第36話 終わらない夜を
その終わりは、最初から決められていた。
夜が来ればこの宴は終わる、そう最初から決められていた。
千の人を喜ばすために万を殺す。それは残酷なようで、当然のようで。
――いや
いや実際のところ
『それ』自体はどうでもよかったのかもしれない。宴自体はどうでも良かったのかもしれない。
『彼』はある日の事、一つの疑問が頭に浮かんだ。
人を、保護する意味は本当にあるのか? と
だから彼は動いた。まず彼は、人を見ることを始めた。
王城の上に独り、椅子に座り酒を片手に彼は来る日も来る日も人を見続けた。
人が生きて死ぬ様を見続けた。
春、花は咲き、風は温まり、人は始まりを迎える。
夏、木は青く茂り、虫は鳴き、熱が世界を支配し、人は汗を流して働く。
秋、山は赤く染まり、作物は溢れ、冬に向けて人は備蓄を始める。
冬、吹き荒ぶ風、降りしきる雪、全てが凍るその世界で、人は火を囲み眠りにつく。
繰り返し。
同じことの繰り返し。
生まれて死ぬまで同じことの繰り返し。
生きていると言えるのか?
生きているのか?
生きる意味があるのか?
刺激を、刺激を与えてみよう。命の危機。そうだ命の危機になればきっと、人は神が守るべき価値を見せてくれるかもしれない。
人に価値があるのか?
人に意味があるのか?
我々が保護する必要が、あるのか?
試そう。人を試そう。試してみよう。どんな姿を見せてくれるだろう。どんな力を見せてくれるだろう。どんなことをしてくれるだろう。
見てみたい。興味がある。楽しそうだ。
やってみよう。やってみよう。やってみよう。
やってみた結果、何人死んでも、別に、別に、別に
――――べつにいいだろう?
「待て」
夜。
「待て!」
暗闇。
「行くな!」
一日の終わり。
「誰も行くな! こんな……こんな!」
祭りの終わり。
「こんなものどうしろと言うのだ!」
――宴の終わり。
そこに広がっていたのは、絶望だった。
震える人々。もはやどうしようもない。もはや何もできない。
黒かった。夜の黒さではない。それは、死の黒さだ。
黒い騎士。頭からつま先まで真っ黒。武器も黒く、唯一刃渡りだけが銀色をしている。
それが辺り一面に広がっていた。文字通り、辺り一面に。
王都の城門の前に人々が集まっている。数千人の人々だ。朝は数百万いた人々の内、数千人の人々だ。
数千人だけの、生きてる人々だ。
彼らは囲まれていた。黒色に囲まれていた。隙間なくびっちりと迫りくる黒い騎士たちに囲まれていた。
城門の中腹に除く大砲はとうの昔に沈黙している。弾がなくなったのだ。
十数人いた剣闘士たちもその数はもう残り半数となっている。剣闘士たちは皆肩で息をしながらボロボロの武器を構えて立っている。
もはや
もはやどうしようもなく。
「くそ、本当に、本当に皆死んだのか?」
あっけなかった。あまりにもあっけなかった。あまりにも死があっけなかった。
実感が、人がたくさん死んだというその実感が薄くなるほど、あっけなかった。
「何なのだ! ワシらは! 人は! 人は何なのだ! この世界は何なのだ! 何のためにこんなことをするのだ!」
迫って、飲み込んで、消えて。
人の存在。
人の意味。
生きる意味。
生まれた意味。
「神よ! 意味を! 意味を教えてくれ! ワシらは何のために生きているのだ! これは、これは! なんなのだ!」
ダナンは叫ぶ。沢山の人を背に、大剣を握りしめて。
老齢となるまで彼もまた、神の言うとおりに生きてきた人間だ。だからこそ、間際に問いかける相手は神なのだ。
人は、生まれる。人は、生きる。人は、死ぬ。
「神よ! せめて、せめて子供だけでも助けてくれ! 彼らに罪はない! 産まれたことが罪などとは言わないでくれ! 彼らは! 生きるために産まれたのだ! 神よ! 神よ!」
ダナンは天に向かって嘆願した。
「神よ!」
いつの間にか、彼の周りの人々も両手を組んで天を仰いでいた。
祈りとは、神に願いを捧げる術と言われていた。
手を組み、想えばそれは神に届き、神はそれに応えてくれる。そう昔から言われていた。
だから人は、どうしようもなくなったとき、どうにかしたいとき、祈るようになっていた。
「くそ!」
――本当に届くわけなどないのに。
大剣を、握りしめるダナン。目の前に迫るは数千、数万の黒い兵士。
「そこの斧を持った剣闘士! 貴様が一番強そうじゃ! ワシの背を守れ!」
大斧を構える剣闘士。息を吐きながら、大きくうなずく。
「もう三十年若ければ……今更か。良いか! 希望を! 希望を捨てるな! ワシらはまだ生きている! 死ぬまで、死ぬまで生き抜いてみせよ!」
怯え、震える人々に向けられるダナンの声。返事をする者など一人もおらず。
「見せてくれるわ! テンプルが最強と呼ばれたこの剣を! 子供たちよ! 民たちよ! ワシが守ってみせるからの!」
それがわかっているのは、数人だけだった。
数千の人がいて、数人だけだった。
生きるための祈りなど、ありえない。生きたければ、剣を取れ。
それがわかっているのは、数人だけだった。
落とした剣を拾う若者。盾と武器を構える剣闘士。大剣を握るダナン。
そして
そしてもう一人。
「行く……っとおお!?」
遠くで、何かが爆ぜた。爆音が鳴り響いた。
「なんじゃ!?」
もう一度、爆音。だんだんとそれは近づいてくる。
爆ぜる。爆音と共に、何かが爆ぜる。
パラパラと、パラパラと、黒い兵たちは一斉に振り返る。
爆ぜる。爆ぜる。爆ぜる。だんだんと近づいてくる。
黒い闇を、力づくで叩き壊して突き進んでくるそれは、赤く。ただ赤く。血のように赤く。
赤いそれは、大きな槍を片手に。一振りで数体の黒い鎧を叩き壊す。
反撃をしようと歩を進めようとする黒い鎧。動くよりも早く、それを薙ぎ払って。
剣を下ろす若者。
斧を下ろす剣闘士。
大剣を下ろすダナン。
赤い足。
赤い鎧。
赤い頭。
赤錆びた全身。
赤錆びた騎士。
「よぉ」
「アル、クァード?」
アルクァードが、黒い海をかき分けて現れた。
大海原を割って進むが如く、黒い鎧をかち割って。
「祈りは捧げたか? どうだ? 神様は助けてくれたか?」
アルクァードはダナンの横を通り過ぎ、赤いヘルムを脱いで投げ捨てた。
「その組んだ両手を、誰かが包み込んでくれたか?」
ガシャリと足音が鳴る。人々はアルクァードの行く道を開ける。
「なぁ、本当に生きたいのか?」
皆の視線が、彼の背に集まる。どこからか現れた白い天馬が彼の後を追う。
「だったら、だったらその足元に転がっているモノを取れ。剣を、火砲を、武器を取れ」
城門。槍を天高く振りかぶるアルクァード。
「さぁ、反逆だ。俺たちの上で胡坐をかいている神様をぶん殴りに行こうぜ。祈っても祈っても助けてくれねぇ神様をぶっ飛ばしに行こうぜ」
そしてアルクァードは槍を振り下ろした。爆音が鳴り響く。
「さぁ、本番だ神様。楽しもうぜ」
――城門は音を立てて崩れ落ちた。




