第40話 前哨戦
――それはきっと、まだ途中だから。
「たいしたものだ。いや、嫌味じゃないよ。僕は本気でそう思う」
綺麗な綺麗なその顔と、綺麗な綺麗なその剣。白銀の鎧に身を包み、赤い酒の入ったグラスを机に置き。
「この城には、たくさんの天使と、獣人、鬼人、それに武装した人たち。人の世界において、この島において、間違いなくこの城には最高戦力が集まっている。にもかかわらず、君はここにいる。もう一度言おう。たいしたものだ」
赤い眼をしたその男は、微笑みながらその言葉を口にする。
迷いはない。
戸惑いも無い。
その男に、微塵の焦りもない。
「一つ、質問していいかな? 何、ちょっとした疑問が浮かんでね。これを解決しないで剣を交わすのは実に気持ち悪いんだ。わかるだろう?」
その言葉はとてもとても澄んでいて。全てを飲み込むかのように澄んでいて。
神徒ヴァハナは綺麗な声で目の前にいる彼に質問した。
「君はさ、何がしたいのかな?」
何かが軋む音がした。ヴァハナは真っ赤な瞳を見せつけるかのように瞼を見開いて、言葉を続ける。
「気づいていたんだろう? 僕たちはさ。君を知っていたんだ。君が天使を殺して回っている。君が僕を、神を呼んでいる。そんなのは知っていたんだ。でもさ、僕たちはさ。君を相手に何か、してなかった。何でだろうね?」
金色で、銀色の剣の先をヴァハナは彼に向ける。月の明かりに照らされて、輝くその一本の剣。
「明白。どうでも良かったからさ。君が狭いこの島の中でどれだけ暴れても、僕たちには傷一つ負わせることができない。ふふふ。まぁ、この世界。この小さな島に広がる小さな人の世界は、君一人の力で変えられるほどには狭くはないのさ」
外は月。差し込むは月明かり。そこは塔の最上階。決して広い部屋とは言えないが、それでも狭くはない。
そこにいるのは神の使徒ヴァハナ。赤い瞳を持つ神種。
そして対峙するは赤錆でできた鎧を身に纏い、大槍を握る大男。
「だからこそ興味がある。何がしたい? 君は、神に会って何がしたいんだい?」
空気が軋む。肌が軋む。
何かが高まっている。
「答え給え。死ぬ前に。殺す前に。答え給え。小さな小さな人よ。答え給え。弱き人よ。答え給え。救えぬ人よ」
――きっと、まだだから。
「さぁ、答えて、死にたまえ」
――ここはただの通過点だから。
――通過点に過ぎないのだから。
「なぁ、お前さぁ」
――だから。
「酒臭いんだよさっきから。御託はいいんだよ面倒くせぇやつだなぁ……ったく」
神と共に産まれた大槍は、彼の手の中に。
「わかんねぇかな。お前は死ぬんだよここで。今日、今、ここで。地の獄、あの世の果てで、好きなだけ質問してろよクソ野郎」
道は続いた。今この場所に。そしてその先も、道は続いている。
――だから、あなたが握るその槍は
「……やれやれ、どこまでも救えないな」
――神を殺す槍になる。
空気が止まった。
もはや言葉を交わす必要はなくなった。
両手で大槍を振りかぶるアルクァード。片手で剣を構える神徒ヴァハナ。
王城にある高い高い塔の最上階。彼らは二人、互いの眼を見て対峙する。
一つ、二つ、三つ。
鼓動を交わして四つ。呼吸をして四つ。アルクァードは大きく踏み込んだ。
槍が振り下ろされる。真っ直ぐに。単純に。轟音と爆風と共に。
半歩足を横にずらし、それをいなすヴァハナ。アルクァードの大槍は床を大きくえぐる。
塔が揺れる。小さく口角をあげ、ヴァハナは笑う。大槍を躱した姿勢のままで、彼は剣を突き出す。
大槍の柄でそれを弾くアルクァード。それは難しい技術ではあるが、彼は容易くそれを行う。槍を床から抜き、真横に振り払う彼。
小さく跳びあがりそれを躱すヴァハナ。槍の柄を蹴り、少し距離を取る彼。
その戦いを見ていた老騎士ダナンと、人の王国の王女が見えたのはそこまでだった。
瞬きをするよりも速く。目にも止まらぬほど速く。一瞬よりも一瞬で。
ヴァハナは剣を振った。振ったという結果だけは辛うじて二人にはわかった。
アルクァードは槍を振った。振ったという結果だけが二人には理解できた。
火花だった。暗い塔の最上階。彼らがいる場所に火花が舞った。一つ二つ三つ四つ。数えきれないほどの火花が舞った。
「速い! ここまでになったかアルクァード!」
部屋の片隅で額に汗を浮かべながら呟く老騎士ダナン。
悦に浸った顔を見せる王女。
「おおおおおりゃああああああ!」
アルクァードの雄叫びは大きく、その声は容易に空気を震わせる。
アルクァードとヴァハナ。二人の間に火花が舞い、そして金属同士がぶつかり合う独特の甲高い音が周囲に鳴り響いた。
何重にも何重にも音は重なって、何重にも何重にも火花は重なって。
二人はその武器を打ちあった。
「……くっ」
漏れた声は、ヴァハナのもの。少しだけ、ほんの少しだけ眉間に皺を寄せてヴァハナは剣を振う。
「なるほど……存外速いね。驚いた」
その言葉を残して、大きく身を引くヴァハナ。その顔には余裕があって。
凄まじい勢いで後方へ飛ぶヴァハナ。飛びながら、ニヤリと笑って彼は小さな声で呟く。
「人ができる動きではない。やはり使えるのか。肉体強化か? いや単純なブーストというわけではないか」
後ろは壁。勢いを殺してヴァハナは踵を壁に着けて、笑みを浮かべながら顔をあげる。
視線が床から上へと上がる。
その瞬間、彼の顔は凍った。
「おおおおおおおおおおお!」
「なん……!?」
大きな槍だった。大きな声だった。大きな身体だった。
距離を取ったはずの彼。部屋の反対側の壁まで跳んだはずの彼。
その彼の目前に、その男は迫っていた。
「ちっ!」
舌打ちをして身をよじる。彼のいた場所に大きな槍が叩き込まれる。
ヴァハナの後方にあったのは壁。石の壁。アルクァードの大槍はその石の壁を悠々と叩き壊した。
舞い上がる石と土の混じった煙。ヴァハナは剣を構え低い姿勢で更に距離を取る。
「闘牛……だったかな。そんな遊びが南の方で盛んだと言う。見たことはないが、こういうことなのかな……!」
地面に片手を突き跳んだ勢いを殺すヴァハナ。槍を肩に担ぎ、土埃を払うアルクァード。
「……これはなかなか、やはり使えてるのか。それとも、本当に自力なのか」
そう言いながら、ヴァハナは剣を逆手に持ち替えた。
ヴァハナの剣の柄には、青く輝く宝石がついていた。
宝石のついた柄を前に突き出す彼。そして彼はこう言った。
「神器解放。3階『黒い夢』」
彼がその言葉を発した瞬間に、その宝石は独りでに強く輝きだした。
淡い光。弱い光。光は陰を産む。光は暗闇を産む。光は黒を産む。
現れたのは五体の黒い鎧。大きさは一律。ヴァハナの身長の倍はある。
それは、そうそれは――――
「やっぱりあれは全部てめぇの人形か。何が魔神だクソ野郎。神様が嘘ついていいのかよ」
大量の人を殺した黒い敵そのものだった。
「ふふ、楽しかっただろ? 僕の神器の能力は一対一用じゃないんだ。対群。群を狩るのが僕の仕事。神徒『黒い軍勢』ヴァハナ。それが僕の名だ」
「あっそう」
大槍を握り腰を落とすアルクァード。その眼は真っ直ぐに前を見ていて。
その槍は、何故か赤く染まっていて。
溢れる黒い鎧。更に三体。合計八体。
「卑怯と言ってもいいんだよ? ふふふ」
「そんな雑魚何匹出したって無駄なんだよ」
「ふふふ」
夜。白い月。深い闇。
暗い暗い夜の街。高い高い塔の上。
罪を。積み重ねた罪を。
贖罪を。永遠の贖罪を。
「……絶対に殺す。覚悟しろクソ野郎」




