんな書物であれ、神は天より舞い降りるモノだ。
だから、それは天にいた。
「……なかなか死なないものだな」
その顔は美しかった。美しく、微笑んでいた。
赤い眼を下に向け、神徒ヴァハナは下界を見ていた。
彼の眼前にあるのは崩落した塔。大量の白い剣が突き刺さり、壁が柱が崩れて落ちた石の塔。
完全に壊れているわけではない。だが、それはもはや塔ではない。ただの長い、石の塊。
「これだけやっても、悲鳴もあがらないか。なんだろうな、表現、ああ、やっとわかった気がする」
視線を動かすヴァハナ。その視線の先には王都が広がっている。
王都の地面。建物。その全てに白い剣が刺さっている。暗い夜だから見ることはできないが、きっとその白い剣の大半は赤く染まっているのだろう。
空。暗い空。欠けた月が空に浮かぶ。ぼんやりとした月の下で、ヴァハナは白い剣の上に立ち天に浮かんでいる。
「気持ち悪い。ああ、そうだ。気持ち悪いんだ。生理的……なのかな。生物的? いやよくわからないが、胸の奥がぞわぞわする。我々は何故こんなものを飼っていたのか。理解できない。理解したくない」
ヴァハナは探求者である。理解できない世界を理解しようとした探求者である。
その彼が、理解したくないと心の底から思ってしまったモノとは何なのか。
闇を見る。空を見る。天を見る。
「ああ……神々はこの海の向こうで今も戦っている。ここは争いしかない世界だ。僕は、僕はね人たちよ。争いが嫌いなんだ。だからさ人たちよ。僕は平和な世界を創りたいんだ。全ての生命が手を取ってさ。それぞれが助け合ってさ。可愛いエルフの使用人に囲まれて、綺麗な奥さんを貰って、生涯一人の子を愛して」
願いは持つ者それぞれにある。
「毎日毎日、薪を割って、それを持って町に行くんだ。町にはいろんな種がいる。肉を売るのはオーク種だ。見た目は醜悪だが、彼らは綺麗な心を持っている。薪を与えるとその顔をほころばせて、肉を分けてくれる。肉だけでは味気ない。野菜も欲しいな。野菜を売るのはエルフ種の子供だ。彼らは」
夢を見ている。彼は夢を見ている。願いの中で、夢を見ている。
「素晴らしい。平和な世界だ。徴兵? 派遣? そんなものはない。好きなことをすればいい。好きなものを作ればいい。長い生涯だ。戦いで終わるなんて、つまらないだろう? 種が憎しみ合う世界なんて、つまらないだろう? ふふふ」
神も夢を見る。万能の神はもういない。だから、彼も夢を見る。
独りよがりの夢を見る。
彼が思い描くそれは、まさに彼の理想郷。ヴァハナのユートピア。
それは、素晴らしい世界だ。全ての種が手を取り、生きるその世界はきっと素晴らしい世界だ。
美しい望みだ。彼の願いは、彼の夢は、彼の望みは、美しい。
だから彼の顔も美しい。
しかしながら
「君たちは、生命ではない」
しかしながら、彼のその夢は歪んでいる。
「その世界に人はいらない」
全ての種が手を取り合って生きる世界。その世界を、他の種全てを抑えつけることで叶えようとする彼。理解できないモノを排除することで創ろうとするその手段。
それがおかしいことに、彼は気づかない。
だから
だからその願いは叶わない。
「オオオオオオオオオオオオオオオオ!」
響き渡ったのは咆哮だった。血まみれの咆哮だった。
その身体に突き刺さる大量の白い刃。瓦礫の塔の上で、刃に埋もれた人が叫んでいる。
血が流れている。血が溢れている。血で濡れている。
「アアアアアアアアアアアアアアアアア!」
震える手で真っ赤な大槍を握り、崩れた瓦礫の上で叫ぶ人。
真っ赤な赤錆に身を包んだフルプレートメイルの人。
「なんと醜い生物か」
その姿に、顔をしかめるヴァハナ。
彼は人を試し続けた。ひたすらにひたすらに。
残酷な拷問。残酷な処刑。残酷な試合。
彼は、一体何を知りたかったのだろうか。
「神器が人の手に渡ると、こんな醜悪なモノになるのか。ああ、駄目だ。いらない。いらない。君たちはいらない」
手をかざすヴァハナ。産まれる大量の白い刃。
彼は、きっと死んでも気がつかない。
「返せ……」
赤錆の人が叫ぶ。
「返せぇぇぇぇ!」
『女の声』。それは確かに、『女の声』だった。
女の叫び声だった。
叫んでいた。立って叫んでいた。
暗闇の中。王城の中心で。半分が崩落した塔の頂上でそれは天に向かって叫んでいた。
大槍を、両手で握る。血が溢れる。槍から鎧から血が溢れる。
天に向かって槍を向ける。
「かぁぁぁえせぇぇぇぇ……ぇぇぇ……ぇっ……!」
王都で王城で、いたるところで瓦礫が動きだした。
苦しそうに石の下から出てくる人々。口に入った石の欠片を鍔と一緒に吐き出す彼ら。
叫ぶ赤錆の騎士を見上げる人々。
その巨大な片翼で瓦礫を押しのけながら現れる巨大な天馬。翼の下で赤錆の騎士を見上げる二人の子供。
城壁の隙間から塔を見る数人の子供と、テンプルの騎士たち。
「アアアアアアアアアアアア!」
女の声だ。高い女の声だ。声の元は赤錆の男だが、その声は女の声だ。
巨大な船の舵にもたれかかり、赤い瞳から涙を流すは神の子メナス。眼を見開き、彼女も空を見る。
「……綺麗」
呟いたのは人の王女。見上げる先は大槍を振りかぶる赤錆びた何か。
彼は知らなかった。神徒ヴァハナは知りようがなかった。
彼が対峙しているそれは、彼が理解できないモノであるということを知らなかった。
結局彼は、見ることはなかったのだ。人を殺し、その中で人の真実を知ろうとした彼は、見ることはできなかったのだ。
古の神が押し込めようとした人だけが持つ心を、見ることはできなかったのだ。
「返せェェェェェェェ!」
それは始まりに過ぎない。
全身をバネのように爆ぜさせて、その手から大槍が放たれる。
それはあまりにも速かったため、それを見ていた人たちには一閃にしか見えなかった。
ヴァハナは眼を見開いた。見えた時にはすでに手遅れだった。
神をも狂わした人だけが持つモノ。その一撃は狂った神が持ったひとつの『願い』。
その血まみれの大槍は、ヴァハナの身体の8割を吹き飛ばした。顔と右肩、それ以外全てを持って行った。
これは始まりである。その後に続くことから見れば、ただの始まりである。
「オオオオオオオオオオオオ!」
赤錆びに塗れて彼は叫んでいた。男の声で叫んでいた。王都に、王城に、人の世界に、その声は響き渡った。
『願い』とは、全てを飲み込むモノである。
この物語は彼が『願い』叶える物語である。




