第34話 闘技大会
赤い壁。赤い地面。赤い空。
夕焼け。日はすでに傾いている。
夜になれば全ては終わる。誰も救われない。誰も救えない。その宴は夜になれば終わるのだ。
晴れ渡った空。夕焼けの中赤い月が見える。今夜は満月だ。夜になればそれは強く空に輝くだろう。
月の光はこの世界の隅から隅まで届くだろう。
数百万の死体月明かりの下で輝くだろう。
人は生涯に渡って本を書く。自らの生に対して本を書く。生きるているということを世界に刻み込む。
その本の主役は自分。題名は自らの名。舞台は世界。
その本は決して面白い内容のものばかりではない。くだらない展開もある、つまらない展開もある。だが人は、それでもひたすらにそれを書き続ける。
その終わりは常に主役の死で終わるが、それまでの道は正に千差万別。似たような展開はあれど、同じ展開は一つとしてなく。
楽しい物語は楽しい生涯とは限らず、苦しい物語は苦しい生涯とも限らず。
彼ら一人一人に過程があって、彼ら一人一人に展開があって、彼ら一人一人に思いがあって。
それは本なのだ。人生というモノを書き連ね、束ねた本なのだ。そこに落ちている万を超えるモノは本なのだ。
一人一人生きていた。一人一人に物語があった。
夢があった。希望があった。彼らは全て、生きていた。
誰に生かされていようが、関係ない。彼らは確かに生きていた。
――誰に、何の権利があって
声が聴きたい。笑顔が見たい。温もりを感じたい。
生きているということが罪。
――何の権利があって
生まれて来たことが罪。
――そもそも
人であるということが罪。
――死んで償えないほどの罪を
咎人よ。罪を償え。贖罪は命に替えて。それでも足りない。不十分。
――『人』は犯したのか?
償えと、神は言う。
神に抗った罪を償えと神はいう。
「まだ、まだじゃぞ。角度そのまま。練習は無しじゃぞ」
人は、本当に気づかないだろうか。
「下の者を餌にしてるようで悪い気もするが、今はそれが最善。火を持て。手で耳を抑えろ。火を持っている者は手と肩で耳を抑えろ」
罪を償えと言っている者は、実のところ
「後ろには立つんじゃないぞ。下手すれば轢き殺されるぞ。輪留めなど信用するでないぞ」
――罪を許す気など一切ないということを。
「よし! 火を付けろ! 正面大火砲撃てぇ!」
高い高い王都の城壁。その丁度真ん中から巨大な鉄の塊が見えている。
夕日に照らされてそれは赤黒く輝いている。
それは巨大な金属を撃ち出す兵器。金属の中には爆薬が仕込まれており、着弾と共に炸裂する。
男たち数人掛かりで準備されたそれから伸びる導火線。怯えながら火を下ろす男たち。
轟音。爆音。爆風。火花。全てを伴って、全てを抱えて。
三門の大砲から放たれた弾は遠くへ遠くへ。風を切りながら遠くへ遠くへ。
着弾。響き渡る轟音。爆ぜる大地。
この抵抗に意味などあるのか。
「ダナン様! 一部しか吹き飛ばせてませんよ!」
「うろたえるな!」
無力。
「大火砲隊はそのまま次弾を籠めろ! 下! 手火砲兵前に! 教えた通りに構えろ!」
無意味。
「下! 構え!」
無駄。
「撃て!」
――――夜が来れば
「ダナン様……」
「くっ……」
――――この間引きは終わるのだ。
彼らは抵抗していた。老騎士ダナンの先導の下、彼らは抵抗していた。
抵抗していた彼らは人だった。戦うために集められたただの人だった。
戦いなど知らない、村や町から集められた『人』。魔神の軍勢から人を守るために集まった『人』。
彼らは、ただ神の言うとおりに戦いに来た人だった。神の命に従い、許しを得るためにやってきた人。彼らは抵抗していた。
陣形はまず閉じられた城門の前に戦えない女と老人。その外に武具を装備した男たち。
そして更にその外。城壁から持ち出した火砲――長銃を握る屈強な男たち。農奴出身の彼らにダナンは狙いの付け方と撃ち方だけを教えてそこに配置した。
火砲は弱き人のための武器である。指一本で殺傷能力を得ることができるこの世界の最強の武器である。
打った弾が当たれば如何に黒い的であろうとも一撃で倒すことができる。実際彼らの弾は、数騎の敵兵を倒している。
そして城壁の上。中腹に待機するはダナン率いる数十人の大火砲隊。ダナンが引き取った子供たちもここにいる。
作戦は単純なものだった。引き付けて大砲を放つ。ある程度の敵を排除した後に残った敵を火砲兵の掃射で一掃。その後武装した男たちで各個撃破。
できるわけがなかった。
「くそ! やはり敵の数が多すぎる! 対して数を減らせていない!」
「ダナン様どこへ!?」
「白兵戦じゃ! ワシが止めている間に大火砲の次弾を籠めろ!」
「ダナン様! 僕たちも!」
「主らはここにおれ! 子供ができることはもうない!」
城壁の中の階段を駆け下りるダナン。背から大剣を抜き、彼は走る。
「くそっ……こんなもの、死ぬ前の……時間稼ぎでしかない……何人死んだんじゃ今日……何人生きておるんじゃ今……くそっ……夜が来るっ……」
ダナンは老人とは思えないほどの健脚で階段を駆け下りた。しかめっ面な彼の顔には汗が噴き出していた。
「何なんじゃこれは……! 無力。こんなにも、こんなにも人は無力なのか……! 老い先短いワシはいい。だが、若い者が、子供が……こんなもの、許されていいのかっ……!」
ダナンは城壁から外へと出た。目の前にいるのは女と老人。皆不安そうに。しかしながらどこか諦めた顔でダナンを見ていた。
「すまんな。道を開けてくれんか。今からワシも参戦じゃ」
道を開ける弱き人々。彼らは何も言わない。誰も何も声をかけない。
静かだった。すぐ傍に敵が迫ってくると言うのに静かだった。ダナンは思った。人はどうして、いつからここまで静かになってしまったのだろうか、と。
彼らはきっと、死ぬときも静かに死んでいくだろう。確かに若者の一部は、人々の一部は死にたくないと抵抗を始めた。だが大部分はここにいる老人や女たちのように、静かに死んでいくのだろう。
それが何とも虚しくて。
静かな静かなその空間に、音が響き渡った。甲高い音だった。
ダナンは振り返った。城門が少しだけ、空いていた。
「……む」
現れたのは屈強な男たち。鋼鉄のフルフェイスヘルム。鋼鉄の武器。鋼鉄の肉体。ぞろぞろと、ぞろぞろと彼らは城門の中から現れた。
一目見た瞬間にダナンは気付いた。彼らは剣闘士だ。鍛え抜かれた肉体は、全て闘争の結果作られたモノだ。
援軍だとダナンは思った。と同時に、ダナンは見た。城門の中をちらりと、少しだけ。
ダナンの眼が、丸くなった。
ダナンは長身である。さらに彼の眼は老齢とは思えない程良い。
だからこそそれが見えたのだ。
『笑顔』で剣闘士を送り出す騎士たちの顔が、見えたのだ。
あの顔。あの目。あの態度。
剣闘士たちは無言で歩き出した。向かう先は最前線。敵の下。
ダナンの横を剣闘士たちは過ぎ去った。
「……まさか」
剣闘士たちのヘルムは彼らの顎を抑える構造になっている。即ち、彼らは何もしゃべれない。
だがそれでも伝える手段はある。一人の騎士がダナンの眼を見て、そのまま視線を上にあげた。
「上……城壁の上……か?」
ダナンは歩き出した。人々が開けた道を歩き、城門の前へ、城壁の前へ。
そして振り返り、彼は城壁を見上げた。
――――気づいた。
「――――馬鹿な」
絶句するのも無理はない。言葉に詰まるのも無理はない。驚くのも無理はない。
城壁の上。見上げた先に、その光景はあった。
人。
たくさんの人。
たくさんのたくさんの、『ある表情』をした人々。
ダナンはその顔を知っていた。その顔に見覚えがあった。その顔を見たのはそう
「観……衆……まさか……!?」
――――闘技場。
城壁の上にいる者達は、観衆。彼らは興奮した面持ちで、楽しそうに、嬉しそうに、これから何が起こるのか、これからどんな悲劇がおこるのか、ワクワクと恐怖心、興味と探求心、全てが混じったそんな顔で外を見ていた。
ダナンは理解した。その瞬間に理解した。
「闘技場なのか!? 外が!? 馬鹿な負ければ人が滅ぶのに闘技だと!? いや、違う! 滅ぶのがわかっていて笑えるものか! つまり、つまりはこの戦いは!」
剣闘士の一人は、ダナンの顔を見ながら静かにうなずいた。
「本当に闘技なのか!? つまり敵も味方も、同じ! 同じ側! ワシらはただの!」
大剣を振りかぶり、ダナンは叫ぶ。
「王都の人々の! 神の見世物だというのかぁ!」
――この闘技大会が終わるまであと数刻。




