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神々のディストピア  作者: カブヤン
人の国篇 序章 神殺しの槍
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第29話 ただ死にに往け

 深い深い黒の淵に、それらはいた。


 何処から現れて、何処へ行くのか。何のためにそこにいて、何のためにここに来るのか。


 誰も知らない。


 誰も知ることはできない。


 堕ちて落ちて墜ちて、降りて下りておりて。


 それは、深淵だった。


 あたり一面が黒の海と化した。底に輝くは黒い瞳。並ぶは大量の刃。黒い刃。


 一歩進むごとに、巨大な鉄の音が鳴り響いた。足音か、鎧の擦れる音か、それは誰も理解できない。


 王都を囲む大量の、『大量の』黒い剣士たち。王都に集まった人は数百万人。それを悠々と囲む黒い影。間違いなく、それは人よりも多かった。


「こんな……こんなの、どうしろと……?」


 一人の男が言った。それは弱気な言葉ではあったが、同時に的を射た言葉でもあった。


 数百万の屈強な兵士ならまだしも、ここにいるのは人なのだ。ただの人なのだ。神に呼ばれるがままに集まった人々なのだ。


 集まった者達は皆簡易的な武具が与えられていた。大量生産品の剣。鉄を曲げただけの盾。鎧は胸元と手足しか覆っておらず、兜に関してはただの鉢金。


 剣の技量に関しても素人以下。戦闘経験に関してはある方が珍しい。


 騎士の一人は走った。馬に乗って走った。せめて、陣形だけでも。せめて、立ち位置だけでも。


 馬に乗った騎士はヘルムを投げ捨てて叫んだ。


「女と老人は正門に入れ! 戦えない者など邪魔だ!」


 その男は誠実だった。騎士の中でも真面目で、彼は仲間によく語っていた。人を助けるために騎士になったのだと。


 仲間はそんな彼を、馬鹿にしていた。騎士は神の使徒。神のために生きるのがテンプルの騎士であり、人のために生きるならば医者にでもなった方がいいだろうと、彼の仲間は言っていた。


 物語の騎士は、強く、威厳があり、優しく、温かく、救世の戦士であり――


 馬を駆り、走る彼はその物語の騎士と遜色なく――


 だが、悲しきことかな。


「何で、誰も動かないんだ? 待て、女が剣を握るな! 男は女を守れ! 老人! 立つのもやっとじゃないか! 何でここに来たんだ!? なんで――――」


 人はあまりにも――――


「――――戦おうとするんだ?」


 神は言った。


 王都を守れと。人の世界を守れと。


 だから人々は守ろうとする。逃げずに守ろうとする。女も、老人も、非力な者も、一切関係がない。


 騎士の男は思い知った。人は神の声に従うものなのだということを、改めて思い知った。


 同時に後悔した。人々を守る。そんなことは無理だ。自分には無理だ。守られることを知らない人々など、守られようともしない人々を、守れるわけがない。


 男は振り返った。黒い海は、もうそこまで来ていた。


 魔神の軍勢。神はそう言った。だが、誰も知らなかった。魔神とは何なのか、誰も知らなかった。


 目の前に迫る黒い兵士たち。何なのかわからない。何が何なのかわからない。何がしたいのかわからない。


 なにもわからない。


 わからないままに、彼は死んだ。


 首が胴から離れるその瞬間。彼は思った。こんな死に方は違うと、彼は思った。


 何も残らなかった。何も残せなかった。何も守れなかった。


 彼は力を失い、剣を落とし、馬から落ちた。土埃をあげて、彼だったモノは地面に落ちた。


 その躯を無数の黒い足が踏みつけていった。彼の身体はやがて形を失い、赤い欠片となって土にまみれて消えていった。


 彼は一人じゃない。


 彼の後を追う者はまだまだたくさんいるのだ。


 黒い波は、人々に襲い掛かる。


「試練ヲ」


「試練を」


「シレンを」


「シレンヲ」


 人々は必死に剣を振った。剣を我武者羅に振った。


「試練だ」


「シレン」


「試練」


 黒い鎧に剣が当たる。カツンカツンと、情けない音がそこいらで鳴り響く。


「試練 を」


 相手になるわけがない。戦えるわけがない。


 王都の外、人々の輪。その最も外周。じりじりと、じりじりと、じりじりと。


 首だった。腸だった。腕だった。心臓だった。足だった。脳漿だった。


 黒い海に触れた人間から、順番に順番に、モノになっていった。黒い海の先は赤い水辺に。赤い花に。


 集まった人々の剣。謎の黒い兵士たちの剣。モノとしては同じものだが、それは決定的に異なっていた。


「にんげん に しれん を あたえる」


 人は、死んでいく。バラバラに、ぐしゃぐしゃに、次々と人は死んでいく。


 死んでいく人々を遠目に、騎士たちは震えていた。万を超える黒い兵たちが迫ってくる。王都に向かって迫ってくる。


 沈む。黒い海に沈む。黒い兵士たちの群に、王都がそのまま沈んでしまう。人の世界が沈んでしまう。


 騎士たちは、動けなかった。


 ――どうして


「何故、我々は人ごときを保護しなければいけないんだろう?」


 人は弱く、無気力で、無意味で――


「結局、こうなるよね。僕が見て来た通りだ。人は、弱い」


 力は神には敵わない。獣にも敵わない。


「ほらみろ。誰も自分すら守れない」


 守る方法を知らない。


「守らないといけないのか? 本当に、本当に守らないといけないのか?」


 神は謳う。


「何のために? 何のためにだ? 結局、こうじゃないか。どんどん死んでいくじゃないか。弱いじゃないか。何もできてないじゃないか。こんなやつらのために、軍神様の子は全員死んだのか?」


 神は謳われる。


「滅びろ。この世界に、人はいらない」


 神は神以外を謳わない。


「ふふふ……ははははは。まぁ、見世物としては、最高かな? さて君。酒を持って来てくれないか? 隣の部屋に、僕が神の国から持ってきた極上のハチミツ酒があるんだ。ああ君も、飲むかい?」


 人の命に意味などない。少なくとも彼にとっては、意味などない。


 椅子に腰かけて、王城の最上階から彼は見下ろす。黒い海が人を飲み込んでいく光景を肴に、彼は酒を口に運ぶ。


 満足そうにグラスを机に置いて、彼は小さく息を吐く。吐く息にアルコールが混じっている。その息すらうまいと感じさせるほどの極上の酒。彼はそれに舌鼓を打つ。


「……あれ?」


 そして彼は気づいた。黒い海がいつの間にか止まっていることに気がついた。


 止まるはずなんかないはずだと思い、彼は眼を凝らした。黒い海の淵を見ようと、眼を凝らした。


 人の死は無価値だ。死ぬときは簡単に死ぬ。死に際にどんな呪いの言葉を吐き出しても、死者が生者を呪うことなどできない。


 だが、生きていることは無価値ではない。


 人は人を救える。人は人を守れる。人は人を愛せる。


 人を守りたいと願った騎士の男は、諦めてしまった。無理だと、諦めてしまった。だから死んだ。


 その男は諦めなかった。死んでも諦めなかった。


 いつか必ずこの大槍を頭に叩き込んでやる。そう決意したのは遠い過去。


 だから、その男はそこに立つことができるのだ。


「ワラワラと。黒一色とか眼がおかしくなるぜ。この悪趣味共が」


 巨大な槍を肩に担ぎ、彼は黒い海の淵に立っていた。

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