第30話 世界を変えるは人の足
大量の死体を踏みにじり、迫る敵。それが何なのか、それが誰なのか。
誰も知らない。誰もわからない。いや、分かる必要など、本当は、ないのかもしれない。敵は、足を下ろした先を気になどしないのだから。
黒い兵士たちが剣を振る。目の前にいた人が死ぬ。それだけが繰り返されている。
神に言われた。敵を抑え、人の世界を守れと。人の世界。それは、実際のところ何なのか?
人々は知らないが、すでに王は死んでいないのだ。人の王は死んでいなくなったのだ。王の死が国の死であるというならば、もうこの国は死んでるのだ。
人の世界に国は一つ。たった一つ。その国は死んだ。ならば、人の世界はもう――
誰もその意味をしらない。誰も知ろうとしない。
いい加減にしろと誰も言わない。誰も思わない。
神は人の世界を創った。神は人に生きろと命じた。神は人に生きていろと命じた。
神は、人という種に、残っていろと言った。
人は意志を失った。何かをしようという意志を失った。幼き子供は、親の前ではひたすらに受け身になる。大人の言うことを聞いていればそれでいいから、子供はそうする。
人は幼子なのだ。襲われれば襲われるがままにされ、殺されれば殺されるがままである。死の瞬間に苦しみと痛みを感じて初めて、自分は生きていたと実感する。それほどに彼らは、飼いならされていた。
こんな人の世界を、何故守らないといけないのか。
人とは、何なのか。
幸福とは。
幸せとは。
命とは。
――もう、いい
古の時代。平和な時代。人は神に刃向かったという。神が作った理想郷を人は壊したのだと言う。
だから人は咎人なのだという。はたして、本当にそうなのだろうか。
神に反逆した人は本当にただ世界が欲しくてそうのような行動をとったのだろうか。
本当に、神の理想郷は人の理想郷だったのか。
空は変わらない。月は変わらない。太陽は変わらない。何年も何年も、そこにあるし、当然今もある。
空の下で、月の下で、太陽の下で、人は神は、常に共にいる。
変わらない。どんなに時間が経っても、変わらないモノがある。確かにある。
人は変わらない。神は変わらない。
彼は、大槍を振った。
「おおおおおおおおおおおお!」
雄叫びが周囲に鳴り響いた。
槍の一振りは、黒い兵士たちの胴を数体まとめて斬り裂いた。
彼は、火砲を抜いた。そして引鉄を引いた。子供の頭ほどもある鉛球が、銃身から飛び出る。
一体の黒い兵の胴を貫通し、その後ろにいた兵の胴を撃ち抜いた。吹き飛んだ兵の身体に押し倒されて、他の兵たちが倒れ込む。
彼は、一発打ち込むと素早く腰の袋から弾と火薬を取り出し火砲に装填した。火砲を腰に仕舞い、また大槍を揮う。
黒い鎧が宙に舞った。彼の槍を揮う速度は、超人的だった。まるで暴風のように、槍は振るわれ敵は壊れていく。
黒い兵士たちが迫る最前線。数千はいるだろう黒い敵。アルクァードは、それをたった一騎で抑えた。人々は、それを見て、何故か恐怖を感じた。
何故恐怖を感じるのか。何故身体が震えるのか。誰もわからない。そもそも、恐怖というモノが人々にはわからない。
思考が届かない。赤錆の鎧を身に纏い暴れる男の姿に、人は思考が届かない。
何をしたいのか、何をしているのか、何が起こっているのか、何が、何が、何が。
一人。逃げ出した。続けてもう一人、逃げ出した。
人々は逃げ出した。後ろを向いて、城門へ向かって逃げ出した。押し合って、ひしめき合って、逃げ出した。
何故逃げようと思ったのか、きっと誰もわからない。
でも、彼らは逃げ出した。口で逃げろと何度言ってもきっと彼らは逃げなかっただろう。神に戦えと言われたから、彼らは戦っただろう。
崩れた。何かが崩れた。世界の中心にある何かが、崩れ出していた。
そうなれば、もう戻れはしない。人々は、恐怖のままに逃げ出した。
「ふ、ふふ……はははは……はははははは!」
笑いながら、大槍を振い敵を壊していく男を背に、人々は逃げ出した。
狭い狭い人の世界。神に創られた種を残すための牢屋の中。逃げ出さないよう調教された家畜達。
その世界がゆっくりと、ゆっくりと壊れようとしていた。
アルクァードの槍から、赤い血が流れ出した。
赤い血は、彼の腕を伝い、赤い錆となっていく。槍を振う。血は舞う。赤錆の欠片が舞う。
「恐ろしいか?」
語り掛け。
「俺が恐ろしいか?」
問いかけ。
「違う。お前たちが恐ろしがっているのは、俺じゃない」
大槍から流れる血は、いつの間にか彼の右腕を、肩を染めきって。
「人の手で、抵抗できる。それがわかることがお前たちは恐ろしいんだ」
血は、赤錆になって。大槍は、血の涙を流して。
「神は絶対じゃない。神は最高ではない。自分を守れるのは自分だけ。人を守れるのは人だけ。それがわかることが、恐ろしいんだ」
槍を振う彼は、いつの間にか血に包まれた。頭の先から腕の先まで。足の先まで。真っ赤に。べっとりと。
血は硬化し、赤錆となった。大槍から流れ出した赤い血は、鎧となって彼を包み込んだのだ。
アルクァードは、加速した。赤錆のフルメイルが完成した瞬間に彼は、加速した。槍の動きが人の目に捕らえられなくなった。
周囲の敵が、一斉に砕け散った。
「逃げろ。精々逃げろ。逃げられなくなるところまで逃げろ。狭くて苦しい糞みてぇな人の世界。逃げてりゃ簡単に端にたどり着く。飛び降りようぜ。端からよ」
赤錆の騎士。刺々しい赤錆の鎧を全身に纏うアルクァードは、大槍を天高く掲げた。赤いフルフェイスヘルムの隙間から、彼の黒い瞳が輝いている。
「アルカディナはまだ怒ってる。さぁ、ぶち壊しに行くぜ。かかってこいよ。人はここから歩き出すんだ」
逃げ出した人の波。逃げることを選択した人々の波。皆知っていた。逃げることなどできないということを知っていた。それでも彼らは、逃げた。
人々の足の下、踏み固められた地面。それは、大きな広い道になっていた。




